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第十一章 リリアーナ編:エレノア様が女神として信仰されているですって!? 最高ですわああああああああああああああああ!!!!

 大神殿の朝は、祈りから始まる。

 高い窓から差し込む光が、白い石造りの礼拝堂を淡く照らしていた。

 正面には、慈愛を象徴する女神像。

 その前には、白い聖衣をまとった少女が立っている。


 聖女リリアーナ。


 薄いヴェールの下で、緩やかに波打つ白銀の髪をまとめている。雪のように白い肌と、伏せられた青い瞳。線の細い身体を包む聖衣も相まって、黙って祈っていれば触れただけで消えてしまいそうなほど儚げだった。

 黙って祈っていれば、である。

 礼拝堂には、朝の祈りへ訪れた信者たちが並んでいた。


「祈りとは、自分の望みを押しつけるためのものではありません」


 リリアーナの澄んだ声が、静かな礼拝堂へ広がる。


「大切な方の幸福を願い、自らの心を正すためのものです。自分だけが満たされればよいという考えを捨て、その方の御心へ耳を傾けなくてはなりません」


 後方で聞いていた神官長が、感心したように頷いた。

 今日は珍しく、まっとうな説教である。

 リリアーナは信者たちを見渡し、清らかな微笑みを浮かべた。


「さあ、祈るのです」


 信者たちが胸の前で手を組む。

 リリアーナも瞼を閉じた。


「女神エレノア様に」

「ウォッホン!」


 後方に立っていた神官長が、大きく咳払いをした。

 リリアーナは祈りの姿勢を崩さないまま、顔だけを神官長へ向ける。


「何でしょうか」

「聖女様。祈りを捧げるお相手が違います」

「承知しております」


 リリアーナは素直に頷いた。


「では、改めて祈りましょう」


 神官長が安堵する。

 リリアーナは信者たちへ向き直った。


「女神エレノア様に」

「変わっておりませんな!」


 神官長の声が礼拝堂へ響き渡った。

 信者たちは手を組んだまま、二人を見比べている。

 リリアーナは不思議そうに首を傾げた。


「どうして分からないのですか」

「それはこちらの台詞です」

「エレノア様は女神様です。何も間違っておりません」

「エレノア様は、アルヴァイン公爵家のご令嬢です」

「公爵令嬢であり、女神様でもありますわ」

「そのような教義はございません」

「では、書き加えましょう」

「勝手に教義を増やしてはなりません!」

「真実を記さずして、何が教典ですの?」

「まず、その真実とやらを証明してください」

「エレノア様をご覧になれば分かりますわ」

「拝見したことはございますが、人間でした」

「見識が足りませんわね」

「聖女様にだけは言われたくありませんな!」


 神官長の額に青筋が浮かんだ。

 リリアーナは、これ以上話しても理解してもらえないと判断したらしい。

 信者たちへ向き直り、何事もなかったかのように微笑む。


「さあ、皆様。祈りましょう、女神エレノア様のために……」


 信者たちは何の疑問も抱かず、一斉に頭を垂れた。


『女神エレノア様に』


 美しい唱和が礼拝堂を満たす。

 布教は順調のようであった。

 神官長は両手で頭を抱える。

 こうして、聖女リリアーナの一日は始まった。



 ***



 朝の祈りを終えたリリアーナは、大神殿の前庭へ出る。

 そこでは、白銀の聖獣アルシオンが待っていた。

 狼にも獅子にも似た大きな身体。額には淡い光を帯びた角があり、立ち上がれば細身のリリアーナを簡単に隠してしまえるほど大きい。

 リリアーナが近づくと、アルシオンは静かに頭を下げた。


「お待たせしましたわ」


 リリアーナがその頭を撫でる。


「本日は、王都郊外に新しく建てられた礼拝堂の奉献式です。エレノア様も来賓としてお越しになりますの」


 アルシオンが小さく鳴く。


「ええ、遅れるわけにはまいりませんわね」


 リリアーナはアルシオンの背へ乗った。


「参りますわよ!」


 白銀の巨体が地面を蹴る。

 正門を抜け、街道へ飛び出した。

 王都の通りを駆け抜ける聖獣を見て、人々が慌てて道を空けていく。


「アルシオン、もう少し急げませんの?」


 アルシオンが走りながら背中を振り返った。


「エレノア様をお待たせするわけにはまいりませんわ!」


 聖獣は諦めたように前を向き、さらに速度を上げる。



 ***



 王都の外れに完成した礼拝堂は、白壁と青い屋根を持つ小さな建物である。

 周辺にはいくつもの村があるものの、これまで人々が祈りを捧げたり、神官から治療を受けたりできる施設はなかった。

 そこで大神殿とアルヴァイン公爵家が協力し、新たな礼拝堂を建てたのである。


 アルシオンが前庭へ飛び込んだ。


「エレノア様!」


 リリアーナは聖獣の背から飛び降り、白い聖衣の裾を持ち上げて玄関へ駆ける。


「エレノア様はどちらですの!?」


 花を飾っていた若い神官が、驚いて振り返った。


「まだお越しになっておりません」

「よかった。間に合いましたわ!」

「開式は二時間後でございますよ」

「早すぎましたわ!」


 リリアーナの声が、礼拝堂の前庭へ響き渡る。

 アルシオンは疲れたようにその場へ伏せた。

 若い神官は困惑しながらも、リリアーナへ頭を下げる。


「わたくしは、この礼拝堂を任されることになりましたトビアスと申します。本日はよろしくお願いいたします」

「聖女リリアーナですわ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 リリアーナは乱れたヴェールを直し、何事もなかったかのように背筋を伸ばす。


