30.苦渋の決断
時刻は深夜三時。
一時間以上前に始まった壁上からの戦いは、当初は優勢だった。
要塞都市の市壁は強固だ。
城門も石壁も、容易に破壊できるような代物ではない。
市壁の下に取り付く妖魔たちを、壁上から射かけていく。
蝙蝠鬼たちの特殊能力によって銃火器が使えないとは言え、壁下の妖魔相手になら、素人が闇雲に矢を放っても当たるレベルだ。
壁をよじ登ろうにも、梯子やロープをかけて登ってくるより、それを切り倒す方が圧倒的に早い。
だがその戦況はあっという間に崩された。
銃を封じられた連合軍に腕の良い弓兵は少なく、空を舞う蝙蝠鬼たちを射ち落とせるのはエイリークとシュカ達九番隊。
その他はごくわずかな者たちだけだった。
「待て、闇雲に射つな!」
セヴェンの声もむなしく、陽動のために屋上を飛び交っては猛毒の爪で弓兵を脅かす飛行種たちに、慣れない兵士たちが徒に矢を消費していく。
「下手な鉄砲は、数撃っても当たんねえな……」
「そもそも、今は鉄砲は撃つことさえできませんよ、シュカさん。暴発しちゃいますから」
「確かにな」
シュカとエイリークは減らず口を叩きながらも、それなりの数の妖魔を屠っている。
特にエイリークは百発百中だ。
すでに二十近い高等妖魔を射ち落としていた。
シュカは一応、長距離遠隔魔法を一つだけ習得しているが、実は他の九番隊隊員と比較するとその威力は劣る。
彼の唯一の長距離遠隔魔法は《光の矢》。
有効射程はシュカの魔力で百二十メートルほどもあるが、初級魔法の《光弾》と破壊力は同程度だ。
それでもシュカは上手い。
彼もすでに十を超える蝙蝠鬼を仕留めていた。
エイリークほどの、と言うより他の九番隊員ほどの命中精度もないが、シュカはここぞという時に放つ。
しかも彼は別に長距離遠隔魔法にこだわりはない。
離れれば長距離魔法を撃ち、中距離なら石の弾丸の雨を見舞い、薙槍の間合いに入ればぶった切る。
実際のところ、蝙蝠鬼も遠隔攻撃を持たないのだ。
とは言え奴らはあまりに疾い。
近づいてきたとて、兵たちが簡単に倒せる相手ではない。
その上、両手の黒爪には猛毒。
しかも中には精神を乱す能力を持った個体も紛れている。
目にも止まらぬ敏捷さで敢えて友軍の中に躍り込み、毒爪を見舞うグレムリンに、兵たちは混乱し、少しでも近づく前に射殺そうと、矢を徒に消費していく。
それでも味方を傷つけたり、毒爪の餌食になる者がほとんどいなかったのは、セヴェンの統率力の賜物と言ったところか。
だが、ついに均衡は崩れた。
「しまった、矢が……!」
誰かが悲鳴を上げた。
「城塞から矢をありったけ持って来い!」
別の誰かが叫ぶ。
「トロールだ!!攻城兵器を持ってるぞぉぉ!」
さらに離れたところで別の兵が怒鳴った。
「破城槌……!」
セヴェンがそれを見て思わず呟いた。
二十近い青緑の大型妖魔が十メートルを超える巨木を担ぎ、要塞都市の市壁の正門に向かって走ってくる。
ズシンズシンと、妖魔どもの疾走に合わせて地面が振動する。
「射て!射て!!」
弓兵が残り少ない矢をトロールの一団めがけて放つ。
しかしトロールたちは頭部・胸・膝などの弱点を分厚い板金鎧で覆っていた。
降り注ぐ矢も板金に弾かれるか、弱点以外に突き刺さった矢は数秒と経たずに皮膚から排出され、傷口もブクブクと泡を吹きながらあっという間に修復してしまう。
「チィッ!」
シュカが石弾を放ち、破城槌を持った先頭のトロールの顔面を打つが、やはり鋼鉄の額当てに弾かれ致命傷には至らなかった。
ブクブクと、すぐさま間に修復が始まっている。
ズドンッ――
その隣のトロールの頭部が吹き飛んだ。
エイリークの『大砲』だ。
「!」
だが倒れたトロールを当たり前のように踏み越えて、残るトロールたちは尚も進撃を緩めない――そしてそのまま破城槌ごと、正門に突っ込んだ。
「しまっ――」
ドゴオオオオオンッ!!!
