23.反撃の狼煙
王家の翼〈アルテミス〉によって駆け付けたルシアたちの参戦により、一時的に戦況は一変した。
十八時から二十一時にかけての三時間は、まさかの圧倒的優勢な展開だったと言える。
兵たちの士気は急激に高まり、これまで押され気味だった前線も、徐々に押し返し始める。
実質的な追加戦力はたったの十人。
それに治療班が七人。
それだけだ。
にもかかわらず、まさに勝利の女神の加護を受けたかの如く、王国軍・グランディス軍ともに猛反撃に転じた。日はすでに完全に沈み、本来なら妖魔たちの時間だというのにだ。
何よりも『三女帝』の活躍が目覚ましい。
ルシアは常に最前線に陣取り、得意とする稲妻魔法のみならず、地水火風氷雷の六大精霊魔法全てを駆使して妖魔の群れを片っ端からなぎ倒していく。
クリスティーナ率いる六番隊は、〈星芒騎士団〉で唯一、隊員全員が光の治癒魔法を習得した特殊部隊だ。
自らも輝く細剣を振るいつつ、四人で戦地を駆け巡り、傷ついた戦士たちを癒してはまた戦場へと送り出していった。
その間カレンは市壁の上に残り、実質的にルシアに代わってナディア軍を指揮しつつ、壁上に並べられた魔導兵器の爆撃で劣勢な戦況を覆してく。
セヴェン率いる八番隊もシュカ率いる九番隊も、そしてアリス達七番隊も、戦場に繰り出していた。
「《光弾》っ!!」
サラの詠唱に呼応して、魔力によって生成された光の矢が鎖帷子を纏った蛮賊鬼の顔面を射抜く。
一撃で絶命した妖魔が崩れるより先に、サラはその小さな身体で立ったままの躯に体当たりした。
「ゴアッ!!」
蛮賊鬼の陰から少女に襲い掛かろうとしてた狼面鬼に仲間の死骸が倒れ掛かり、驚愕の声が漏れる。
「えいっ!」
サラは僅かによろめいた狼面鬼の首筋に、すれ違い様輝く細剣の刃を滑らせ、その頸動脈を断ち斬った。
そのまま勢いを止めず、前方の猪面鬼の懐に飛び込む。
猪面鬼は目を剝き手にしたハンドアックスを振り上げるが、遅い。
ドスッ――
サラの細剣は、分厚い革鎧ごと妖魔の胸を刺し貫いた。
猪面鬼の右手から、ハンドアックスが抜け落ちる。
「!」
しかし、猪面鬼はすぐにこと切れなかった。
血走った黄色い眼をかっと見開き、胸を貫かれたまま、両手でサラの華奢な肩を掴む。
絡み合う妖魔と少女の上から影が差した。
月明りを遮るそれは、ずんぐりとした青緑の巨体。――岩重鬼だ。
ところどこに板金の鎧を身に着けた最重の大型妖魔は、醜く涎をまき散らしながら、死に損ないの猪面鬼ごと少女を粉砕せんと、巨岩のような戦棍を振り上げた。
「!」
少女はオークの分厚い胴と革鎧に深々と突き刺さったレイピアを引き抜こうとするが、眼前の瀕死の猪面鬼は渾身の力を込めてサラの小さな身体を抱きすくめそれを阻む。
「しまっ――」
空を切る唸りを上げて、戦棍が振り下ろされる。
サラは思わず目を瞑った。
「サラちゃん!」
だが、戦棍が少女の顔面を砕くことはなかった。
「リリィ先輩……!」
目を開けたサラの前には、いつの間にか水色の髪の少女。
サラより華奢なその少女が、三メートルを優に超える怪物の凶悪な戦棍を素手で受け止めている。
――否、魔法だ。
彼女の両手の掌から僅か数センチ先に眩く光る半透明の結界が形成され、岩重鬼の凶器がそこでピタリと止まっていた。
「汚い手でサラに触んな!」
光の線が蛇のように伸び、器用にサラの身体だけを避けて彼女に組み付いていた猪面鬼の首に巻き付く。
次の瞬間、その首が撥ね飛び、少女を抱きすくめていた妖魔の太い両腕がだらりと力を失った。
ローズの鋼鞭だ。
死してなおサラに覆いかぶさるように倒れる猪面鬼の首のない身体を軽々と蹴り飛ばし、ジルはよろめくサラの肩を支えた。
ドスッ!
