第十七話 蠅をぶち殺したくなったら・5
「山岡くん。こっち」
志郎は待ち合わせのファミレスで千鶴の存在に気づき、そのまま彼女のいるテーブルへと歩いていった。
「こんにちは」
「こんにちは」
挨拶をし合い、やがて志郎も席に着く。
「会ってくれて、嬉しいよ」
志郎の言葉に、千鶴は、そう、と言った。
「わたし、引っ越すから」
「谷端さんに聞きました」
「咲のことが知りたいのよね。もっと」
しかし、とはいえ前回ある程度の話は聞いたし、それ以上のことは千鶴にはわからないだろうと思ったので志郎は少し口籠った。
「どうしたの」
「いや。知りたいことは山ほどあるんだけど、なにを聞けばいいのかわからなくて」
志郎はタッチパネルを開いてそのままドリンクバーを頼んだ。
「心の向くままに聞けばいい」
「といっても、ある程度のことはわかったから」
「じゃ、今日なにしに来たの?」
当然の疑問だった。その問いかけに志郎は、しかしはっきりと答えた。
「彼女の話題をしていれば、なにか掴めるものがあるような気がして」
先日、汐理からLINEのIDを教えてもらい、その日のうちに志郎は千鶴に連絡した。千鶴からすればこんなことになるかもしれない、と予期していたそうだった。そのままブロックされることなく、土曜日の昼間、会うことになった。
「そう。なかなか探偵みたいね」千鶴はカプチーノを飲んだ。「あなたもなにか淹れてくれば」
「うん」
と、志郎はドリンクバーに向かう。
コーヒーを淹れながら志郎は思う。咲のことを知りたい。なぜ消えたのか。千絵とどういった関係だったのか。しかしそれが千鶴にわかることだとは思えない。だから、もしかしたら咲の話をしていればなにかきっかけが掴めるのではないか、そう考え、彼は今日ここに来ている。
席に戻る。千鶴はスマートフォンを操作していた。
「お友達?」
「ううん。チャットのログを見返してた」
「チャット?」
「咲とわたしが参加してたの」
聞き捨てならない、と、志郎は思った。
「それ、見せてもらうことは」
「残念だけどそれはできない。他のメンバーの承諾を得ていないもの」
チャットのルールというものを志郎は知らないが、当事者の千鶴がそう言うからには退くしかない。
「そうですか」
「あなたって変わってるね」
スマホをしまいながら千鶴は言った。志郎は怪訝そうな顔になる。
「どの辺りが?」
「いまもあっさり退いたし、こないだ会ったときも、わたしが咲のピンチを無視して逃げたって言ったとき、あなた、君が悪いわけじゃないって言ったよね」
たまたまそのタイミングでウェイターが伝票を置きにやってきたからか、千鶴は目を少し伏せた。
ウェイターが去ったのち、志郎は言った。
「それは実際、そうでしょう? 突然の出来事で目の前が真っ白になった。犯行に及んでいる現場に現れれば自分も襲われるかもしれない––––逃げ出したって誰にも責められない」
「あなた、まるで他人事みたいね」なんだかつまらなさそうに千鶴はそう言った。「自分の彼女がレイプされたっていうのに」
「問題の切り分けができないといけないからね」
「ふうん。そんなもんなのかしら。わたしだったら、わたしをきっと責め立てると思うけど」
「僕が君でも、逃げなかったとは言えない」
「ふうん」
志郎は向き合った。千鶴は少し怯む。
「戦うかもしれない。助けるかもしれない。あるいはそのまま逃げ去ってしまうかもしれない。それは、そのときになってみないとわからないんじゃないかな」
「なんだかわたしにはあなたがとても冷たい人間に見えるのよ」少し睨みつけるような瞳だった。「冷静で、真面目で––––それって、結構人を傷つけてると思うよ」
「それは否めないけどね。自分で気がついていないだけで。ただ」
「ただ?」
「僕だって、怒りに狂ってなにかをめちゃくちゃに壊したいときぐらいはある」
「そういうときはどうするの」
「“自分はいま、慌てているかもしれない”と、思う」
「それで?」
「結果的に慌てなくなる」
