19.笑うか、少年
「夜まで大人しくしていてくれれば願ったりだが」
というロザンの、いや連合軍全員のささやかな期待はいとも容易く、そして当然のように裏切られた。
生憎の曇天。
時刻はまだ八時だった。
太陽が雲に隠れるとともに、一度は後退した妖魔の軍勢が、じわじわと侵攻を開始した。
直射日光がないとは言え流石にトロールの姿は見えないが、それ以外の妖魔たちは構わず要塞都市に押し寄せてくる。
当然、敵軍勢が市壁に到達するまで、手をこまねいて見ているわけには行かない。
やむを得ず、連合軍も門を開き派兵して迎え撃つ。
三十分と待たず、再び戦いの火蓋が切って落とされた。
それはかつてない長期戦の幕開けだった。
アリス達もロザン将軍たちも、交互に出撃を繰り返す。
出撃しては派手に敵を屠り、人目を引いて友軍を鼓舞する。
サラは隊長命令により、アリス達七番隊の出撃の際、二回に一回のみ、出撃に同行していた。
サラは毎回の出撃を希望したが、体がついていかない。
一方、アリスはサラを待機させたかったが、戦況的にもそんな余裕はなかった。
サラの境遇は過酷だ。
新人だろうが何だろうが《光の剣》を手に戦場に姿を見せれば、兵たちは勢いづくが、同時に彼女に〈星芒騎士〉としての働きを期待する。
並みの兵の四、五人分の働きをしたところで、その程度では期待に応えたことにならない。
夜間ほどの勢いはないものの、妖魔軍の圧倒的優勢は変わらない。
夜明けとともに今朝方なんとか押し上げた戦線はじわじわと削られ、西日が大きく傾き始めるころには、再び背に要塞都市の市壁が迫ってきていた。
時刻は十七時。
朝八時からすでに戦闘が九時間も続いている。
開戦からは十八時間だ。
ひとり、またひとりと死んでいく。
すでに戦死者は二百名を超えていた。
アリス達七番隊も、すでに何度目の出撃だろうか。
「アリス!そろそろみんな限界だ。一度城塞に戻ろう!」
眼前の妖魔をあらかた斃し終え、ジルがそう叫んだときには、アリスの大剣の輝きも力なく明滅し始めていた。
振り返れば、ローズもリリィもエイリークも、妖魔の紫色の返り血に混ざって自身の紅い血で鎧と服を濡らし、肩で息をしている。
全員、疲労の色が濃い。
「……分かりました。みんな、一旦退却しよう」
Ψ
「ロザン将軍!援軍の状況は?」
管制室に戻って直ぐ、アリスは何度目かの同じ質問をする。
「分からん。あれ以降、通信はまだ一切繋がらんままだ」
ロザン将軍のその回答も、もはや幾度となく繰り返されたものだ。
「いずれにせよ、列車が使えない以上、王都からここまで馬を昼夜飛ばしてもあと丸一日以上はかかる」
ジルが静かに言った。
今はアリスとともに七番隊副隊長の彼も管制室へ同行していた。
「いよいよ絶望的だな。日が完全に落ちればまた奴らの時間が来る。次の夜を凌ぎきる戦力は、この砦にはもう残っていない」
ロザンの顔も疲労の色が濃い。
「せめて通信だけでも回復すれば、アーセラか、近場の都市から援軍を期待できるかもしれないが……」
いつも冷静なジルも、この時ばかりは苛立ちがにじみ出ていた。
「残念だが、アーセラの、いやグランディスの援軍は期待できない。デルフォイも、恐らく殿下も……」
ロザンはゆっくりと首を振った。
――その時だ。
壁際に取り付けられた複数の魔水晶に向かって並んで座る軍人の一人、グランディスの伝令兵が、こちらを振り返って叫ぶように報告する。
「ロザン将軍!グランディス第八中隊・第九中隊ともに全滅!」
間髪入れず、別の兵が声を発する。
今度はナディア側の伝令兵だ。
「アリス殿!トロールが……敵軍のトロールたちが動き出しました!数は二十以上!破城槌を持っています」
「!!」
「ナディア第二中隊が交戦中!破られれば西の守りが突破され、一気に市壁まで到達されます!」
アリスとジルが顔を見合わせる。
「来たか……」
重厚な鎧を鳴らして、ロザンが立ち上がった。
「分かった。今度は俺が出よう」
長大な槍の石突で床を突き、踵を返す。
「いえ、お待ちください、ロザン将軍。もう一度私たちが行きます」
その背を、アリスが呼び止めた。
「君たちは今戻ってきたばかりだろう。次は俺の番の筈だ」
ロザンは振り返って言う。
「私より、ロザン将軍のほうが指揮官に相応しい。それに私たちは前線の方が向いています」
「よく言う。ボロボロじゃないか。魔力も使い果たしているだろう」
「大丈夫です」
ロザンはアリスの透き通るような藍色の瞳を見据えた。
アリスも正面からそれを受け止める。
――やがて、根負けしたようにロザンは眼力を緩めた。
「……分かった。悔しいが、確かに戦場では俺よりアリス殿のほうが活躍できるだろう。しかし最低限の治療はしていけ。ナディア総大将の君が倒れたら、士気は一気に崩壊する。そうなったら俺達は全滅だ。それだけは自覚しておいてくれ」
「はい、もちろんです。ロザン将軍」
アリスは僅かに表情を緩めて頷いた。
そして管制室を出ていく。
ジルが無言でその後に続いた。
「ふ……この状況で笑うか、少年」
ロザンは人知れず息をついた。
「……死ぬなよ」




