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第十七話 蠅をぶち殺したくなったら・2

 途中でトイレを済ませ、音楽室。

 誰もいない教室の中、志郎はパイプ椅子を三つ取り出す。千鶴はどこからなにを話そうかと逡巡し、汐理はとにかくこの話し合いを怖れていた。

「座って」二人をうながす。「いろいろ聞きたいことがある」

 そのまま二人は椅子に座った。

 志郎は口を開いた。

「咲は––––」

「ちょっと待って」

 と、千鶴が制止した。

「なにかな」

「あなたが咲とどういう出会い方をしたのかをまず知りたいの」

 邂逅の日のことを思い出す。

「雨の日に、僕が駅前で困ってたら、彼女が傘を貸してくれたんだ」

「その時点で知り合いだったの?」

「いや。少なくとも僕は初対面だった。ピアノの発表会に来ててくれたみたいだけど」

「そう。それで?」

「そのあと、学校に来て、傘を返して、LINEの交換をした」

「ふうん。まるで全部読めてたみたいね」

 志郎は訝しむ。

「どういう意味?」

「あの子そういうところがあったから。予知能力じゃないけど、なんだか先の展開を読むのがうまくて。気づいたらそうなってたんだけど」

「いつごろから?」

「自殺未遂してから」

 話がいきなり深層部分へと飛び込んだ。

「君のせいだって言ったよね」

「そう。あの子がいじめられてたときに助けてあげられなかった」

 咲がいじめられていた?

「詳しく」

「あの子、中二の頭ごろまではむしろいじめの首謀者だったんだけど、クラスのイケメンに言い寄られて、それが同じ女バレの部長の彼氏だったのよ。当然、部長としては面白くないわね。それであっという間にいじめの被害者––––」

 驚愕の内容。

「……咲が、いじめの首謀者?」

「そう。そんな話、本人が彼氏に言うわけないわよね」

「僕は、いじめられていたという話も聞いたことがない」

 それは別にどうでもいい、と言わんばかりに千鶴は続けた。

「わたしはパソコン部で、根暗なオタクみたいなレッテル貼られてたんだけど、でもそこまで深刻ないじめにはならなかったのよ。それで咲はいじめ加害者だったけどわたしとは関わりがなかった。ただ、美化委員会で一緒で、完全に無関係だったわけじゃないのよね。それが、彼女がいじめられ始めたときにちょっと声をかけてあげたの。そしたら少し仲良くなって」

 美化委員会、という単語が出てきて、汐理は身震いした。

「汐理も同じ美化委員会」

「それは聞いた」

「汐理は、いまでこそこんなギャルだけど、当時は結構おとなしい子だったのよね。ね?」

「……」

 汐理は沈黙するばかりだった。志郎は初めて汐理の家庭教師の授業をするにあたって汐理の写真を見たことを思い出す。確かに写真に写っている中学生の彼女はいまの汐理とはまるで違いおとなしそうな女の子だった。

「で、まあ––––ちょっと咲に目をつけられてたってわけ」

「あたしは別にいじめられてたわけじゃないですけど」と、汐理は口を開く。「ただ、咲先輩が、あたしのこと気に食わないみたいな感じで」

「そうね。咲としてはそんな強い意識はなかったでしょうね。ただ、なんとなく気に入らない、みたいな感じで」

「……」

「でも咲がいじめられるようになってからは彼女ちょっと性格が変わって、そんなに攻撃的ではなくなったの。人の痛みがわかるようになったのかしら」

「それで?」

「汐理に対してもまるで怯えたように接するようになったよね」

「別に」

 吐き捨てるように汐理は言う。

「まあ、とにかく縮こまっちゃったわけ。それまで首謀者だったのに急転直下。でも––––結果的にわたしと仲良くなったわけ。お茶したり––––二年生の秋、あなたのピアノの発表会に一緒に出かけるぐらいにはね。その日はたまたまだったけど」

「咲の自殺未遂の原因は?」

「彼女がレイプされてるのを見て見ぬふりをした」

「––––」

 汐理が身震いした。とにかく、千鶴の話を聞こう、と、志郎は思った。

「中二の冬に、帰るのがちょっと遅くなって、暗い夜道で––––二人で一緒に歩いてたとき、わたし、ちょっとコンビニに買い物に行ったの。それで帰ってきたらレイプが始まってた。でも、わたし動けなかったの。百十番もできなかった。ただその場にいるだけで––––そのとき咲と目が合って、わたし、逃げたの」

「君が悪いわけじゃない」

 千鶴は意外そうな顔をした。汐理も目を剥く。

 志郎は続ける。

「パニックに陥ったんだから仕方がない」

「……」

「それで、自殺未遂?」

「––––そう」続けよう、と、千鶴は話を再開した。「翌日、校舎から飛び降りたの」

「……それで?」

「そのまま入院して、助かったことは助かったんだけど、それからなんだか予知能力チックな感じに彼女なったのよ」

「先の展開が読めるかのよう、だったね」

「あと、なんだか人間が丸くなって。怪我の影響なのかわからないけどすごく大人になってて、そしたらいじめられることもなくなったのよ。加害者の方が、相手をしていてもつまらない、と思うようにした、みたいな感じがわたしにはしたんだけど」

「君との仲は?」

「咲は、なんだか本当に気にしてないみたいな感じがしたんだけど、わたしがちょっと付き合いづらくなっちゃって。でも、距離はできたけどそれでも卒業までお喋りするぐらいの関係ではあった。でも、卒業してから彼女一人暮らしを始めて、この三年間わたしとはずっとLINEで繋がるだけだったの」