「そんなにうまくいくのかしら」
「いまのところは」
「ふうん」
千鶴はカプチーノを啜る。
「他にはなにか頼まないの?」
「いえ、別に」
「奢ってあげてもいいのに」
「大丈夫」
「そ」
カップを皿に置き、千鶴は頬杖をついた。
「あの子とあなたは、駅で初めて会うまで、本当に会ったことはなかったの?」
「僕の記憶にはないな。中二の秋、君とピアノの発表会に来てくれてたみたいだけど、舞台から一人一人の識別なんてできないし」
「いまから戦うなら尚更よね」
やや詩的な表現だった。
「そうだね」
志郎はうなずく。
「咲は、僕の話を退院のときからしてたのかな」
「そうね。それ以来、山岡くんって子に会ってみたいってずっと言ってたわ」
「それはなぜなのかは」
「わたしは知らない。––––でも」
「でも?」
「いつも、魔女の話とセットだったのは覚えてる」
昼下がりの魔女。宮嶋千絵。
ふと志郎は、智子の卒業アルバムに写っていた“宮嶋千絵”を思い出す。
––––母がなにか関係しているのはもはや間違いないことだったが、どう関係しているのかを理解するためにはあまりにも情報が足りなすぎるし、それを千鶴が知っているとは思えない。
「昼下がりの魔女か」
「……“人生はなるようになるから、自分もなるようになる”」
千鶴の暗唱に志郎は続けた。
「と、心の底から思えたら、魔女を呼び出して願いを叶えてもらえる、っていう七不思議」
「春、殺されたっていう女の子も、そういうことを心の底から思えたのかしら」
新学期早々起こった劇場型猟奇的殺人事件。それは千絵の仕業だったが、彼女が言うには呼び出されたから、ということだったが。
被害者の女子生徒の心情は志郎にはわからない。
「さあ」
「でも、なんとなくわかる気はする」
「なにが?」
「それって、もう、生きていても死んでいてもどうでもいい、って気持ちに等しいんじゃないかしら」
「––––?」
「だって、なるようになる、なんて、鼓舞じゃなくて心の底から思えるなんて。わたしにはそう思える」
志郎は少し考える。
自分自身、いつも、物事はなるようになる、なるようにしかならない、と考えている。
しかしだからと言って自分が絶体絶命の事態に陥ることは避けなければならない。志郎はそこまで達観していないし、人生に諦観していない。なるようになるといっても、決してそうなってはならない状況や場合というものは確実に存在するのだ。
もし、生きるも死ぬもどうだって構わない、と本気で思えたなら、それは“なるようになる”という生き方が真にできるようになるのかもしれない。志郎はそう思った。
「咲は魔女を呼び出したのかな」
「さあ。わたしは知らないけど。でも、そうだとしてもおかしくはないと思う。他校で、中学生だったけど、篠沢高校のその七不思議は女子の間でなかなか有名だったから」
「なぜおかしくないと思うの?」
「あの子、毎日絶体絶命だったもの。いつもいじめの標的にされてて。学校に来なきゃいいのにってわたしずっと思ってたから」
「咲の家庭環境は?」
「あんまり良くはなかったみたい。親の話題は全然してなかったから。だから……家にいるよりはまだマシ、と思ってたのかもしれないわね。同じ地獄ならこっちの方がマシだって。わかんないけど」千鶴はカプチーノを飲む。「もっとも退院してからいじめがなくなったから、結果的にはよかったのかもしれないけど」
やはり自分は咲のことをなにも知らない。そう思い、志郎はなにかをめちゃくちゃに破壊してやりたいという発想が浮かんだ。しかし、一口コーヒーを飲み、自分はいま慌てているかもしれない、と思って––––そして暴風が過ぎ去る。
いつものことだった。中学生になったばかりのころ、雪尋に“慌てているときの対処法”を学んでから、いつもそのやり方で志郎は冷静さを取り戻している。そして、それが客観的には“冷たい人間”と思われてしまうのもわからなくはなかった。要するに、自分は論理的すぎるのかもしれない。そしてそれだけ冷徹なのかもしれない。
