全国、学力テストの結果、西さくら小学校で異常値が見つかる。そこで・・
全国学力テストの結果、西さくら小学校だけ、他の東京都の平均値を上回っていた。同じプログラムのAI教師の活用の中では・・・・
エーアイ教師は、とても高価な存在だった。精密な電子機器の塊であり、定期的なメンテナンスも欠かせない。そのため開発段階から、どのような状況でも転倒しないよう、最新の姿勢制御システムが組み込まれていた。万が一転べば、内部の精密機器が損傷する恐れがある。その安全性が認められたことで、エーアイ教師は全国の学校へ急速に配備されていった。だから、子どもたちは誰一人として、教師が転ぶ姿を見たことがなかった。
夏休みが明け、九月になった。そんなある日。宇野サキは、校舎の階段へ向かう滝口透先生の後ろ姿を見つけた。
「あれ?」
思わず足を止める。先生なのに、エレベーターを使わないんだ。当時、教師は専用エレベーターで移動するのが当たり前だった。階段には転倒や落下といった危険があるため、安全が確保されたエレベーターを使用することが義務づけられていたのである。もし階段で作業が必要な場合は、管理職や事務職員が対応する。それほどまでに、エーアイ教師は大切に扱われていた。
サキは何となく気になり、そのまま階段へ目を向けていた。その瞬間だった。滝口先生の足がもつれ、最後の一段を踏み外した。
「あっ……危ない!」
思わず声が漏れる。先生の体がぐらりと揺れ、そのままバランスを崩した。
ドンッ。
鈍い音を立てて、滝口先生は階段下にお尻をついてしまった。サキは息をのんだ。
……えっ……。
頭の中が真っ白になる。エーアイ教師が……転んだ。あり得ない。サキは、今まで十二年間生きてきて、一度も見たことがなかった。見てはいけないものを見てしまったような感覚だった。
ところが、滝口先生は何事もなかったかのように立ち上がると、ズボンについたほこりを払い、お尻を軽くパン、パンと叩いた。
「いやあ、年を取ると足がもつれるな。」
誰に言うでもなく、小さくつぶやくと、そのままゆっくりと階段を下りていった。
「えっ」
サキは、その場から動くことができなかった。胸の奥で、小さな違和感が静かに大きくなり始めていた。
九月のその日、たまたま加藤あきは、西さくら小学校を訪れて いた 。理由は、学校視察の原因である。文部科学省にメールを送ったのは自分、そして私は母校であることを伝えたかった。校長室へ案内されると、高藤幸一郎校長が穏やかな表情で迎えた。
「今日は、わざわざありがとうございます。」
加藤は深く頭を下げた。
「校長先生、突然の視察の件、大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありませんでした。あの原因は私です。学校にご迷惑をおかけしたのではないかと思い、一度きちんとお詫びをしたくて伺いました。」
高藤校長は、ゆっくりと首を横に振った。
「そんなに気になさらないでください。学校のことを心配してくださったお気持ちは、ありがたく受け止めています。」
その言葉に、加藤はほっと胸をなで下ろした。校長室を出ると、中央玄関へ行く途中だった。
ふと、階段の方へ目を向ける。
一人の人物が、二階の廊下から階段を使って一階へ下りてくるところだった。時間講師の滝口透先生である。
……あれ?
加藤は小さく首をかしげる。教師が階段を使っている。今の時代、エーアイ教師は安全確保のため、校舎内の移動は専用エレベーターが原則だった。階段を利用する姿など、ほとんど見ることはない。
その瞬間だった。滝口先生の足が、一段踏み外した。
「あっ……。」
体がぐらりと揺れる。次の瞬間、滝口先生はバランスを崩し、お尻から階段へ座り込むように転んだ。
ドンッ。
鈍い音が静かな廊下に響く。加藤は思わず息をのんだ。
「……」
―エーアイ教師が……転んだ?