「せっかく早く到着したのです。エレノア様をお迎えする前に、危険がないか確認いたしますわ」

「危険、でございますか?」

「人が集まる場所には、不届き者が紛れ込む可能性もございます」

「警備兵による確認は、すでに終わっておりますが」


 リリアーナはトビアスを見つめた。


「では、エレノア様がお好きな紅茶をお答えくださいませ」

「存じません」


 リリアーナの青い瞳が細められる。


「怪しいですわね」

「普通は存じません!」


 トビアスは即座に反論した。



 ***



 リリアーナによる独自の調査が始まった。

 案内役を任されたトビアスも、困り顔のまま後ろをついてくる。

 最初に呼び止められたのは、式典用の料理を運んでいた料理人だった。


「エレノア様がお嫌いな食材は?」

「さ、さあ……」

「怪しいですわね」

「聖女様、その方は三日前に雇われたばかりです」


 トビアスがすぐさま料理人を庇った。


「だからこそ、事前に確認するべきでしょう?」

「来賓全員の好みを調べていては、式典が来年になりますよ!」


 次に疑われたのは警備兵だった。


「エレノア様のお誕生日は?」

「冬頃だったかと……」

「違いますわ!」

「申し訳ございません!」

「敵ですわね」

「誕生日を間違えただけで敵にしないでください!」


 花を飾っていた神官見習いも捕まった。


「エレノア様が最近お読みになった本は?」

「存じません」

「怪しいですわ!」

「聖女様の方が詳しすぎるんですよ!」


 その後も、リリアーナの調査は続いた。

 楽団員、庭師、御者、清掃係。

 誰に尋ねても、リリアーナが満足する答えは返ってこない。


「この会場、怪しい方ばかりですわ!」

「聖女様の判断基準がおかしいのです!」


 トビアスはすでに疲れ切っていた。

 礼拝堂の中を一周したリリアーナは、ようやく足を止める。

 礼拝堂の最奥。

 女神像の前に、大きな鏡が置かれている。

 人の背丈ほどもある鏡だった。

 縁には銀色の蔓草が彫られ、上部には両翼を広げた鳥の装飾が施されている。

 古い品に見えるが、鏡面には曇り一つない。


「こちらは何ですの?」

「本日の奉献式で使用する聖具でございます」


 トビアスが答えた。


「敬愛の鏡と呼ばれる品で、鏡へ映った方の徳を人々へ伝え、敬愛の心を育むものだと伺っております」


 リリアーナが銀色の縁を見つめる。


「聞いたことがありませんわ」

「地方の礼拝所で長く保管されていたそうです。今回、新しい礼拝堂へ寄贈されました」

「どなたが?」

「巡礼導師のサイラス様です」


 その名を呼ばれたように、一人の男が歩み寄ってきた。

 白と金の法衣。

 胸元には、大きな女神の紋章。

 五十歳ほどに見える男の後ろには、簡素な法衣をまとった二人の従者が付き従っている。二人とも無言のまま、サイラスから半歩離れた位置で足を止めた。

 男は穏やかな笑みを浮かべ、リリアーナへ頭を下げる。


「お初にお目にかかります、聖女リリアーナ様。巡礼導師のサイラスと申します」

「この鏡を寄贈なさった方ですの?」

「はい。長く人目に触れず眠っていた品でございます。このたび、エレノア様が奉献式へご出席になると伺い、ぜひともお使いいただきたいと考えました」

「なぜ、エレノア様に?」

「エレノア様ほど慈悲深く、気高いお方であれば、鏡もきっと素晴らしい祝福を示すでしょう」


 リリアーナの表情が明るくなった。


「見る目がありますわね」

「聖女様」


 トビアスが横から口を挟む。


「急に警戒を解かないでください」

「ですが、エレノア様の素晴らしさをご理解なさっていますわ」

「褒めれば何でも許されるわけではございませんよ」


 リリアーナは鏡へ歩み寄った。

 鏡面に、白い聖衣とヴェールをまとった自分の姿が映る。

 聖なる力を込めず、手をかざした。

 何も起きない。


「祝福を示すとは、どのように?」

「奉献の祈りを受けたあと、鏡へ映った方の徳が参列者の心へ伝わるのだそうです」

「つまり、皆様にもエレノア様の素晴らしさが伝わるのですね!」

「左様でございます」


 サイラスが満足そうに頷く。

 そのとき、低い唸り声がした。

 アルシオンが鏡から距離を取り、銀色の縁を睨んでいるのだ。


「アルシオン?」


 リリアーナが近づく。

 聖獣は耳を伏せたまま、鏡から目を離さない。


「何か感じますの?」


 アルシオンが小さく鳴く。