輝く矢がサラのダークブラウンの髪を掠め、岩重鬼の膝に突き刺さる。
「ガアアアッ!!」
呻き声を上げて後退る青緑の巨体。
と、その醜く丸々と太った胴体の右肩から左脇腹にかけて、光の線が奔った。
ブシュウウウウウッ!!
次の瞬間、その線から紫色の体液が噴き出し、大型妖魔の上半身は半分に分かたれた。
そのまま、断末魔の悲鳴を上げることも叶わず、ゆっくりと崩れ、地響きとともに倒れ伏す。
倒れた岩重鬼の向こうには、眩く光る両刃の大剣を振り下ろした格好の、少女のような小柄な少年の姿があった。
アリスだ。
「大丈夫か、サラ」
ジルが尋ねると、
「は、はい。でも、助けられなかった……」
サラは先ほど斃した蛮賊鬼の死骸の脇に横たわる友軍の亡骸に視線を落とし、悲痛な表情を浮かべた。
「あの人、私を守ろうとして……」
無論、味方の遺体は一つや二つではない。
妖魔の死骸に混じって、人の躯もそこかしこに転がっていた。
アリス達七番隊を含め、〈星芒騎士団〉各隊は遊撃隊として戦場を駆け巡っては苦戦を強いられている友軍を加勢しているが、当然、救える命には限りがある。
「……」
アリスはそれを見て何か声を掛けようとするが、何も思い浮かばず、
「……サラ。一人で出過ぎちゃ、ダメだよ」
とだけ言った。
「……はい」
サラは小さな声で答えた。
その直後だ。
アリス達の耳飾りの紅玉がキィィィンっと鳴り響く。
『みんな、敵が撤退を始めたわ』
その声は最前線にいるルシアのものだった。
『ルシアちゃん、カレンちゃん!こっちもよー!妖魔たちが退いていくわー!』
次いでクリスティーナの声。
『……よし!』
と言ったのは、恐らくカレンだ。
そして、一拍の後。
今度は『呼声の魔石』を経由しない、空気を揺るがすような大音量で、ロザン将軍の声が戦場に響き渡った。
魔力の持たない者でも使用できる、拡声の魔導具だ。
『聞け、勇者たちよ!みんな、よくやった!敵軍が撤退する!!だが深追いはするな!一旦こちらも兵を退け!』
オオオオオオオオオォォォォォォ……!!
そこかしこから歓声が沸く。
「アリス、おれたちも一旦帰還しよう」
ジルがアリスに声を掛けた。
アリスも頷く。
「はい、そうですね。まずは……――!?」
突然、言いようのない悪寒のようなものを感じて、アリスは振り返った。
(――殺気?)
それは、切り裂くように鋭い視線。
深い深い憎しみの、いや怨念の籠った視線だった。
振り返った先、目を凝らすとゴブリンの一団が見えた。
遠い。あまりに遠い。ここからでは点のようだ。
だが、何故だか分かる。あれはゴブリンロードだ。
この規模の軍勢なら、別にロード級もさして珍しくもない。
珍しくもない筈だが、何故かそれは特別な個体だと分かった。
そしてその憎悪に満ちた怨嗟の念。
「……アリスくん?どうかした?」
リリィが心配そうにアリスの顔を覗き込んだ。
「……ううん、なんでもない。戻ろう」
そう笑って答えたアリスは、しかし、今もまだ消えないその刺すような禍々しい視線に、因縁浅からぬものを感じていた。