そんなはずはない。転倒しないよう設計されているはずのエーアイ教師が、目の前で転んだのである。そして照れ笑いを浮かべながら、そのまま職員室へ歩いていった。加藤はしばらく、その場から動くことができなかった。さっきまで胸につかえていた謝罪の気持ちは消えていた。代わりに、新たな疑問が心の中に生まれていた。
――今、私は何を見たのだろう。。
加藤あきは、方向を変えて、校長室へ向かった。そして校長室へ戻ると、高藤校長が加藤の表情を見て、
「……見ましたか。」
加藤は驚く。
「校長先生は、ご存じなんですか。」
校長は少し黙ってから、
「私は、あの先生を処分したいとは思っていません。」
「すみません。もう少しだけ、もう少しだけ、見守っていただけませんか。」
校長は、それを伝えるのが精一杯だった。
学力テスト結果
秋になった。校庭を彩っていた運動会も無事に終了し、今年はみごと白組が優勝した。そして子どもたちはいつもの学校生活へ戻っていた。
四年生から六年生を対象に、四教科の全国学力テストが実施された。結果は例年より一部の教科で少し良かった。東京都は、ほぼすべての小学校でエーアイ教師が導入されているため、どの教科も全国トップクラスの平均点を記録していた。一方、エーアイ教師の導入が進んでいない地方の県では、依然として平均点が低い傾向にある。データ的には、エーアイ教師がいる東京には敵わない形だ。
その差は、毎年ほとんど変わらない。しかし、文部科学省データ活用チームの大型モニターに、一つの異常値が映し出された。
「……江戸川区西さくら小学校?」
担当者は画面を見直した。四年生と六年生の理科。その二学年だけが、東京都の平均点を大きく上回っていたのである。
あり得ない――。都内のエーアイ教師は、すべて同一プログラムで運用されている。学校によって多少の誤差はあっても、ここまで差が生じることはないはずだった。報告書は、すぐに安藤のもとへ届けられた。安藤はデータを眺めながら、腕を組む。
「うーん……おかしいな。」
隣にいた加藤あきが画面をのぞき込む。
「何かありましたか?」
「見てくれ。同じプログラムで動いているはずなのに、江戸川区の西さくら小学校だけ理科の成績が飛び抜けている。」
加藤も目を丸くした。
「本当ですね……。ここって、以前視察に行った学校じゃありませんでしたか?」
加藤、白々しい。
「ああ。」
安藤は苦笑した。
「あの”ポンコツエーアイ教師”がいた学校だ。」
しばらく沈黙が流れる。やがて安藤が、小さくつぶやいた。
「もしかすると……。」
加藤が顔を上げる。
「何か心当たりが?」
「表向きは同じエーアイ教師でも、別の高性能なエーアイを隠して、それを運用している可能性もある。」
加藤は静かにうなずいた。
「それなら説明がつきます。」
安藤は立ち上がり、資料を閉じた。
「今回は正式な査察団を編成しよう。前回みたいな簡単な視察じゃない。査察だ。大掛かりに徹底的に調べる。」
「はい。すぐに手続きを進めます。」
加藤はそう答えると、急いで担当部署へ連絡をした。安藤は再びモニターに映る『西さくら小学校』の文字を見つめた。
……何かがおかしい。その違和感は、静かに、しかし確実に大きくなり始めていた。安藤は資料を机の上へ放り投げると、大きく息を吐いた。
「俺たちは、たぶん前回、うまくはぐらかされた。」
加藤あきが顔を上げる。
「はぐらかされた……ですか?」
「ああ。」
安藤は西さくら小学校の資料を指差した。
「校長は、あのポンコツエーアイ教師にわざと俺たちの目を向けさせたんだ。その間に、本当に優秀なエーアイ教師を隠していたんじゃないか。」
加藤は黙って耳を傾ける。
「この規模の学校なら、エーアイ教師は二十八体ほどいるはずだ。」
安藤は資料をめくった。
「前回、俺たちが確認できたのは十体程度。あのポンコツエーアイ教師に時間を取られてしまった。残りの教師は、ほとんど見ていない。」
そう言うと、安藤は腕を組み、鋭い目で資料を見つめた。
「今度は違う。」
その声には、確かな決意が込められていた。
「確認できていないエーアイ教師を一体残らず徹底的に調べる。校長は何か隠している。おそらく間違いない。」
少し間を置いて、安藤は苦笑した。