 警告するような声だった。

 リリアーナは、もう一度鏡へ視線を戻す。


「奉献式が始まるまで、誰もこちらへ触れないようにしてください」


 先ほどまでの軽い調子が消えた。

 トビアスが姿勢を正す。


「承知いたしました」

「アルシオンも、しばらくここに」


 聖獣が鏡の前へ伏せる。

 サイラスの笑みが、ほんのわずかに引きつった。



 ***



 二時間後。

 礼拝堂には近隣の村人や王都からの来賓が集まっていた。

 磨き上げられた長椅子が人々で埋まり、色とりどりの花が女神像の周囲を飾っている。

 やがて、前庭から馬車の音が聞こえた。


「エレノア様がお見えになりました!」


 入口に立っていた神官見習いが、礼拝堂の中へ声をかける。

 リリアーナが勢いよく立ち上がった。


「エレノア様!」

「聖女様、式典中です!」


 トビアスが止めるより早く、リリアーナは入口へ向かう。

 扉が開く。

 淡い青のドレスをまとったエレノアが、ゆっくりと礼拝堂へ入ってくる。

 その半歩後ろには、侍女マリベルが控えていた。


 黒い侍女服。

 白いエプロン。

 きっちりと結われた髪。

 腰には、『お嬢様第一』と刻まれた黒塗りの鉄扇が差されていた。


「エレノア様!」

「リリアーナ様、本日はよろしくお願いいたします」


 エレノアが微笑む。

 リリアーナは胸へ両手を当てた。


「朝からお待ちしておりましたわ!」

「朝から?」

「二時間ほど早く到着なさいました」


 後ろから追いついたトビアスが説明する。


「危険がないか、会場にいる者を全員調べておられました」

「まあ。ありがとうございます」


 エレノアに礼を言われ、リリアーナは誇らしげに胸を張った。


「当然ですわ!」

「ただし、調査方法には大きな問題がございました」

「トビアス様」

「事実でございます」


 マリベルは礼拝堂の奥へ目を向ける。


「お嬢様、あちらの鏡は?」

「奉献式に使われる聖具だそうよ」

「事前の確認は?」

「わたくしがいたしましたわ」


 リリアーナが答えた。


「エレノア様の徳を、参列者の皆様へ伝える聖具とのことです」


 マリベルの目が細くなる。


「問題は?」

「アルシオンが警戒しております」


 リリアーナは誤魔化さなかった。


「いまのところ異常は見つけられておりませんが、念のため近くで見張らせていますわ」


 マリベルはアルシオンと鏡を見比べる。


「使用を中止さたほうがいいかしら?」


 エレノアに尋ねられ、リリアーナは少し考えた。


「鏡へは、奉献の祈りが終わるまで誰も触れさせておりません。わたくしとアルシオンがそばにおりますので、異変があればすぐに止めますわ」

「分かりました」


 エレノアが頷いた。


「無理はしないでくださいね」

「お任せくださいませ!」


 リリアーナは聖杖を胸へ抱く。

 そのとき、礼拝堂の外から大きな物音が聞こえた。

 何かが倒れ、馬が嘶く。


「何事ですか」


 マリベルが振り返る。

 若い従僕が駆け込んできた。


「公爵家から運ばれた寄贈品の馬車が、門前で横転しました!」

「怪我人は?」

「御者が下敷きになっております!」


 マリベルはすぐに動く。


「お嬢様。確認してまいります」

「ええ、お願いします」

「おそばを離れますが、危険を感じた場合はすぐに礼拝堂を出てくださいませ」

「分かっています」


 マリベルはリリアーナへ視線を向ける。


「リリアーナ様」

「エレノア様は、わたくしとアルシオンがお守りしますわ」

「ありがとう。お願いするわ」


 短い言葉を残し、マリベルは礼拝堂を出ていった。



 ***



 奉献式が始まった。

 讃歌が響き、香が焚かれ、新しい礼拝堂へ女神の加護を願う祈りが捧げられる。

 リリアーナは聖杖を掲げた。

 白い光が杖の先から降り注ぎ、祭壇を包み込む。

 清らかな輝きは礼拝堂の壁や床へ広がり、建物に残る濁りを静かに洗い流していった。


「新たなる祈りの場へ、女神様の祝福がありますように」


 凜とした声が響く。

 先ほどまで人々へエレノアの好みを問いただしていた者と、同一人物には見えない。

 祝福の祈りを終えると、サイラスが敬愛の鏡の前へ進み出た。


「続きまして、新たな礼拝堂へ献納された聖具のお披露目を行います」


 参列者たちの視線が、鏡へ集まる。


「この鏡は、徳高き方の姿を映すことで、その御心を我々へ伝えてくださいます」


