12.精霊の契約と緊急招集
グランディス公国首都アーセラから北東におよそ十数キロ。
山岳地帯の多いグランディス領にあって、比較的起伏の少ない平原に、その街はあった。
――要塞都市ストニア。
頑丈な石の市壁で囲まれたその都市の最北端に聳え立つ堅牢で無骨な城が、要塞都市と呼ばれる所以だ。
この街の面積のおおよそ四分の一を占める巨大な砦。
六十年前、ナディア建国戦争の折に、首都アーセラを落とされた当時のグランディス王が最後に立て籠った場所でもある。
かつての最後の砦が、今は妖魔討伐の前線基地となっていた。
依然として【妖魔皇帝】の居城は不明だが、その位置は少しずつ絞り込めてきている。
このストニアからそう遠くないところに、妖魔たちの親玉がいることは恐らく間違いない。
”要塞都市”とは言え普段は三万を超える人々が暮らすこの街も、前線基地となった現在は、一般市民のほとんどが近隣の街に避難している。
駐留するグランディス軍および王国軍の兵士三千の他は、軍の非戦闘員およそ五百名と街の機能維持に最低限必要な者が千人程度いるのみだ。
そのため、城塞の中は六十年ぶりに慌ただしく軍人たちが入り乱れている一方で、一歩城壁を出れば、街中とは思えないほど人影は少なく閑散としている。
特に、今は夜。
平時ならまだ酒場で盛り上がる酔っ払いたちの喧騒も聞こえるような時間帯だが、この緊急時にあっては、ほとんど無人の街と言っていい。
そんな物悲しい街道を抜け、市壁内に人工的に造られた小さな森に足を踏み入れようとする人影が、一つ。
小柄で華奢な少女だ。
ダークブラウンのショートヘア。
前髪は額の中央付近でぱっつんに切りそろえられていて、もともとの童顔も相まってあどけない印象を強調してしまっている。
瞳は翡翠のような深い緑色。
〈星芒騎士団〉七番隊所属。
入隊してまだ二週間足らずの新米騎士、サラだ。
少女は心なしか、浮かない顔をしていた。
(今日も、ほとんど役に立てなかった……)
鎧こそ付けてはいないが、右手には、細剣。
幼く可憐なその少女にはあまり似つかわしいとは言えない。
(……)
サラは夜の森のあまりの暗さに、入り口で一瞬足を止め躊躇するが、
(少しでも早く一人前に……ううん、せめて足手纏いにならないようにしないと……!)
意を決したように、小さな手を胸の前でぐっと握ると、森の中へと入っていく。
この森は、主に軍事訓練用に造られたものだ。
無論、森林内での戦闘を想定して設計されているが、中心付近には拓けた場所もあり、ひとりでこっそり鍛錬をするにはちょうどいい。
この時間帯に城壁内の訓練場では周囲に迷惑になりかねないし、何より隊長や先輩たちからはゆっくり体を休めるように指示されている。
サラは魔物がいるわけのない人工の森の中を恐る恐る進みながら、ふと、その気配に気づく。
(誰かいる……!)
彼女の向かう先、木々の密集していない森の中心部には別の人影があった。
先客だ。
華奢で小柄な体躯。
亜麻色の艶やかなポニーテール。
青空のような藍玉の瞳。
左の手にした、抜き身の細剣。
”絶世の美少女”という形容が思わずサラの脳裏をよぎるくらい、完璧に整った美貌。
一見すると、とても男性とは思えない。
……もちろん、本人には言えないけど。
(アリス先輩……じゃない、隊長)
誰にも咎められないのに、サラは内心で訂正した。
(でも、こんな時間に何を……?)
だが、その答えはすぐに分かった。
自分と同じだ。
訓練をしているのだ。
ただ、そのレベルには雲泥の差がある。
(あれは……もしかして、精霊魔法の契約の儀式?新しい魔法が発現したんだ……!)
少年の足元には輝きを放つ円形の魔法陣。
そこから風が舞い上がるかの如く、彼の亜麻色の髪がゆらゆらと揺れている。
(隊長は、まだ強くなるんだ……)
自分の所属する隊のトップがさらに強くなる。
もともと養成学校の中でもずば抜けていたのに、さらに強く、もっと強く。
これ以上心強いことはない筈だ。
しかし、サラは自分が複雑な心境であることを自覚していた。
(私なんか……)
後ろ向きな感情に支配されそうになり、少女は物理的に顔を左右に振って、それを振り払う。
気持ちを切り替えた後で、純粋な好奇心が湧いてくる。
(……なんの魔法だろう?)