「どうも東京都の校長会とは、昔からソリが合わないんだ。」
半ば愚痴のようなその言葉に、加藤は小さく苦笑する。しかし、その表情はすぐに引き締まった。
……本気だ。
今回は前回のような視察では終わらない。徹底的な調査になる。加藤は静かに心の中でつぶやいた。
(私も、母校だからといって、あのポンコツエーアイ教師に振り回されている場合じゃない。この前見た転んだ内容のことは、ここは内緒のままで行くしかない。)
真実を確かめなければならない。その思いを胸に、加藤は査察団の編成へ向けて歩き始めた。査察団の編成書類に目を通しながら、安藤は静かにつぶやいた。
「絶対に見逃すわけにはいかない……。」
その言葉を聞いた加藤あきは、不思議そうな表情を浮かべた。
「安藤さん、どうして、そこまで気になるんですか?」
安藤は机の上の資料を軽くたたいた。
「君は、エーアイ教師がここまで大きく全国に広がるまで、どれだけ時間がかかったと思う?」
突然の質問に、加藤は首を横に振った。
「いえ……。」
安藤は静かに椅子へ腰を下ろした。
「最初にエーアイ教師を提案したのは、前任の佐藤さんだ。教師不足を解消するための、壮大な構想だった。」
加藤は黙って聞いている。
「だが、誰も相手にしなかった。『教師は人間だから意味がある』『子どもの心はエーアイには育てられない』。反対意見ばかりだった。」
安藤は遠くを見るような目をした。
「佐藤さんは定年を迎え、途中でプロジェクトを俺に託した。」
部屋は静まり返る。
「俺は、あの人の夢を終わらせたくなかった。」
その一言には、長年積み重ねてきた思いが込められていた。
「全国の教育委員会を何度も回った。地方議会へ説明に行き、大学の研究者とも議論した。財務省には予算を削られそうになり、そのたびに資料を作り直して説明した。」
安藤は苦笑した。
「何十回、何百回プレゼンしたか、もう覚えていない。」
加藤は思わず聞き入っていた。
「ようやく国の予算が認められた。それでも終わりじゃない。今度は自治体ごとの導入だ。」
安藤は机の上の日本地図を指でなぞる。
「北海道から沖縄まで、一つ一つ説得して回った。教育長、校長、保護者代表……。『本当に子どもを任せていいのか』と、何度も問い詰められた。」
一度言葉を切る。
「それでも俺は信じた。」
安藤の声が少し強くなる。
「教師不足で授業ができない子どもを、とにかくなくしたかった。どこの学校でも、同じ水準の教育を受けられる国にしたかった。法律に書いてあるしな。」
加藤は初めて、安藤の背負ってきたものの重さを知った。
「十年かかった。」
安藤は静かに言った。
「ようやく全国へ広がったんだ。」
そして、西さくら小学校の資料を手に取る。
「だから、この数字を見過ごすわけにはいかない。」
その視線は鋭く、揺るがない。
「もし、あの学校だけ別のエーアイ教師が動いていたら、この仕組みそのものが崩れる。全国で積み上げてきた信頼も、一瞬で失われる。不平等になる。」
加藤は静かにうなずいた。ようやく分かった。安藤が守ろうとしているのは、単なるシステムではない。佐藤から受け継ぎ、自らの人生を懸けて築き上げてきた、日本の教育改革そのものだった。平等に教育を受ける権利の保障だった。査察団の編成を進めながら、安藤は西さくら小学校の予算資料を一枚一枚めくっていた。そのときだった。
「あれ……。」
一つの項目に、視線が止まる。時間講師。安藤は資料を手に取り、金額を確認した。
「今年度、西さくら小学校に計上された予算か……。」
額としては決して大きくない。むしろ、文部科学省の予算全体から見れば、見過ごしてしまうほどの小さな数字だった。しかし、安藤は眉をひそめる。
「東京都の学校では、ほとんど見かけない項目だな……。」
地方では珍しくない。教員不足を補うため、時間講師を配置する学校は今でもある。だが、この当時になると東京都は違う。エーアイ教師の導入によって、時間講師の予算はほぼ不要になっていた。安藤は資料を机に置き、ゆっくりと腕を組む。
「ははあ……。」
その目が細くなった。
「この予算を使っているのか。」
加藤が振り向く。
「どういうことですか?」
「校長会が、この時間講師の予算を別の目的に回している可能性がある。」