 サイラスはエレノアへ手を差し出した。


「エレノア様。どうか鏡の前へ」


 エレノアがリリアーナを見る。


「大丈夫ですか?」

「わたくしがすぐそばにおります」


 リリアーナが答えると、エレノアは席を立った。

 淡い青のドレスの裾を揺らしながら、鏡の前へ進む。

 アルシオンが低く唸ったのを見て、リリアーナは聖杖を握り直す。

 鏡面に、エレノアの姿が映った。

 その瞬間。

 銀色の縁に刻まれた蔓草模様が、赤く輝いた。


「エレノア様、離れて!」


 リリアーナが駆け出す。

 しかし、鏡から放たれた光の方が早かった。

 礼拝堂全体が白く染まり、あちこちから悲鳴が上がる。

 やがて光が薄れると、リリアーナは真っ先にエレノアの姿を探す。

 エレノアは鏡の前に立っていた。

 その隣では、アルシオンが彼女を庇うように身を寄せている。

 二人とも無事だったようだ。

 リリアーナは安堵しかけたが、礼拝堂の異様な静けさに気づく。

 先ほどまでざわめいていた参列者たちは、誰一人として声を発さず、ただエレノアを見つめていた。

 やがて、一人の男が椅子から立ち上がる。

 その顔は歓喜に染まり、唇が小さく震えていた。


「女神様……」


 隣にいた女性も、エレノアへ顔を向ける。


「女神エレノア様……!」


 一人。

 二人。

 三人。


 参列者たちが次々に膝をついた。


 神官も。

 警備兵も。

 料理人も。

 楽団員も。


 全員がエレノアへ頭を垂れる。


「女神エレノア様!」

「どうか、我々をお導きください!」

「我らのすべてをお捧げいたします!」


 礼拝堂を埋め尽くす声が、一つに重なっていく。

 その様子を目の当たりにしたリリアーナは青い瞳を見開いた。


「エレノア様が女神として信仰されているですって!?」


 聖杖を胸へ抱き、歓喜に打ち震える。


「最高ですわああああああああああああああああ!!!!」


 礼拝堂の窓が震え、外にいた鳥たちが一斉に飛び立った。

 リリアーナは、エレノアを崇める人々を見渡し、感動に頬を染める


「ついに皆様も真実へ到達なさいましたのね!」


 エレノアは鏡の前で戸惑っていた。


「皆様、どうか立ってください」

「女神様のおそばを離れるわけにはまいりません!」

「私は女神ではありません」

「なんと慎ましいお方だ!」

「そういう意味ではありません!」


 人々は、さらに深く頭を下げる。


「どうか、我々へ命令を!」

「何をすればよろしいでしょうか!」

「何もしなくて結構です。元の席へ戻ってください」

「我々の信仰を試しておられるのですね!」

「試していません!」


 何を言っても通じない。

 エレノアの声に、困惑が滲み始めた。


「皆様、本当におやめください」


 それでも人々は立ち上がる。

 エレノアの言葉へ従うためではない。

 彼女を取り囲むためだった。


「女神様を祭壇へ!」

「もっと高い場所へお座りいただこう!」

「黄金の椅子を用意しなければ!」

「私の家を差し上げます!」

「全財産を捧げます!」

「必要ありません!」


 エレノアが後ろへ下がる。

 人々は熱に浮かされたような顔で、さらに距離を詰めた。


「おやめください!」


 エレノアの声が強くなる。

 だが、誰も止まらない。

 リリアーナの表情から、笑みが消えた。


「……最高ではありませんわ」


 小さな声だった。

 それでも、エレノアには届いた。

 リリアーナは、押し寄せる人々とエレノアの間へ入る。


「皆様、下がってくださいませ」

「聖女様も、女神様へ祈りを!」

「エレノア様は、おやめなさいとおっしゃっています」

「これは女神様が我々を試しておられるのです!」

「違いますわ」


 リリアーナは聖杖の石突きを床へ打ちつけた。

 硬い音が礼拝堂へ響く。


「エレノア様が嫌がっておられるのに崇め続けるなど、信仰ではありません」

「女神様の真意は、我々の信仰を試すことにある!」

「勝手に真意を決めないでくださいませ!」


 リリアーナの周囲へ、白い光が集まっていく。


「エレノア様のお言葉を聞かない者が、エレノア様の信者を名乗らないでくださいませ!」


 跪いていたトビアスが、苦しそうに顔を上げた。


「先ほどまで、信者が増えたと喜んでおられたではありませんか!」

「わたくしの布教は、エレノア様を困らせませんわ!」

「本当でしょうか!?」

「いまは、その話をしている場合ではございません!」


