第十六章その1:虚無の再来(キョム)、あるいは聖女の誓約
皆さま、お越しいただきありがとうございます。
悪党を家畜に変え、村々に豊穣をもたらす「不殺の悪魔」としての旅。しかし、物語というものは絶頂の時にこそ、最大の破滅が忍び寄るものです。 第16章では、すべてを無に帰す虚無の化身「キョム」が登場します。そして、隣でスープを啜っていた聖女・歩花の口から語られる、衝撃の過去。……まさか、彼女に「夫」がいたなんて。不惑の男の動揺、どうぞ見守ってください。
1. 色を失う世界
「……おい、キュア。なんだか、急に寒くないか?」
街道を進んでいた俺は、ふと足を止めた。 陽光は降り注いでいるはずなのに、辺りの色彩が急速に褪せていくのがわかった。緑の木々は灰色に、青い空は濁った鉛色に。そして、風の音さえもが、吸い込まれるように消えていく。
「お兄ちゃん、これ……マズい。スカルのバグなんてレベルじゃない。存在そのものが消去されてる!」 キュアがマシンガンを構えるが、その銃口から放たれるはずの極光さえも、空間に吸い込まれて霧散した。
「タイガさん……逃げてください。これ、僕のプログラムにはない……『無』の領域です」 スカルがランドセルを抱え、ガタガタと震え出す。 足元の黒鶏(元ドラゴン)に至っては、あまりの恐怖に「コ……」という声さえ出せず、俺の影に隠れて動かない。
街道の先。そこには、輪郭さえも曖昧な「黒い穴」のような存在が立っていた。 それは人型をしていたが、顔も、服も、境界線もない。ただ、そこにあるだけで周囲の万物を吸い込み、消滅させていく絶対的な虚無。
「……キョム。また、現れたのですね」
隣にいた歩花が、絞り出すような声で呟いた。彼女の白銀の法衣が、激しい黄金の輝きを放ち始める。だが、その光さえも、目の前の「黒い穴」は貪欲に飲み込んでいった。
2. 聖女の告白:夫という名の呪縛
「歩花、あいつを知っているのか?」 俺の問いに、歩花は悲しげに瞳を伏せた。
「……はい。彼はかつて、私と共に多くの世界を巡り、救済を志した者。……そして、私の夫でもあった人です」
「……はぁ!? 夫ぉぉぉぉッ!?」 不惑の作家、斉木大河。この旅で最大の衝撃が、胃を突き抜けた。 「聖女様に旦那がいたのか!? というか、あんな……穴みたいなのが?」
「かつては違いました。彼は誰よりも生命を愛し、不完全な世界を救おうとした。……ですが、あまりに多くの悲劇を見すぎた結果、彼は悟ってしまったのです。『救済とは、存在そのものを消し去ることだ』と。……そうして彼は自らを虚無へと変え、あらゆる世界の記述を白紙に戻す『キョム』となりました」
キョムが一歩、こちらへ踏み出した。 その瞬間、俺の足元の石畳が、音もなく消滅した。 「……タイガ。逃げなさい。彼は私の……私たちの失敗の象徴。貴方の『不殺』も、彼の前ではただの無意味なノイズとして吸い込まれるだけです」
3. 45歳の意地:無を書き換える「不殺」
「……冗談じゃない」 俺は、震える足を踏ん張った。 「歩花。お前はあいつを救えなかったから、今の『完璧な救世』に執着してるんだな。……だが、俺は認めない。夫だろうが元カレだろうが、俺の創った世界を勝手に白紙にする権利なんて、誰にもないんだ」
俺は、白紙のノートを力一杯開き、キョムの虚無に対峙した。 「キュア、全魔力を俺に貸せ! スカル、あいつの吸い込む『演算』の逆回転を叩き込め! 無を吸い込むなら、そこに『無限の記述』を詰め込んで、パンクさせてやる!」
「お兄ちゃん、無茶だよ! 吸い込まれたら、存在そのものが消えちゃうんだよ!」 「消える前に、書き込んでやるんだよ! 45年間の、俺の泥臭い執筆人生をな!」
俺の指先から、今までで最も眩い、そして最も「雑多」な光が放たれた。 それは家畜の鳴き声であり、農民の笑い声であり、酔っ払ったスカルの戯言であり、黒鶏の情けない叫び。 「不殺の権能」が、吸い込まれる力に抗うように、キョムの虚無の内部に「存在の質量」を流し込んでいく。
「……キョ……ム……。お前が吸い込むのは、絶望じゃない。この世界の、しぶとい命の輝きだ!」
キョムの輪郭が、俺の流し込んだ膨大な「物語」に耐えきれず、激しく歪み始めた。 吸い込む力が逆流し、辺りに色彩が爆発するように戻っていく。
「……あ……」 歩花が目を見開く。 虚無の穴の奥底で、一瞬だけ、悲しげな「男の顔」が見えた気がした。
だが、キョムは完全に消えはしなかった。 膨大な情報を吐き出しながら、彼は再び霧のように霧散し、空の彼方へと消えていった。
「……ふぅ。……死ぬかと思った。本当に、死ぬかと……」 俺はその場に倒れ込み、激しく咳き込んだ。
「……タイガ。貴方は、本当に……おバカな人ですね」 歩花が、俺の隣に膝をつき、そっと背中に手を置いた。その手は、微かに震えていた。 「私の夫に、あんな泥臭い物語を無理やり飲ませるなんて」
「……悪かったな。だが、あれが俺の『不殺』のやり方だ。……さて、キュア。1+1は?」 「……100点満点中、今日は特別に120点だよ、お兄ちゃん」
45歳のタイガ。 聖女の過去を暴き、その「夫」である虚無と対峙した男。 世界の消去を目論むキョム。それを追う歩花。 俺のペンが描く物語は、いよいよ世界の根源を巡る、最も複雑な「家族の揉め事」へと足を踏み入れてしまった。
お読みいただきありがとうございました。 物語は急展開を迎え、聖女・歩花の過去、そして最大の宿敵「キョム」が登場しました。 救世の果てに虚無へと至った夫。それを止められなかった妻。そして、その間に割って入る「おじさん」タイガが悲しい横恋慕?
【感想・高評価のお願い】 「歩花に夫がいたなんて衝撃!」「タイガの不殺が虚無を圧倒した!?」など、皆さまからの感想や高評価をお待ちしております。 皆さまの応援が、タイガの「胃痛の旅」を支える最高の処方箋です! (ぺこり)




