13.絶望の始まり
ストニアの城塞内は、にわかに騒がしくなっていた。
現場指揮官の怒号ともとれる指示が飛び交い、甲冑を来た軍人たちがガシャガシャと金属音を鳴らしながら慌ただしく城内を行き交う。
「アリス、お前、どこ行ってたんだ」
城塞の最上階に設置された管制室に駆け込んだアリスに、最初に声を掛けたのは赤銅色の短髪に琥珀色の瞳の大柄な少年。
〈星芒騎士団〉九番隊”暫定隊長”のシュカだ。
「ごめん!森でちょっと契約してた――状況は?」
管制室にはすでに王国軍・グランディス軍双方の主要な幹部が集まっていた。
「おそらく、あまり時間がない」
落ち着いた声で言ったのは、重厚な全身鎧に身を包んだ長身の男。
年のころは四十代半ばと言ったところか。
長い黒髪を頭頂部付近で無造作に束ね、口の上には見事な髭を貯えている。
男の名はロザン。
グランディスが誇る三人の将軍の一人で、アーセラに残ったドラグ将軍に代わり、今回ストニアに配備されたグランディス軍の総司令官だ。
「妖魔どもはすでに東の湿地帯を抜けてこちらに向かっている。もう間もなく肉眼でも捉えられるだろう。偵察兵の話だとその数はおよそ……三千だ」
「三千……!」
アリスは思わずその言葉を繰り返した。
Ψ
時刻は、二十二時三十分。
アリス達は管制室を出て、ストニア市壁の上に移動していた。
要塞都市ストニアは平原の高台にある。
街の北方は山、西方は森。
そして南と東は広大な平原だ。
十メートルを超える市壁の上からは、平野の遥か遠くまで見渡すことができる。
「……来たか」
ロザンが厳かに言った。
彼の眇められた視線の先、丘隆の向こうから黒い点が見える。
黒い点は次から次へと生み出され、徐々に平野に広がっていく。
「おいおい、アレ全部妖魔かよ……すげえ数だな」
アリスの隣で額に手を当てながら蠢く集団を眺めながら、ジェイクが愚痴っぽく言う。
この灰髪の少年は、いつの間にか討伐軍の幹部に混じって、ちゃっかりと市壁の上にいた。
本来なら他の冒険者たちと一緒にすでに戦闘配備についている筈だ。
(どうやって抜け出してきたんだよ……)
アリスはもはや呆れを通り越して、感心してしまう。
「向こうも全軍での総攻撃ってカンジだな。やつらも少しずつ数を削られ続けて、焦れたってか?」
というシュカに、
「ああ。そのようだな」
ロザンは頷いた。
「本来は敵の居城を割り出すのが我々の任務だったがな。まあ、だらだらとゲリラ戦をやられるよりは、こちらとしてもありがたい」
「でも、どうやら肝心の【妖魔皇帝】はいないみたいですね」
「『高等妖魔』も見当たらないな」
アリスとジルは双眼鏡で妖魔の群れを観察している。
「そもそも『高等妖魔』というのはどれも希少種だろう。いくら各個体が強力と言っても、あまりに少数では集団戦に組み込むのは難しいはずだ」
ロザンは特に気にした様子はない。
「そらそうだろ。そんなにたくさん高位の妖魔なんかがいて堪るかよ」
ジェイクはさも当たり前、と言うような口ぶりだ。
「しかし……聞いていたより多い。五千はいるんじゃないか。この数じゃあ、砦の聖石もほとんど効き目はないな」
八番隊隊長セヴェンの言葉に、
「五千!?おいおい聞いてねえぞ、三千じゃなかったのかよ!」
ジェイクはアリスの双眼鏡をひったくって、徐々に全貌が見えてきた妖魔の群れを見渡す。
「しかもどういう訳か、上位種の割合が多いようです。その上、完全武装……」
双眼鏡を奪われたアリスはジロっとジェイクを一瞥してから、溜め息をついてセヴェンとジルのほうを向く。
ジルは「ああ」と頷いた。
「これはもう、ただの討伐じゃない――戦争だ」
月明りの下、妖魔の軍勢が刻々と砦に近づいてくる。
「向こうは五千、こっちは三千、か。負けることはねえにしろ、あの上位種の数と武装を見ると、楽に勝たせてはもらえなさそうだな」
「特に今は夜だしね……」
シュカの感想にアリスも同意した。
――ウルアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ――……
数千の妖魔たちの唸り声が地響きのように大地を震動させる。
「ロザン将軍!敵軍勢の先頭が警戒ポイントを超えました!――来ます」
長大な望遠鏡で敵軍勢を注視していたグランディス兵が、ロザンに向かって叫んだ。
ロザンは頷くと討伐軍を振り返り、そして声を張り上げた。
「迎え撃てぇ!!グランディス軍!!!」
低く、力強く、腹の底に響くような朗々たる号令。
「王国軍も続け!」
次いでアリスも目一杯叫ぶ――が、我ながらロザン将軍に比べて迫力が全然足りない。
心なしか声が裏返っていたし。
『ウオオオオオオォォォォォォォォッ!!!!』
アリスの内心の反省とは裏腹に、討伐軍は指揮官たちの号令に呼応して勇ましい鬨の声を上げた。
「門を開け!出撃だぁっ!市壁に汚い指一本触れさせるなよ!!」
「お、王国軍も出撃!」
その時だった。
「――アリス隊長殿!!」
アリスの背に、切羽詰まった声が掛かる。
ナディアの伝令兵だ。
ストニア城塞の管制室との連絡係を担う、若い王国兵。
振り返ったアリスに、その兵士は魔力を帯びた魔水晶を片手に顔面蒼白のまま叫んだ。
「北の山から、新たに敵影!その数、五千!!」
「ごっ――!」
五千!?と、アリスが最後まで発音する前に、
「ろ、ロザン将軍っ!!」
それを掻き消すように別の兵士の叫び声が被さる。
今度はグランディスの伝令兵だった。
その中年の男の発する声は、もはや悲鳴と言ってもいい。
そして彼は、残酷な現実を告げる。
「に、西の森から敵影……数は……その数は――五千」
音が消えたように、市壁の上が静まり返った。
やがて、ロザンが苦虫を噛みつぶしたような顔で吐き捨てた。
「――総勢、一万、五千……だと」
「……ロザン将軍、アリス隊長殿」
先ほどアリスに報告をしたナディアの若い伝令兵が、おずおずと声を発する。
その顔は、もはや蒼白を通り越して、土色だ。
「この期に及んで、今度は一体何だ!」
ロザンの口調が僅かに荒くなる。
無理もない。
良いニュースでないことは、分かり切っている。
「せ、線路が……王都とアーセラを結ぶ魔石列車の線路が……何者かによって破壊されているとのこと……!――王都からの援軍は不可能です」
ガシャ。
金属と固い石がぶつかる鈍い音を響かせて、グランディスの伝令兵は力が抜けたように市壁の石床に膝を突いた。
「か、勝てる訳がない……」
時刻は二十三時。
絶望的な防衛戦の始まりだった。