 リリアーナが聖杖を横へ振る。

 白い光の壁が生まれ、押し寄せていた人々をエレノアから遠ざけた。

 誰も倒れない。

 傷つきもしない。

 ただ、それ以上近づくことだけを許さない障壁だった。


「エレノア様、こちらへ!」


 リリアーナが片手を差し出す。

 エレノアは迷わず、その手を取った。


「助かるわ。リリアーナ様」


 その一言に、リリアーナの頬が緩みかける。

 だが、すぐに表情を引き締めた。


「喜ぶのは後ですわ」

「十分、喜んでいるように見えるけれど」

「気のせいですわ!」


 アルシオンが二人の前へ出る。

 白銀の毛を逆立て、敬愛の鏡へ牙を見せた。

 リリアーナも聖具を睨む。


「やはり、あの鏡が原因ですわね」


 そのとき、拍手の音が響いた。

 鏡の隣に立つサイラスが、笑みを浮かべて手を叩いている。


「お見事です、聖女様」


 先ほどまでの穏やかな表情は消えていた。


「まさか、これほど早く異常へ気づかれるとは」

「あなたが仕組んだのですね」

「仕組んだとは人聞きの悪い」


 サイラスはエレノアへ、恍惚とした視線を向ける。


「私は、人々へ信じるべき存在を与えただけです」

「人の意思を奪っておいて、よくそのようなことが言えますわね」


 リリアーナが睨みつけても、サイラスは悪びれなかった。


「迷いは人を苦しめる。何を信じ、誰に従えばよいのか。それを決めて差し上げたのです」

「エレノア様は、そのようなことを望んでおりません」


 サイラスは、聞き分けのない子供を諭すように首を振る。


「女神の真意を、人の言葉だけで測ってはなりません」

「ご本人が、やめてほしいとおっしゃっていますわ!」

「人の姿を取っている以上、女神ご自身も真の御心を理解していないのです」


 リリアーナの眉が動いた。


「ご本人より、あなたの方がエレノア様のお気持ちを理解していると?」

「そのために、私がいる」


 サイラスは胸へ手を当てる。


「私は女神エレノア様の真意を伝える、唯一の預言者となるのです!」


 操られた人々がサイラスへ顔を向けた。


「預言者様!」

「我々をお導きください!」


 サイラスが両手を広げる。


「人々はエレノア様へ財産を捧げる。その財産を管理し、女神の御心に沿って使うのは私だ」

「結局、あなたがお金を欲しいだけではありませんの!」

「信仰には資金が必要なのだ」

「清々しいほどの俗物ですわね!」


 サイラスは、リリアーナを見た。


「しかし、聖女様も同じではありませんか」

「何ですって?」

「朝からエレノア様を女神として布教しておられると聞きました」

「なぜご存じですの!?」

「あなたと私に、何の違いがある?」


 リリアーナは、すぐには答えなかった。

 聖杖を握る指へ力が入る。

 自分も、エレノアを女神と呼んでいる。

 信者たちにも祈るよう勧めている。

 エレノア本人から、女神として布教してほしいと頼まれたことは一度もない。

 自分もまた、エレノアの御心を置き去りにしていたのではないか。


「リリアーナ様」


 背後から、エレノアが名前を呼ぶ。

 責めるような響きはなかった。

 振り返ると、その顔には不安が浮かんでいる。

 それでも、エレノアは目を逸らさず、まっすぐにリリアーナを見つめていた。

 その眼差しを受け、リリアーナの迷いが消える。


「違いますわ」


 サイラスが目を細める。


「何が違う?」

「わたくしは、エレノア様が本当に嫌がっておられるときに、喜び続けたりはいたしません」


 リリアーナはエレノアの前へ立つ。


「エレノア様がおやめなさいとおっしゃったのなら、いまはお守りすることが先ですわ」

「口では何とでも言える」

「あなたが見ているのは、エレノア様ではありません」


 リリアーナはサイラスをまっすぐに見据えた。


「エレノア様の名を使って手に入る、お金と権力です」

「黙れ!」


 サイラスが鏡へ手をかざした。

 銀色の縁が赤く輝く。


「敬愛の鏡よ! 女神を妨げる者を排除せよ!」


 参列者たちが動き出した。

 白い障壁へ、次々と身体を押しつける。


「リリアーナ様」

「お任せくださいませ」


 リリアーナは聖杖を掲げた。


「聖なる障壁よ!」


 白い光が大きく広がる。

 人々は押し戻されたが、誰一人として床へ倒れなかった。

 サイラスの護衛たちが法衣の下から短剣を抜く。

 左右からリリアーナへ迫った。


「聖鎖よ!」


