第55話 拍動
「お疲れ様です、アンミさん」
両開き戸が音を抑えるようにゆっくりと開けられ、ラードが顔を覗かせた。
椅子にだらりと座ったまま大きく欠伸をしていたアンミは、そちらに視線を向けながら両腕を天井に向け、伸びをした。
「蘇生陣、隠してきました」
彼の報告に、「わかった」と短い返事をする。
安全を考慮すれば、本当は蘇生陣は消しておきたかった。拠点の結界内とはいえ、あんなふうに見せびらかすように地上に刻まれてしまっては、どこの誰が発見するかわからない。目視はできないように隠させたが、魔力を探知されないとも限らない。だが。
ラードたっての希望で、遺すことにしたのだ。アンミが反対しても食い下がられた。彼があそこまで意固地になるのも珍しい。だから、ラード自身が責任を持って管理することを条件に、彼の希望を呑むことにした。アンミとて、あのドラゴンの命を無駄にしたいわけではないから。
「出産は無事に済んだんですよね?」
「うん。母子ともに命に別状なし。これから容態が変わる可能性も低いって」
「よかった。あの陣を使う日が今後来ないといいんですけどね」
当のラードはほっとしたように胸を撫で下ろしている。
だがここで気を抜くわけにはいかない。やむを得ず、国王と騎士団一行は城に引き揚げることにしたようだが、だからといってオクルが安心して暮らせるわけではない。常に国家の監視の目が光るこの国で、三十年もの間、子供を守り育てなければならないのだ。そしてレベリオは――アンミは、全力でそのサポートを。
黙り込んだこちらの様子を見て何を思ったか、ラードはずいっとこちらに詰め寄り、中腰になってアンミの顔を覗き込んだ。
「任務は一段落ってことですよね。新拠点への移動も完了したし、魔王の保護も済んだ」
「そうだな?」
「じゃあ次にアンミさんがすべきなのは、休むことです」
休めるかよ。口を開きかけて、正面から掛かる強い圧に思わず顎を引く。不満そうな瞳がジトリとアンミを睨んでいる。彼のことだから本気で怒っているわけではないだろうが、放置すると面倒だ。
「……今、面倒って思いました?」
思わず息を呑むと、自分でも聞いたことのないような声が「え゙」と喉から絞り出た。口を半開きにしたまま、目玉が飛び出るほどに目を見開いてラードを凝視すると、彼はふっと表情を緩め、背筋を伸ばして誇らしげに微笑んだ。
「わかりますよ。アンミさんのことなので」
「怖……」
いったい彼はいつの間に読心術を身に着けたのだろう。これじゃあ、油断も隙もない。心まで強くもって立ち振る舞うなんて器用なことは、アンミにはまだできない。
「怖いとか言わないでくださいよ」
「だって、見られたくないじゃん、心の中って」
愚図で弱くてぐちゃぐちゃなこの心。誰にも見せられない痛みを抱く場所。その奥の奥に必死に弱さを隠して、理想を見て強く生きているのに、心を読まれて弱さを掘り出されてはたまらない。こちらの努力が水の泡だ。
なのに。なのに。
「じゃあ、見られてもいいって思ってもらえるように、僕も頑張りますね」
いつだってその、純粋で無垢な心が。
「カンさんとかマダムほどじゃなくてもいいから、僕のことも信じてください」
痛いほど真っ直ぐな愛が。
「ねえ、アンミさん」
ラードはその場に屈んで、自然とアンミの視界に映り込んできた。笑みが消えて畏まった表情はどこか切ない。まるで神に祈っているみたいだ。顔の真ん中に二つついている見慣れた緑眼に、アンミの姿が映っているのが見える。瞳の光は柔らかでありながら、迷いなど知らず一直線にアンミを貫く。
「生きてください。できれば長く、そして幸せに」
身体が震える。呼吸が乱れる。でも、胸は痛くなかった。
「……元々死ぬ気なんてねえよ」
「じゃあ、自分のために生きてください。ゆっくりでいいですから。ね」
鼻がツンとして、目頭が熱くなるのを感じた。まずい。慌てて顔を逸らし、両腕で自分を抱きしめるようにして顔を隠す。なんだか妙に涙腺が脆い。一度泣いたら癖になってしまったのだろうか。張り詰めた糸が一気に緩んだみたいに、力が抜けて、緊張がほぐれていく。
ラードが立ち上がっておそるおそる手を伸ばし、顔を覆う腕ごと横からアンミを包み込むようにして抱きしめた。名前を呼ぶ声が耳に触れる。その声があまりにも温かくて。ぬくもりを確かめるように、アンミも彼の背に腕を回した。
ふと、動きを止める。耳を澄ませる。
生命の拍動が、聞こえた。




