第51話 逃走者
冷たい風が砂を巻き上げて吹きつけ、街の灯りが曇る。月のない夜に霞んだ灯りでは、視界が悪い。だがそれを不便とするような人がそもそもいなかった。集落は驚くほど静まりかえっていた。まるで、来たる魔王に怯えて閉じ篭っているかのように。
集落の中で一際大きい四角錐型の建物に足を向ける。壁に明かりがついているわけでもなく、窓の奥も真っ暗。この闇の中では、まるで墓場のように見えた。入り口には二人の騎士。背の高いひょろりとしたのと、小柄でどっしりとしたのがいる。こちらに気付いたひょろい方が訝しげな眼差しを向けた。アンミは薄い笑みを張り付けて、そちらに声を掛けた。
「こんばんは。お勤めご苦労様です。やけに静かですね」
「ええ。警備隊がいないからでしょうね」
「警備隊はどちらへ?」
「人探しに行っています」
それだけ言って、ひょろい騎士は澄ました顔で口を閉じた。流石は国の犬、簡単に情報は漏らしてくれないようだ。
すると、トラが後ろからひょいと身を乗り出した。
「砂漠の警備隊なら、人探しにそんな時間も人数もかける必要なくないっスか? 魔術の跡を辿ることなんてなんも難しくないでしょ?」
ひょろい騎士は困ったように眉尻を下げて黙っていたが、そこへ隣のどっしりした騎士がしゃがれた声を発した。
「いや、むしろ逆なんだろうだ。砂漠の民はみんな魔術を使うもんだからここらは魔術の跡がたくさんあって、どれが探してる人の跡なのかわかりづらいんだとよ」
「そうっスか……。ちなみに、魔術を使っていない可能性はないんスか?」
「いや。魔術でいなくなったのは直接目撃されてるんだ。それに身重の状態なんだ、魔術なしじゃもう捕まってるだろうよ」
「話しすぎですよ。控えなさい」
ひょろい騎士がぴしゃりともう片方を咎めた。小柄な方はまだ話したそうにしていたが、口を尖らせた状態で「そういうことだ」とぶっきらぼうに言ったので、アンミたちは仕方なくその場を後にした。
「どう思う?」
騎士たちが見えない場所まで離れたところで、アンミはトラに声を掛ける。トラは目を丸くしてアンミを見つめ、そのまま首を傾げた。
「どうって……魔術で逃げたんじゃないんスか?」
「そう。魔術で逃げた。そして、今はどこにいるんだろうね?」
「うーん。人の多いとこだと目撃されるから、人気の少ないとことかにいるんじゃ?」
「そう。普通は、そう思う」
「普通はって……アンミさんはどう思うんスか」
思い出したのだ。同じくお尋ね者の身として。
「人の多いところで、目撃情報を消す」
「ええと、つまり?」
「協力者がいると思う」
アンミたちレベリオが、海の民に力を借りたように。魔王の母子に手を差し伸べる人がいてもおかしくない。レベリオのような大人数を隠すとなると、一民族を巻き込むくらいの大事になりやすいが、母と子の二人くらいなら一般人にだってできる。
そう話すと、トラは右の拳を左手にぽんと乗せて「なるほど」と呟いた。
「それが、この集落内にいるって見込みなんスね?」
「たぶんね」
わからない。全くの見当違いかもしれない。だとしても、探す分担としてはアンミたちは集落を探すべきだ。砂漠の外は警備隊が動き回り、人気の少ないところは魔獣たちを通してデックスが見ている。ならば、疑うは内側。
といっても、人の出歩かないこの集落でどう探そう。全戸を叩くわけにもいかない。宛もなく、アンミは通りをゆっくりと歩いた。二人分の足音を掻き消すように、風の音が鼓膜を遮る。
不意に、足元の影が揺れた。見上げると、烏の魔獣コルーが空を横切っただけだった。それを目で追いながら、何となく同じ方向へ進む。コルーは豪快に風を切りながら、日干しレンガでできた四角い建物の上に降りた。なんの変哲のない、ここらでよく見る民家だ。なのに、そこから目が釘付けになって離せなくなった。
大量のコルーが、集まっている。少なくとも十は超える数の黒い羽が、建物の上に並んできょろきょろと首を動かしている。アンミは無意識に木製の戸の前に歩み寄っていた。右の指の第一関節で三度、叩く。扉は低く柔く鈍い音を立てて、確かに家主に訪問を知らせた。
複数人の話し声。女声が多い。擦るように近付いてくる足音。躊躇うように。まもなく小さく戸が開けられ、中年の女性が強張った表情で覗いた。
「どなたですか?」
「……あの、烏が、たかっていて」
「はい?」
自分でも自分が何を考えているのか、よくわからなかった。勘みたいな、本能みたいなものに引っ張られている。理性が上手く働かない。だが扉が開いてから直感的に、ここだ、と思った。魔力の気配を感じる。
確かに、ここに、いる。
「あの、用がないのならもう……」
家主が扉を閉めようとするのを、片手で抑えて引き留める。訝しげに眉を顰めた彼女の前で、アンミは軽く周囲を確認して、マントのフードの中で変身術を解いてみせた。
「俺は、レベリオの総長をしているアンミです。そちらに、オクル・ザートさんがいますね」
女性は一瞬悲鳴を発したが、かろうじて自分の手で口を覆って止めた。丸い土色の瞳がまじまじとアンミを見つめる。アンミはその視線を受け止めながら、口を開く。
「俺は、彼女のことも、その子供のことも生かすつもりです。話だけでもさせてくれませんか?」
視線にはまだ警戒の色が込もっていた。アンミはじっとその目を見つめ返した。何も言わずに。何か言えば蛇足のように感じた。
やがて女性は顔をこちらに向けたまま、口元を覆っていた手を下ろし、口を一文字に結んだ。
「……中へ、どうぞ」
小さく開いていた扉が大きく開かれる。こちらに背を向けて中へ入っていった女性の後を追って、アンミたちも家へと踏み入った。