 金色の光が床を走る。

 光は鎖となり、護衛たちの手首と足首へ巻きついた。


「なっ!」

「動けない!」


 男たちの身体が床へ倒れかける。

 リリアーナが聖杖を小さく動かした。

 聖鎖が護衛たちの姿勢を整える。

 両膝が折り畳まれ、足が揃えられた。

 正座である。


「なぜ正座に!?」

「祈りやすい姿勢ですわ」

「大神殿の祈りは正座ではない!」

「侍女のマリベル様は、いつもこの姿勢で反省させておりますもの」

「聖女が侍女を参考にするな!」


 リリアーナは男たちを見比べた。


「右側の方は、膝が少し前へ出ていますわね」

「そこを気にするのか!?」

「あとでマリベル様に直していただきましょう」

「本人を呼ぶな!」


 護衛たちの悲鳴を置き去りにし、リリアーナは鏡へ向き直った。

 赤い光が強くなっている。

 白い障壁へ押し寄せる人々の数も増えていた。


「アルシオン!」


 聖獣がリリアーナを見る。


「エレノア様をお願いいたしますわ!」


 アルシオンは大きく吠え、エレノアの前へ立った。


「リリアーナ様は?」

「わたくしは、あの鏡を止めます」

「一人で?」

「聖女ですので!」


 リリアーナは障壁を維持したまま、鏡へ向かって走った。

 サイラスが鏡の裏へ回り込む。


「来るな!」


 鏡面から赤い光が放たれた。

 刃のような光が床や柱を削る。

 リリアーナは聖杖を回し、正面から光を弾いた。

 衝撃に白銀の髪がほどけ、ヴェールが床へ落ちる。

 波打つ髪が背中へ広がった。

 赤い光が聖衣の袖を掠める。

 白い布が裂けた。

 それでも、リリアーナは足を止めない。


「なぜだ!」


 サイラスが叫ぶ。


「お前も、あの女を女神と崇めているのだろう! 望んでいた光景ではないのか!」

「望んでおりましたわ!」


 リリアーナは迷わず答えた。


「王都中の皆様がエレノア様の素晴らしさを理解し、敬い、毎朝祈りを捧げる日を!」

「ならば、私へ協力しろ!」

「お断りいたします!」


 聖杖が赤い光を打ち払う。


「なぜだ!」

「エレノア様が嫌がっていらっしゃるからですわ!」


 リリアーナは鏡の前まで辿り着いた。

 鏡面には、エレノアの姿が映っている。

 しかし、その表情は本人と違っていた。

 冷たい笑みを浮かべ、跪く人々を見下ろしている。

 サイラスが望む、都合のよい女神の姿だった。


「この方は、エレノア様ではありません」


 リリアーナは聖杖の先を鏡へ向ける。


「エレノア様は、ご自分のために誰かの意思を奪う方ではありませんわ」

「やめろ!」


 サイラスがリリアーナへ飛びかかる。

 その足元へ、金色の聖鎖が走った。

 鎖がサイラスの両足へ絡みつく。


「何っ!?」


 男の身体が床へ倒れた。


「離せ!」

「反省は後でしていただきます」


 リリアーナは鏡から目を逸らさない。


「その信仰は、エレノア様のためのものではありません」


 聖杖から白い光が溢れ出す。


「ただ、あなたの欲望を満たすためのものですわ」

「やめろ! この鏡があれば、誰もが迷わず幸福になれるんだ!」

「自分で選ぶこともできない幸福など、必要ございません!」


 白い光が、敬愛の鏡を包み込んだ。

 銀色の縁に刻まれた赤い文字が、一つずつ消えていく。

 鏡面に亀裂が走った。


「偽りの信仰など――」


 リリアーナは聖杖を振り上げた。


「浄化して差し上げますわああああああああああああああああ!!!!」


 白い光が礼拝堂を満たした。

 敬愛の鏡が砕け散る。

 赤い輝きが消え、礼拝堂を覆っていた異様な熱気も霧のように薄れていった。

 押し寄せていた人々が足を止める。


「私は……何を?」

「なぜ、ここに立っているんだ?」

「全財産を捧げると叫んだような……」


 人々の理性が戻っていく。

 リリアーナは大きく息を吐いた。

 聖杖へ身体を預けそうになり、どうにか踏みとどまる。


「リリアーナ様!」


 エレノアが駆け寄ってきた。


「お怪我は?」

「ございませんわ」


 リリアーナは裂けた袖を後ろへ隠した。


「少し破れただけです」

「それを怪我がないとは言えないわよ!」

「ですが、エレノア様はご無事ですわ!」

「アルシオンのおかげよ」


 エレノアはリリアーナの手を取った。


「みんなを守ってくれて、ありがとう」


 リリアーナの頬が緩む。


「聖女として、当然のことをしたまでですわ」