「うわああああああ!」
爆音が響いた。
同時に立っていられないほどの振動。
壁上の軍人たちが軒並み石畳に転がる。
縁の近くに居た数人が、バランスを崩して妖魔の波へ転落していく。
「――っ!!!」
「くそっ!!ここまでか!」
セヴェンが苦々し気に吐き捨てた。
Ψ
「ロザン将軍!!市壁がトロールの強襲を受けています!破城槌による正門への攻撃!一撃で第一魔法障壁の六割が破損……とても持ちません!」
管制室に、グランディス伝令兵の悲痛な叫びが響く。
「なぜ攻城兵器の接近を許したのだ!?」
「矢が……圧倒的に矢が足りません!飛行種に相当数消費している上に、そもそも銃器も使えないのです」
ロザンの問いに、伝令兵は泣きそうな声で答えた。
「重魔粒子砲もとっくに撃ち止めです。防衛兵器が足りなさすぎる……!」
カレンが険しい顔でロザンを見る。
「……」
「――破城槌の二撃目!!第一魔法障壁消失!……第二障壁が失われれば市壁は破られます!」
「分かっている!」
ロザンは悔し気に怒鳴り返した。
「……ロザン将軍。もう、持ちません」
ルシアがその紫水晶の瞳でロザンを見つめる。
「……分かっている」
ロザンはしばし瞑目した。
やがて眼を開き、意を決したように深く息を吸った。
そして、苦渋の決断を告げる。
「……已むを得ん。全軍を呼び戻せ。非戦闘員も全て城塞の中へ――現時刻をもって市壁と街を放棄する」
Ψ
ストニアの市壁と城塞は簡単に行き来ができるよう、普段は繋がっている。
だが、万一この要塞都市の市壁が破られた場合に備え、市壁と城塞を繋ぐ防壁には細工がされており、城塞内部からの操作で破壊できるようになっていた。
装置が作動された今、数十メートルに渡って崩れた市壁を伝っては、もはや城壁には到達できない。
とは言え、要塞都市を取り囲む堅固な市壁の一部が崩れたのだ。
その隙間からの侵入も平時に比べれば容易だ。
しかし、もはやそんなことは関係ない。
――市壁の正門が破られたのだから。
正門から都市内になだれ込む妖魔の群れは、さながら黒い津波のようだ。
無骨ながらも素朴で美しかった要塞都市が、悪臭をまき散らす妖魔たちによって無惨に汚染されていく。
石像や街灯の類は軒並み破壊され、花園は踏み荒らされていく。
市壁が破られてから、妖魔の軍勢の先頭がストニア城塞の城壁に到達するまで、二十分と掛からなかった。
一時間近くが経過した今、城塞は四方を完全に妖魔の群れに取り囲まれている。
文字通り、この城塞がまさに最後の砦だ。
「こうなっては、もはや退路も完全に断たれたな」
グランディスの将校の誰かが、呟くように言った。
「何人やられた!?」
城塞の中庭でアリスは周りを見渡した。
「分かりません。恐らく三百人以上……」
ナディアの若い伝令兵が自信なさげに答えた。
市壁が破られてから城塞に引き上げるのも、簡単なことではなかった。
都市内の非戦闘員のほとんどはすぐに城塞内に収容できたが、各地に配置された兵たちを引き上げる間、大破した正門から押し寄せる妖魔の軍勢を決死の覚悟で食い止める役割が必要だった。
正門に駆け付けようとするアリスを制し、応援に向かったのはカレン達五番隊。