『“真面目すぎる”っていうのは異常かも』
いつか言われた蒔菜の言葉を思い出す。
『共感ばっかりしてるとやがて限界が来るぞ。それはどっかで無理してるってことなんだからな』
そしてりつきの言葉も。
––––最近は総一朗に対してなかなか気楽に、ざっくばらんと付き合えていると思っている。それにしても、一般的な友達関係、というのを考えたとき、結局は自分は無理をしているのかもしれない、と思ってしまう。志郎にとって気を遣うということはそれだけ容易いことだったから。
それでも……もうちょっと“普通に”という気持ちもある。もうちょっと気楽に対人関係を築けたらなあ、という気持ちが、ないわけではない。実際、志郎の周囲の友達たちはいつも志郎を頼っているが、志郎としては彼らが自分に対してどこか距離感を覚えているように見えるというのも事実だった。
それもこれも、いまの自分がまだ高校生の子どもで、人生経験が、社会経験が浅いことによるものなのだろうか、と志郎は思う。もっと大人になっていけば、いまの『真面目すぎ』て『共感ばかりす』る自分から“卒業”することができるのだろうか、と、つい未来の自分に期待してしまう。
それこそ、高校デビューと共にそれまでとはまるで別方向に変身した汐理のように––––それを考えたとき、それでも、汐理の根幹自体が変化したわけではないのではないか、と志郎は考える。確かに人間は変われる。一度形成された性格も変えようと思えば変えられる。だが、決定的な部分はやはり決定的には変わらないのではないか、とも思うのだ。
「あなたは毎日楽しい?」
少し考え込んでいたので、千鶴の言葉で志郎は、そういえばいま自分はこの女の子とここにいるんだったな、と思い出す。
「楽しいよ」
「そう。よかったね。楽しい世界で」
「––––君も咲も、そんなにこの世界が好きじゃないみたいだね」
「そう思う?」
「谷端さんもだけど」
千鶴は窓の外を見る。
「言っとくけど、汐理の話はしないよ。それは本人に直接聞いて」
「僕もそのつもりだよ。本人が話してくれるのを待つ」
「いま、聞けばいいのに」
「谷端さんのタイミングじゃないはずだから」
「あなたって本当に––––」
「はい」
千鶴は言った。
「優等生」
「よく言われる」
「……あなたみたいな人と、わたしも咲も、汐理も––––もっと早く出会えてたらよかったな」
「どうして?」
「だって」
やや沈黙が走った。
千鶴は志郎から目を逸らす。
「人の話を、聞いてくれるんだもの」
あるいは––––人の話を聞く、というのは、ある種の冷たさが必要なことなのかもしれない、と、志郎はなんとなく思った。
そのとき、千鶴のスマホが鳴った。千鶴は画面を確認する。すると、あ、と声を出した。
「どうしたの?」
「ごめん。今日はもう帰らなきゃ。彼氏に呼び出された」
千鶴は恋をしているのだな、と、志郎は思う。
咲という友達の死があっても、それでも、千鶴の日常は続くのだ。
「そうか。今日はわざわざありがとう」
「なにかヒントは得られたかしら」
志郎は考える。
「うん」
「ならいいけど。今日はわたしの奢り」
「そんなわけにはいかない」
「お願い」
と、千鶴は志郎の目をまっすぐに見た。
「お礼だと思って」
「お礼?」
「久々に咲の話ができた、お礼––––」
そこで二人は別れる。
もう会うことはないかもしれない。
確かにLINEでは繋がっている。しかし、もう自分から千鶴に連絡することはないだろう、と、志郎はなんとなくそんな確信があった。
これ以上のことは千鶴にもわからないはずだったから。
千鶴は伝票を持って、カウンターへと向かっていく。今日は千鶴の奢り––––それが千鶴にとっての感謝なら、受けないわけにはいかない。志郎は一人になってコーヒーを啜る。もう一杯飲んで、そしたら帰ろう。そう思った。そして家に帰ったらとりあえず勉強をする––––。
そう、あくまでも、自分は自分の日常をこなしていかなければならない。