 そう答える声は、いつもより少しだけ誇らしげだった。



 ***



「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」


 礼拝堂の外から、聞き慣れた絶叫が響いた。

 直後、入口の扉が勢いよく開く。

 黒塗りの鉄扇を手にしたマリベルが駆け込んできた。


「お嬢様!」


 マリベルは真っ先にエレノアのもとへ向かう。


「お怪我はございませんか!? 不届き者は!? 誰を正座させればよろしいでしょうか!?」

「私は無事です」

「本当に?」

「ええ、リリアーナ様が守ってくれたのよ」


 マリベルの動きが止まった。

 礼拝堂の中を見渡す。


 砕けた聖具。

 正気へ戻った参列者たち。

 聖鎖で拘束された護衛。

 床へ倒れているサイラス。


 そして、裂けた袖のまま聖杖を持つリリアーナ。


「今回は、わたくしの勝ちですわね」

「別に勝負などしておりませんが」

「ですが、マリベル様より先にエレノア様をお救いしましたわ」


 マリベルは、エレノアの顔色と身体を改めて確認した。

 次に砕けた鏡を見る。

 最後に、リリアーナへ向き直った。


「お嬢様の御心を優先してくださったこと、感謝いたします」


 リリアーナが固まった。


「……いま」

「何でしょう」

「わたくしを、お褒めになりました?」

「事実を申し上げただけでございます」

「もう一度お願いいたしますわ!」

「お断りいたします」

「では、書面で!」

「距離が近い」

「まだ一歩も動いておりませんわ!」


 マリベルは正座している護衛たちへ目を向けた。

 眉がわずかに寄る。


「ただし」

「何ですの?」

「右側の者の膝が揃っておりません」

「やはり分かりますの!?」

「左足も少々前へ出ております」

「戦闘中でしたのよ!」

「正座は正確に」

「次回までに練習いたしますわ!」

「次回はございません」


 エレノアは二人を見比べ、息を吐いた。


「私を助ける速さで競わないで」

「競っておりません」


 マリベルが即答する。


「今回は、わたくしの勝ちですわ!」


 リリアーナも即答した。

 二人の返事は、まったく噛み合っていなかった。



 ***



 事件の後始末が終わる頃には、空が夕暮れ色に染まっていた。

 敬愛の鏡は、大神殿が管理していた聖具ではなかった。

 サイラスが各地から集めた古い祭具を組み合わせ、人の感情へ干渉するよう作り替えたものだったのだ。

 人々の信仰を利用して寄付を集め、複数の町で財産を奪っていたことも判明した。

 門前で公爵家の馬車を横転させたのも、マリベルをエレノアから引き離すために雇われた者たちだったようだ。

 サイラスと護衛たちは、王都の警備隊へ引き渡されることになった。

 正座したまま連れていかれる男たちを見送り、リリアーナは満足そうに頷く。


「これで一件落着ですわ」

「正座させたまま連行する必要はなかったのでは?」


 エレノアが尋ねる。


「マリベル様が姿勢を直してくださいましたので、崩すのはもったいないかと」

「正座は芸術品ではありません」

「大変美しく揃っておりますわ」

「リリアーナ様」

「冗談ですわ」


 半分ほど本気の顔だった。

 エレノアは少し考えてから、リリアーナを見る。


「今日は、私の言葉を聞いてくれてありがとう」

「当然ですわ」


 リリアーナは胸へ手を当てた。


「わたくしは、エレノア様の信者ですもの」

「では、これからは私がやめてほしいと言ったら、やめてくれるのね?」


 リリアーナの微笑みが固まった。


「……内容によりますわ」

「リリアーナ様」

「善処いたします!」

「先ほど、自分が何と言ったか覚えてる?」

「エレノア様のお言葉を聞かない者が、信者を名乗ってはならないと」

「ええ」

「ですから、お言葉は必ず伺いますわ!」

「聞くだけでは駄目なのよ」


 リリアーナは言葉に詰まった。

 その横で、マリベルが深く頷く。


「まったくでございます」


 エレノアがマリベルを見る。


「あなたにも言っています」

「……はい」


 今度はマリベルが黙り込んだ。

 リリアーナはその様子を見て、少しだけ胸を張った。


「引き分けですわね」

「何がでございますか」

「お嬢様のお言葉を聞く修行ですわ」

「リリアーナ様と一緒にしないでくださいませ」

「距離が近づきましたわね!」

「離れてください」


 エレノアは呆れたように笑った。



