第49話 母
――命の気配がする。
椅子にぐったりと座りながら、ちらと視線を動かす。部屋の入り口に警備隊が一人。扉の向こうにも一人いるはず。窓の外には忙しなく歩き回る人々。高らかな声ではしゃぐ子供と、それを追う母親らしき者の姿が目に入った。声を掛ければ振り向いてくれそうなものだが、外と室内の間には見えない隔たりがある。厚くて、硬くて、強力な。――外の日差しは眩しい。だからそっと瞼を下ろして光を遮断した。
じっとしていると、己の拍動が、どく、どくと身体を揺らすのがわかった。規則的で自動的、だけど確かに己の意志で刻まれている。思い立って、腹に手を当てて再び息を潜めてみる。だが感じるのは己の拍動のみ。諦めて手を離そうとしたところに、ポコ、と腹の内側から小さな衝撃が応答した。
生きているのね。
丸い腹の上に、手をゆっくりと滑らせる。声を掛けてあげたかったが、この部屋は些か狭すぎる。代わりに胸の中で、名前を呼ぶ。愛しい子。私の命に代えがたい、かわいいかわいい私の子。小さく鼻歌を歌う。昔、母が歌ってくれた思い出の歌。これなら誰にも邪魔されることはない。二人だけの世界。
――のはずだったのに。
ノックとともに部屋の扉が開かれ、警備隊が顔を覗かせた。入り口付近の警備隊が何やら対応している。耳を澄ませると「陛下」という言葉が聞こえ、途端に世界が崩れていくのがわかった。指先が冷える。胸の奥にスッと冷たい風が吹き込む。
だが、再び腹の内側がもぞもぞと動いて、外に向かって足を蹴り上げた。それを受けてはっと我に返る。
大丈夫、大丈夫よ。
祈りを込めて腹を撫で続ける。やがて入り口の警備隊が振り向き、低い声でこちらを呼んだ。
「陛下が到着なさった。出迎えるぞ」
降り注ぐ無機質な声にも穏やかな視線を返して、どうにか重い腰を持ち上げる。伸びをしようと思ったが、少し背を逸らしたところでバランスを崩して足元がふらついた。危ない。だが倒れるわけにはいかない。軽く肩を回し、足を引き摺るように歩みを進める。
もう少し。もう少しの辛抱だ。
表情を殺して、感情を殺して、ただ淡々と歩く。廊下の向こうに外が見える。光の降り注ぐ砂漠。笑顔で賑わう人々。国王が作った世界。見かけ騙しの平穏。
私の子が救われないのなら、こんな世界なんて。
ただ、歩く。