市壁に配備されていたセヴェン達八番隊とシュカ達九番隊とともに、ナディア・グランディス両軍を率いて防衛に徹した。
この城塞までの撤退戦で、一気に三百人以上が犠牲となった。
すでに戦死者、行方不明者は累計で六百名を超えている。
もはや遺体収容室はもちろん、大広間にも入りきらなくなった遺体が、中庭にも並べられていた。
「シュカ、エイリーク!」
中庭に旧知の顔を見つけ、アリスは駆け寄った。
「無事だったか?よかった!」
「ああ、なんとかな」
「危うく死ぬところでしたが……」
エイリークはシュカに支えられていた。
脚に傷を負ったようだが、深手ではなさそうだ。
「でも……」
エイリークが振り返った先に、アリスも視線を向けると、そこにはカレンに肩を借りているセヴェンの姿があった。
カレンがそっと彼を中庭に降ろし、座らせる。
「セヴェン隊長!」
「……ああ、アリスか。良かった、そっちは無事か」
セヴェンは腹部に深い傷を負っているようだった。血がドクドクと溢れ出ている。
「だ、大丈夫ですか!」
リリィとローズが駆け寄る。
ジルも彼の傍でしゃがみ込んだ。
「セヴェン!しっかりしろ」
「大丈夫だ。死にはしない。けどちょっとしくじっちまった」
セヴェンは弱々しく笑った。
「治療班を!早く!」
カレンが鋭い声で衛生兵を呼ぶ。
「セヴェン隊長は私たちを庇って……貪血鬼の魔法を喰らってしまったんだ」
セヴェンの横で膝を突き、シルバーブロンドの青年、ゼレンが悔しそうに言った。
その隣で、赤毛のクレドも複雑な顔をしている。
すでに八番隊はオルトスとエギルが戦線を離脱していたため、今ここにいるのはこの二名だけだ。
「部下を守るのは当たり前だろ。気にするな。それにちゃんと二本持ちは斃したぞ。さすが隊長だろ?」
セヴェンは肩を竦めて笑った。
それからアリス達に顔を向けた。
「あいつが今回のボスだったのか、それとも奴らはそもそも市壁の破壊までが目的だったのかは分からんが、少なくとも貪血鬼は退いたようだ。だが、すまんが俺も今回はここまでだ。……あとは任せるぞ」
セヴェンはそう言ってアリスの華奢な肩にポンと手を置く。
それからジルを見て、頷いた。
「分かりました、お任せください。セヴェン隊長」
「ああ」
アリスが答え、ジルも頷き返した。
「セヴェンさん!」
クリスティーナとサラが駆け付け、他の衛生兵が担架にセヴェンを乗せて運んでいく。
運ばれていく間も、セヴェンは「俺は大丈夫だ。勝手に死なないし、かといってすぐには役に立てん。まだ戦えるやつの手当てを先に頼む」などと言っていた。
「全くあいつは……」
ジルは呆れたように溜め息をついて古い戦友を見送った。
アリスはサラの顔を見る。
サラはその視線に気づいて振り返った。
そして小さく頷く。
先ほどより戦況はさらに悲惨だが、クリスティーナの隣のサラの翡翠の瞳には、もう迷いの色はない。
アリスも、少女に向かって力強く頷いた。
「カレン隊長、アリス隊長、シュカ隊長!!」
大階段のある広間のほうから、ナディアの伝令兵がこちらを呼んでいる。
彼はつい今しがた、管制室に戻って行ったばかりのはずだ。
「屋上へ。やつらがそろそろ、動きそうです」
アリス達はお互いに顔を見合わせ、そして頷いた。




