26.あなたの力を貸してくれる?
相変わらず他愛もない会話をしているアリス達の前を、ふと通り過ぎる影があった。
ダークブラウンのボブカット。あどけなさが残る可愛らしい顔。
深い翡翠の瞳。
サラだ。
その足取りはふらふらと危うい。
自分の所属する隊の上官や先輩たちにもまるで気づいていないようだ。
広間のほうから来て、中庭を横切って建物のほうへ向かっていく。
彼女が今出てきた広間には、今は負傷者もいないはず。
――そこにあるのは、命を落とした戦士たちの遺体のみだ。
「サラちゃん……!」
リリィが声を掛けるが、多少距離があるためか、サラは気づかない。
「……」
アリスは会話を切り上げ、ひとり仲間たちの輪を離れて無言で彼女の後を追う。
「あ、アリス、待って。あたしたちが……」
ローズが止めようとするが、その声はアリスには届かなかった。
「サラ!」
アリスはサラの背に、彼にしては大きな声で呼び掛けた。
サラはやっと気づいたようで、振り返る。
「アリスせ……隊長……」
その顔は蒼白だ。
「出撃は……まだですか?」
「サラ……」
ずっと気にはなっていた。
ただ、〈アルテミス〉とともに救援に駆け付けたルシアたちが参戦してから、サラの表情もいくらかやわらぎ、わずかな時間、アリスは少しだけ安心していた。
それにこの短い戦いの間でも、サラは着実に成長していた。
当初は実戦経験の少なさから遥かに格下の通常種にも苦戦していた彼女が、たった三週間で今や複数の上位種を同時に相手取れるレベルまで到達している。
でも、このおよそ三時間、快進撃で湧く連合軍の中でサラの表情はどんどん暗くなっていった。
その理由は、アリスには分かっていた。
彼女は、仲間の死に慣れていない。
サラは、救った命より、救えなかった命ばかりを数えている。
「……サラ。少し休もう。君には休息が必要だよ。配給食もある」
「食欲が……ありません……それに、いま食べたら、出撃の時に動きづらいので……」
サラは力なく首を振った。
「サラ……」
アリスはしばらくサラを見つめてから、意を決したようにもう一度口を開いた。
「サラ。君は次に戦いが再開されたら、治療班に回ってもらう。出撃はなしだ」
「え?」
サラは目を見開いた。
大きな翡翠の瞳が、揺れている。
「やっぱり、私じゃ役に立てませんか……?」
恐れていた、それでいて少し覚悟していたかのような表情だった。
「違うよ、何言ってるんだ、サラ。君は十分に活躍している。でも、まだ騎士になって一月も経ってないんだよ。ずっと戦場にいたら身体も精神も持たない。それに治療班も、すごく大事な役割なんだ」
アリスも必死だ。
知らず知らずのうちに、口調が強くなってしまうのを自覚して、自分が本当に嫌になる。
こういうとき、もっと大人に、もっと落ち着いて、諭すような話し方ができれば、とつくづく思う。
でも無理だ。
おれはそんな器じゃない。
「そんな……私はまだ戦えます!それにアリス先輩と違って、私の治癒魔法なんてほとんど役に立たない。さっきもそうだったんです」
「サラ。そうじゃないよ。治療班の仕事は、魔法をかけまくることじゃない。治癒魔法なんて、そもそもそんなに連発できるものじゃないんだ」
「私なんて……役に、役に立たなければ……〈星芒騎士〉になった意味がない……」
サラは両手で顔を覆ってしまう。
「サラ……」
アリスがなんと声を掛けていいか分からず、立ち尽くしていると、その肩に柔らかい手がそっと乗せられた。
振り返ると、紅水晶の瞳と目が合った。
クリスティーナだ。
「代わるわ」
クリスティーナはそう囁いて、優しく微笑んだ。
アリスはクリスティーナを見、そしてサラを見、もう一度クリスティーナに向き直ると、唇を噛んで頭を下げた。
「……お願いします」
悔しいけれど、今の自分ではサラの助けになってやることはできない。
彼女の苦しみを取り除いて、彼女を導いてやることはできない。
不甲斐ない思いを覚えつつも、アリスはもう一度クリスティーナに一礼して、ローズ達のところへ戻った。
「ねえ、サラ」
「……クリスティーナ隊長?」
サラは顔を上げた。
涙を必死にこらえているようだが、その瞳は濡れている。
何よりその表情は、憔悴しきっていた。
「少し、お話をしましょう」
クリスティーナはそう言って、中庭の端の石段に腰を降ろし、そして自分の横をぱんぱん、と叩いて、サラに座るように促した。
「次の戦いでは、私たち六番隊も全員、治療班に回るの。それでも人手は全く足りないわ。だからサラ、お願い。あなたの力を貸して」
クリスティーナは隣に腰かけたサラの肩に手を置いた。
「……どうして」
サラはポツンとこぼすように口を開いた。
「うん?」
「どうしてみんな、あんなに元気なんでしょうか……」
「そっか。そうだよね。どうしてかしらね」
「こっちは三千人しかいなくて……ううん、もう三千人もいなくて……でも向こうはまだ一万体以上いて……上位種も、オーガーもトロールだってたくさんいて……倒しても倒しても倒しても、まだまだいっぱいいて……戦況は何も変わらず絶体絶命なのに……勝ち目なんかないかもしれないのに……」
「うん」
「……見たこともない古代兵器が飛んできて……クリスティーナ隊長たちが来てくれて、もしかしたら、もう誰も死なないのかなと思ったんです……でもやっぱりそんなことはなくて」
「うん」
「私は、ほんのちょっとだけ治癒魔法を使えるけど……みんなすごいって言ってくれるけど……でも、ほんとは全然すごくないんです。少しもすごくないんです。私の魔法なんて、回復薬とほとんど変わらないんです」