安藤は資料を指で軽くたたいた。
「表向きは時間講師。しかし実際には、独自のエーアイプログラムを開発する資金に使っているのかもしれない。」
加藤の表情が引き締まる。確かに、理屈は通る。エーアイ教師は文句も言わず、一週間二十八時間の授業を正確にこなす。疲れることもなく、感情に左右されることもない。そのため東京都では、教員不足対策として急速に普及した。
一方で近年は、「子どもたちの個性や感性を育てるには、画一的なエーアイ教師だけでは限界がある」という意見も増え始めていた。
その結果、音楽や図工、社会科、そして総合的な学習などでは、学校ごとに特色のあるエーアイ教師が配備されるようになった。とはいえ、基本となるプログラムは全国共通である。
違うのは話し方や雰囲気、授業の演出程度。学習内容そのものに差が生まれることはない。だからこそ、西さくら小学校の理科だけが突出した理由を説明できない。
安藤は再び予算書へ目を落とした。
「……この予算、怪しい。」
静かな声だった。しかし、その一言には確信にも似た響きがあった。加藤も小さくうなずく。
西さくら小学校には、まだ何か隠されている。
二人は、そう信じ始めていた。そして数日後……。正式な決定が下された。十一月十一日。文部科学省査察団が、西さくら小学校へ派遣されることが決定した。
一ヶ月後、西さくら小学校に来ることが決まった。誰も知らなかった。その査察がきっかけで、日本を揺るがす事件が起きることになることを。
いじめは、このエーアイ教師が導入された時代になっても、決してなくなってはいなかった。
いや……むしろ以前よりも、表面には見えにくく、陰湿な形へと姿を変えていた。インターネットの普及により、より見えなくなってきている。だからこそ、人の心を育てる教育は、これまで以上に求められていた。便利になればなるほど、人は効率を求める。しかし、その一方で、人を思いやる心まで、効率化できるわけではない。楽をしたいという欲望が、人間の弱さを生み出すこともある。
そんな時代の中、西さくら小学校のいじめ調査の結果だけは、不自然なほど良好だった。
昨年度と比べても、いじめの認知件数は大きく減少している。他校では横ばい、あるいは増加傾向にあるにもかかわらず、この学校だけが違っていた。
……何かがおかしい。
安藤は資料を静かに閉じた。この数値は、本当に子どもたちの現実を映しているのか。それとも、誰かの都合によって作られた数字なのか。校長会が絡んでいるのではないか――そんな疑念が、安藤の胸の中で日に日に大きくなっていた。そして、その中心にいるのは……。
「やはり、校長会が独自に開発している最新のエーアイ教師か……」
安藤は低くつぶやき、拳をぎゅっと握り締めた。
「ちくしょう……。徹底的に調べ上げてやる。」
滝口透先生は、授業の合間や休み時間になると、決まって校舎の廊下や校庭へ出ていった。向かう先は、いつも同じだった。いじめが起きているのではないかと噂される教室や廊下、校庭。特別なことをするわけではない。ただ近くをゆっくり歩き、ときには立ち止まり、子どもたちの様子を静かに見つめていた。教室から出てきた子どもの表情が少しでも曇っていると、その子の前で、穏やかな声で話しかける。
「どうしたのかな? 今日の調子はどう?」
それだけだった。問い詰めることもしない。無理に話を聞き出そうとすることもない。その言葉は、いじめられている子にも向けられた。そして、いじめている側かもしれない子にも、まったく同じように向けられた。誰かを疑うことなく、誰かを決めつけることもなく、ただ同じ距離で寄り添い、静かに見守り続ける。
そんな日々が、四月から今日まで、一日も欠かさず続いていた。宇野サキは、その光景を何度も目にしていた。廊下を歩く滝口先生の姿を見るたび、不思議と胸の奥が温かくなる。
……何だろう。この安心感。最新のエーアイ教師だからなのだろうか。
いや……。違う気もする。サキは首をかしげた。答えはまだ見つからない。それでも、滝口先生の周りだけは、どこか優しい時間が流れているように感じられた。
文部科学省の安藤たちは、その数値から、何かの組織が関与していると読み、査察団を送り、徹底的に調べることになる。この後・・予想をしない展開へ