「アパートに招待されたことはなかったの?」

「あなたは咲の家に招待されたの?」彼氏なら当然かもしれないが、と思う一方で千鶴は意外そうだった。「なかなかガチの恋人同士だったみたいね」

「……」

「で、わたしの話はここでおしまい。今年の梅雨時に最後のLINEしてからずっと未読。ブロックされてる可能性もあったけど––––そう、あの子、消えたの」

 千鶴はどこか遠い目をした。

「消滅だの消えただの、二人とも、結構あっさり受け入れたようだけど」

「あの子、しょっちゅう魔女の話をしてたから。予知能力の件もあったし、急激に丸くなったのもそうなんだけど」

 話が核心に突入した。

「––––昼下がりの魔女?」

「そう」やたらと飲み込みが早いのはなぜなのだろうと思う一方で千鶴は気づいた。「この学校の七不思議だったね。一時期ニュースはそればっかりだった」

「魔女が、どうしたって?」

「魔女が助けてくれた、って、ずっとそう言ってたの。怪我の影響で頭がちょっとおかしくなったのかなって最初は思ったんだけど。でも、彼女の変わりようから、そういう不思議なこともあるのかもしれないな、と思うようにはなったのよね。わたしファンタジー小説が好きだったから、そういうことがあったら面白いな、って気持ちというか、期待があったのもそうなんだけど。あの子、魔女が助けてくれるから頑張ってるの、っていつもそんなことばっかり言ってたわ」

「もうちょっと具体的に」

「それがわたしにもよくわからなくて。よくっていうか、全然」

 ならばこれ以上千絵の件を追及しても意味がなさそうだ、と、志郎は思った。

「だから……咲が、消えたなら、魔女のおかげなのかな、って、さっき、わたしちょっと思ったのよね」

「……?」

「あの子、いつも、早く消えたい、早く消えたいって言ってたから」

「それはなぜ」

「さあ。わたしもどうしてって聞いたんだけど、結局答えてくれなかったな」

 千鶴の沈んだ表情を見て、ふと志郎はあることに気がついた。

「––––それで、僕は君たちにとってなんだったの? ただ発表会の件で覚えてるだけじゃないんだよね?」

 さっき千鶴は、志郎が咲に()()()()()()()かを気にしていた。その件ももちろん志郎は忘れていない。

「退院してから、咲があなたに会いたいってずっと言ってたのよ」

「なぜ」

「さあ」

 しばしの沈黙。

「いや、本当にわたしはどうして咲があなたに会いたいって言ってたのか知らないの。ただ、早く会いたいってそればっかり言ってて。そんなにピアノに感動したのかなってわたしは思ってたんだけど、それにしては時間差があったのが謎だった」

「なにかされたのか、っていうのは? 咲はなにかをすることができたの?」

「元気のない人に手を当てると元気にできた、みたいなことが度々あって。それだけなんだけど」

 咲は一種の治癒能力にでも目覚めたのだろうか、と、志郎は思う。それこそ自分が交通事故の影響で特殊能力が芽生えたように、咲も自分と似たような経験を経ていたのかもしれない。いや、むしろ彼女自身が特殊能力者だったからこそあんな姿になって“消滅”をしたと考えた方が自然だった。

 そしてそれは千絵と関係があることで、そして––––自分にも関係のあることだということがわかった。その二つがどのように関係しているのかはまだわからないが、自分自身も咲の消滅に関与していることがわかったというのが今回の最大の収穫であった。

「わたしの話はこれぐらいかな」と、千鶴はふう、と、息をつく。「なにかあなたの知りたかった情報はあった?」

「はい」

「ならいいけど」と、千鶴は汐理に顔を向けた。「汐理もわざわざありがとう」

「いえ。あたしは、別に」

「そう。じゃ、わたしはこれで」

「あの」

 と、立ち上がった千鶴に志郎は声をかける。

「まだなにか?」

「––––どうして、妹尾さんは、咲のことがずっと気になってたの?」

「ああ」

 と、千鶴は、そこで初めて笑みを見せた。

「あの子、ちゃんと消えられたのかなって思って」

 なにを言っているのかわからない。

「でも、消えられたなら、よかったんだろうな」千鶴は志郎を見つめる。「もういい?」

 千鶴に聞けることならもう全て聞いたはずだ、と思い、志郎はうなずく。

「どうもありがとう」

「それじゃ」

 やがて千鶴は去っていった。

 音楽室には志郎と汐理だけが残った。

 志郎は、ふう、と、ため息をつき、ふと汐理の方を見ると彼女はなんだかもやもやしているように見えた。

「谷端さん、どうかしました?」

 だが汐理はそのまま答える。

「––––いえ。別に」

 なにか言いたいことがあるのだろう、そう思ったが、汐理の決意がそこまでいっていないことはすぐにわかったので、志郎はそれ以上追及しなかった。先日汐理は、咲と千鶴と自分といじめの加害者たちとの間でいざこざがあったという話をしていたが、今回その件について千鶴はほとんど触れなかった。これは汐理に聞かなければならないことだったが、しかしきっといま追及しても言葉にならず結局うやむやになるだけだと思った。

 いつか汐理に話せるときが来たら、そのときが話を聞くべきときなのだろう、と、思った。

「じゃ、そろそろ行きましょうか」と、志郎は立ち上がった。「学園祭はまだまだ続きますよ」

「あたしは––––」

「年に一度のお祭りです。楽しみましょう」

 楽しもうなんて気分ではないのだろう。早く家に帰りたいと思っているかもしれない。それでも、汐理の“やなこと”がこの祭りで少しでも解消できたらいいのだが、と、志郎は思った。

 志郎は笑う。

「行きましょう」

 しばしの沈黙を経て、やがて汐理はうなずいた。

「うん。じゃあ、もうちょっと」

 祭りの喧騒は鳴り止まない。

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