 ***



 その夜。

 大神殿にあるリリアーナの私室は、一見すると聖女らしく質素だった。


 白い壁。

 小さな机。

 飾り気のない寝台。

 窓辺には、聖獣アルシオンのための大きな寝床が置かれている。

 ただし、壁の中央には、部屋の雰囲気にまったく合わない巨大な肖像画が飾られていた。

 淡い青のドレスをまとい、穏やかに微笑むエレノアの肖像画である。

 机の上には、整然と本が積まれている。


『エレノア様御言葉集 第一巻』

『エレノア様御言葉集 第二巻』

『エレノア様御言葉集 第三巻』


 その隣には、幻燈恋愛ゲーム『青薔薇令嬢と正しき距離感』の攻略記録。

 さらに、エレノアから届いた手紙を収めた鍵付きの箱。

 リリアーナは机へ向かい、真新しい紙へ羽根ペンを走らせていた。


『本日、夕刻。王都郊外の新礼拝堂において、マリベル様より「お嬢様の御心を優先してくださったこと、感謝いたします」とのお言葉を賜る』


 その下に、日付、時刻、天候、周囲にいた人数まで丁寧に書き加える。


「完璧ですわ」


 リリアーナは紙を小さな額縁へ入れた。

 机の一番目立つ場所へ飾る。

 寝床へ伏せていたアルシオンが、ちらりと額縁を見た。


「歴史的な一日ですもの。正確に記録しておかなくてはなりませんわ」


 アルシオンは何も言わず、再び顎を前足へ載せた。

 リリアーナはエレノアの肖像画の前へ立つ。


「さあ、アルシオン。祈るのです」


 アルシオンは慣れた様子で前足を揃えた。

 リリアーナも胸の前で手を組む。


「明日も、女神エレノア様が健やかに過ごされますように」

「ウォッホン!」


 扉の外から、大きな咳払いが聞こえた。

 リリアーナは振り返る。


「神官長。女性の部屋を覗くのは感心いたしませんわ」

「扉が開いております」


 神官長が部屋へ入ってくる。


「それに、教義へ新たな記述を加えていないか確認に参りました」

「失礼ですわね。今日はまだ何も加えておりません」

「今日は?」


 神官長の視線が、机の上へ向いた。


 額縁。

 御言葉集。

 手紙の箱。


 そして、その横に置かれた一冊の厚い草稿。

 表紙には、金色の文字で題名が書かれていた。


『女神エレノア様伝 第一章』


 神官長は無言で草稿を手に取る。


「何をなさいますの?」

「没収します」

「なぜですの!?」

「勝手に新しい教典を作ってはなりません」

「教典ではございませんわ!」

「では、これは何です?」

「女神エレノア様の偉業を、後世へ正しく伝えるための歴史書ですわ!」

「なお悪い!」


 神官長は草稿を抱え、扉へ向かう。

 リリアーナが追いかけた。


「お待ちくださいませ!」

「お返しできません」

「まだ第一章しか完成しておりませんのよ!」

「第二章へ進む前で幸いでした」

「横暴ですわああああああああああああああああ!!!!」


 大神殿の夜に、聖女の絶叫が響き渡った。

 廊下を歩いていた神官たちは、一斉に足を止める。


「また何かあったのでしょうか」


 若い神官が尋ねる。

 古参の神官は、何も聞かず静かに目を伏せた。


「神官長を手伝って差し上げなさい」

「何をです?」

「おそらく、教典の没収だ」

「また増えたのですか?」

「布教は順調のようだからな」


 部屋の中では、リリアーナが必死に草稿を取り戻そうとしていた。

 アルシオンは寝床の上で、静かに瞼を閉じる。

 こうして、聖女リリアーナの一日は終わった。


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― 新着の感想 ―
うん。間違ってませんよ、神官長は。ちゃんと確認をしないと、あの侍女が神殿中で正座させるから♪ 今回は侍女の手が届かないうちに終わってしまいました。……正座の姿勢に厳しい評価は苦し紛れですか? 次回…
今回の敵さんはちゃんと考えたな。 誰が一番の脅威かを理解して足止めする。 一騎当千の武も投射位置を間違えれば成果は出せないもんな。 誤算はリリアーナとアルシオンを甘く見ていたことか。 まぁマリベルが強…
神官長さん。うん。あきらめろーんっ(*´艸`*) リリアーナさんは間違ってはいないですっ(๑°艸°๑) 聖獣アルシオンちゃんも認めていますしね(*¯艸¯) エレノアさんが女神さまとなるのも時間の問題…
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