「うん、そっか」
「戦場でも、まだ全然役に立ててないんです。役に立ててないのに、〈星芒騎士〉だから……私が〈星芒騎士〉だから、守らなきゃ、生かさなきゃって……私なんかを守ろうとして、みんな死んでしまったんです……たくさん死んだんです……どうしてか、みんな未熟な私なんかのために死んでしまうんです。このままじゃいずれ、アリス先輩たちもそうなってしまうかもしれない……でも、それはダメなんです。今度は私の番なんです。私がみんなを守らないといけないんです……!」
何かを吐き出すように、そこまで一気に言うと、サラは口をつぐんだ。
クリスティーナはその背を優しくそっと撫でてから、口を開いた。
彼女の話し方はいつも通り優しくて穏やかだ。
だがいつもののんびりした話かたよりどこか少し、力強い響きがある。
「……今ね。この砦には〈星芒騎士〉が二十五人もいるの。すごいよね。だって〈星芒騎士〉 って団長と副団長を入れても、全部で四十七人。つまり半分以上がここにいるのよ。……でもね、私たち二十五人だけじゃ、どう頑張っても一万五千の妖魔には勝てないわ。ルシアちゃんとカレンちゃんがいくら頑張っても、さすがに全部は無理」
それからクリスティーナはふと視線を中庭の向かい側のほうへ移した。
ここからは見えないが、視線の先には治療室がある。
彼らがひと時の休息を取っている今も、治療班が負傷者の手当てにあたっている。
「ここにいる〈星芒騎士〉の中で光の精霊の治癒魔法を使えるのは、ルシアちゃんとアリス、それにサラと私。その他は六番隊の三人。でもルシアちゃんとアリスは戦場に出るから、砦に残る使い手は五人だけね。レグルスから一緒に来てもらった治癒士さんと、もともと連合軍にいた治癒士さんたちを合わせても、全部で二十人にも満たないわ。……治癒魔法の使い手だけで、負傷者を治療するなんて、そもそもとても無理なの」
「それは……分かっています……アリス先輩にも、同じようなことを言われました……」
「でもね、治療班はそれだけじゃないわ。私たちや治癒士さんの他にも、薬師さんや衛生兵がいる。私たちはここぞという時に少しだけ魔法を使って、あとは薬や医術で補助するの。魔法でも魔法薬でもないけど、薬草や医学の知識ってすごいのよ。あなたは戦場での治癒魔法の使い方と、その温存の仕方を学ばなくてはいけないわ」
「薬草と、医術……」
「そう。そうやって、みんながそれぞれの役割を果たして、みんなで傷ついた人たちを手当てするの」
「みんなで……」
「そうよ。戦場でも〈星芒騎士〉だけが戦う訳じゃないわ。ナディアの騎士たち、兵士たち。グランディスの騎士たち、兵士たち。それから冒険者さんたち。みんなで力を合わせて、一万五千の妖魔に立ち向かうの。治療班も同じよ」
「……でも……でも私は、《光の剣》が使えます……より強い力を持つ者は、より多くの人を守らなくてはならないと、力はそのためにあるのだと……そう教わりました」
「そうね」
クリスティーナは優しく微笑んで、その手をそっとサラの頬に当てた。
「でも、それは自分の命を犠牲にして他の人を守ると言う意味ではないの」
サラの翡翠の瞳から、一筋の涙が頬を伝う。
「考えてみて。どうしてサラが、この討伐隊に選ばれたんだと思う?ここで命を捨てるためではないわ。今は学び、経験を積み、いずれもっと多くの仲間を、多くの人々を守るため。――あなたを守って死んでいった人たちも、きっとそれを望んでいるはず」
「でも、でも……!たくさん死にました……たくさん死んだんです……!私なんかを守って……たくさん……」
堰を切ったように両の目から涙があふれ出す。
「目をつぶって。サラ」
クリスティーナは両手でサラの頭を抱えると、そっと引き寄せてその胸に抱いた。
「あなたの記憶の中にいる人たちは、あなたに何と言っている?あなたにここで死ねって、そう言っている?あなたの記憶の中の彼らは、そんな人?……彼らがあなたのために命を投げ出したのだとしたら、それは何のためだと思う?」
サラはクリスティーナの胸で声を上げて泣いた。
泣きじゃくった。
次から次へと涙が溢れて止まらない。
きっと今まで我慢していた分だ。
クリスティーナはサラが落ち着くまで、そのまま彼女を抱きしめていた。
やがて少女の強張った肩から力が抜け、しゃくりあげる呼吸が穏やかに整うと、クリスティーナはその腕をそっと解き、サラの両肩に手を置いてその翡翠の瞳を見つめて言った。
「もう一度言うわね。サラ。私たちに、あなたの力を貸してくれる?」
サラは涙をぬぐい、揺れる瞳で紅水晶の瞳を見つめ返し、力強く頷いた。
「はい、私は――私は、もっと強くなります」
「……あの子は、きっと強くなるわね」
その様子を、少し離れたところから見ていたルシアは呟くように言った。
「ああ」
カレンは頷いた。
「……だがそれも、この死地を生き延びることができたらの話だがな」
「死なせはしないわ」
「無論、私も想いは同じだ」
カレンは中庭の戦士たちを見回した。
皆その眼は死んでいないが、疲労の色は濃い。
「しかし、このままではジリ貧だ。数があまりに違い過ぎる」
「分かってる」
ルシアは、篝火を見つめながら答える。
カレンも同じように篝火に目を移し、ゆっくりと言った。
「……私たちも、いざという時の順番を決めておいた方がいいな」
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このお話で、第三章は終わりです。
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