第50話 刻
『魔王の母親が逃亡した!』
唐突に耳に飛び込んだデックスの声に、アンミは閉じていた瞼を持ち上げる。視線の先で、灯に火をつけたタキと目が合った。
「どうやって? 魔王の母親は、砂漠の警備隊が厳重に監視してただろ」
『詳しいことはわからない。今警備隊が必死に捜索してる』
「騎士団は?」
『多少動いてはいるけど、警備隊が主力みたいだね』
処刑を自ら見届けるために、国王は今砂漠に来ている。護衛を手薄にするわけにはいかない。王城にも騎士は残っているはずだが、そちらはそちらで王が留守の間に攻められたら困る。騎士団の出せる戦力は限られている。
「警備隊はどこら辺を捜してる?」
『国中に分散してる。魔術で逃げたのを追ってるのかな』
「……いや、だとしても逃げ切れるはずがない」
魔術の形跡は、砂漠の民ならば容易に辿れる。そして身篭った肉体では、魔術を使わずに遠くへ逃げることは不可能。無駄な足掻きだ。きっとすぐに捕まる。
――でも。
「タキ。イクタのところに行って、ここを中心に結界を張って拠点を作るよう頼んでほしい。中級魔族二体分の魂を要求されるから、森のシーモン二体って言って。んで、今各地にいるレベリオのみんなを拠点に呼べ」
「え、今!?」
「警備隊が出回ってんだよ。何かの拍子に見つかったら困る」
それに。警備隊が国中の魔術の跡を追っているのなら、それを攪乱すれば母親を逃がすことにも繋がるかもしれない。しかもこちらの行く先は強固な術によって隠された場所。見つかるリスクも少ない。
そして、それだけでは足りない。アンミは立ち上がって焚火を囲う仲間に声を掛けた。
「トラ。砂漠の民の集落行くぞ」
「えっ? 集落は今騎士団がいるんじゃ……」
「だから、変身術が上手いトラに来てほしい」
意図を理解したトラは、口を堅く結んで頷いた。アンミは変身術を纏い、その上からマントを羽織って頭を覆った。トラも同様にして姿を隠す。
薪の周りを囲っていた仲間たちに「行ってくる」と告げた。どの顔も強張っているのが見てわかる。その中で、一番がちがちに固まっていた顔に目を留める。
刻印のように地面に描かれた蘇生陣のすぐ隣で、医学書を握りしめている、ラード。ここのところずっとそればかり見つめている。脳に刻みつけるように、同じページを何度も何度も。背後から覗けば、そこには人間の赤子の解剖図が描かれているのがわかる。たまにページを捲ったと思えば今度は大人の人間の解剖図。真面目なところは感心するが……。
「お前は、休んどけ」
それだけ、告げる。それ以上何かを言うべきではないと思った。余計なプレッシャーをかけてしまう気がした。だが、ラードはその強張った顔のまま、真っ直ぐにアンミを見据えた。
「待ってます」
いつでも行けます、とその目が言った。それで十分だった。
アンミはトラと顔を見合わせ、頷き、転送魔法を各自施した。