「――うん。あれは、火の精霊魔法だねぇ。しかも高位魔法だ」
「ひゃっ!」
突然背後から駆けられた声に、サラは思わず悲鳴を上げていた。
振り返ると、そこには水色の髪の少女。
部屋着にカーディガンを羽織っただけの、ラフな格好だ。
「り、リリィ先輩……!どうしてここに?」
「サラちゃんが宿舎を出ていくのが窓から見えたから」
「す、すみません!勝手に出てきてしまって……!」
「しー。今は大事なところだから、アリスくんの集中を乱しちゃだめだよ」
リリィはサラの唇にそっと人差し指を当て、にっこりと微笑んだ。
「精霊魔法は“発現”した後に、ちゃんと精霊と“契約”を交わさないといけないからね」
それから、目でアリスを示す。
サラもそれに倣って視線を魔法陣の中心にいる少年に向けた。
ふたりの視線の先で、少年は左手の細剣を胸の前に掲げ、目を閉じていた。
足下の魔法陣の光が刻々と輝きを増し、吹き上がるエネルギーが高まっていく。
先ほどまでゆらゆらと揺れていた亜麻色の髪は、今やバサバサと激しく靡いていた。
そして唐突に――
ゴウッ!!
二十メートル以上も離れたサラの顔にも届くような熱風。
気づくとアリスは赤く燃え盛る炎に包まれていて、その姿が見えない。
「!」
驚くサラの肩に優しく手を置き、リリィは囁いた。
「大丈夫――契約は、成立した」
リリィの言う通り、数十秒の後、激しく燃え上がっていた火炎が何の前触れもなく収まると、そこには傷一つないアリスの姿。
亜麻色の髪の少年は細剣を腰の鞘に納めると、少しだけ疲れたようにふう、と息をついてから、
「あれ、リリィ?サラ?どうしたの?」
驚いたようにその空色の瞳を大きくしてこちらに向けた。
「あ!あの、これは、その……」
見てはいけないものを覗き見てしまったような気になって、しどろもどろになるサラ。
それを見てリリィはふふ、と小さく笑ってから、
「ちょっとふたりで訓練に、ね?」
と悪戯っぽくサラにウィンクをして、アリスの下へ向かう。
「え、あ……はい」
サラは慌てて頷く。
アリスは溜め息をついた。
「ちゃんと体を休めなきゃダメじゃないか」
「うーん、今のアリスくんがそれ言っても、説得力ないと思うなぁ」
リリィが笑うと、「う、確かに……」とアリスも苦笑した。
「それよりアリスくん。今のは《大炎》だよね?……炎系の全ての高位魔法の基礎になる魔法」
リリィが訊くと、
「うん。そう」
アリスは頷いた。
「これでやっと《大炎球》の暴走を抑えられるし、消費魔力も大分セーブできるよ。もうちょっと実戦でも使えるようになるかと」
「ついに魔法でも完全に追いつかれちゃったなぁ」
そう言ってリリィは微笑んだ。
「いや……魔法の階位が同じになったところで、リリィの魔力にはとうてい敵わないよ」
アリスは少し照れたように首を振った。
高位魔法を習得した者は『魔導士』階級として認定される。
他国に比べて魔力を持つ者が多いナディアにおいても、『魔導士』クラスはほんの一握りだ。
ちなみにアリスがすでに習得していた《大炎球》もれっきとした高位魔法だが、本来は先に習得しているべき《大炎》をすっ飛ばしての極めて異例な状況な上に、十分に操れていたとは言えないことから、今までは一つ下の階位である『魔法士』クラスとされていた。
「……先輩たちはすごいです。それでなくても強いのに、もっと強くなるんですね……」
サラは小さく呟いた。
(それに比べて私は……)
そして心の中で思わず付け足している自分がいる。
サラの浮かない表情を見て、アリスとリリィは顔を見合わせた。
「サラ、今は――」
「サラちゃん、あのね――」
二人が同時にサラに声を掛けようとした、その時だった。
キィィン、キィィン、キィィン――
アリス、リリィ、そしてサラの耳飾りの紅石が、同時に甲高い音を奏で始めた。
――呼声の魔石の着信音だ。
「はい。こちらアリスです」
間を置かず、ただちにアリスが応答する。
リリィもそれに続き、サラも慌てて魔石に魔力を込めた。
『――こちらジルだ、アリス。リリィとサラも一緒か?』
「ええ、そうですが」
『お前たち、今どこに居る?』
アリスの応答にやや被せ気味にジルが問う。
「えーと、森の訓練場ですが……」
『すぐに戻ってくれ』
いつも穏やかなジルの声は、心なしか少しだけ緊迫しているようだった。
「……何かあったんですか?」
リリィが訊くと、一瞬だけ間をおいて、ジルは告げた。
『たった今、緊急連絡が入った――妖魔の大群が、このストニア要塞に向かっているらしい!』
「!!」
アリス達が同時に息を飲み、お互いの顔を見る。
『ストニアに駐留しているナディアの討伐軍はみな、アリス、お前の指示を待っている』
「グ、妖魔の……大群……!!」
サラの顔が一気に青ざめていく。
「分かりました。すぐに戻ります――ふたりもすぐに装備を整えて!」
そう言が早いか、アリスは駆け出す。
「サラちゃん、行こう!」
リリィもサラを促してから、アリスに続く。
「……は、はい!」
サラは蒼白な表情のまま二人の後を追った。




