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第十六話 少年時代・9

 ライヴが始まる。

 直前のダンス部の演目が終わり、志郎たちは急いでステージの準備を始める。総一朗はおろおろしていたが、さっきの音楽室での練習をしてからいつまでも驚愕が止まらなかった。

 観客には智子も恭史もいたし、志郎の生徒たちも全員来ていた。蒔菜と紗耶香も喫茶店を抜け出しやってきている。だが明るいステージから暗い観客席の一人一人を識別するのはちょっと難しい。志郎たちとしては、みんな来てくれているといいな、と思っていた。

 観客席はまばらで、さすがに満席になることはないだろうと思っていた志郎たちだったが少し残念ではあった。でも、いまここにいる人たちに、なにかが届けばいいな、と、そう思っていた。

「次は、音楽部のバンド発表です」

 司会者の言葉を受けるころにはステージは完成していた。上手側にベースの志郎、下手側にギターの総一朗。そして、中央のやや奥にドラムのりつき––––と、マイク。

 観客席がちょっとどよめいていた。パンフレットと違う。ギターの人歌わないの? マイク、ドラムの子にしかないけど。じゃ、()()()()かな。

 ざわめく会場をよそに、志郎と総一朗は顔を見合わせ、りつきを見る。

「大丈夫」

 そう小声で言うりつきが、やがてカウントを始めた。

 ギターリフと共に始まるハードなロック。

 それを歌うのは––––りつき。

 志郎と総一朗は演奏しながら驚愕していた。さっき音楽室でもびっくりしたが、りつきの美声と圧倒的な歌唱力はステージの上でこそ輝いた。

 しかも激しいドラミングと共に歌っている。生半可な腕前ではない。ほとんどぶっつけ本番なのに、これが幼いころから専門的な音楽教育を受けてきた人間と素人の違いなのか、と、二人はただただ驚愕する。

 最初、りつきが歌い始め、ややポカンとしていた観客たちだが、やがて熱気に包まれ始めた。中にはスマホで友達たちに『体育館すごいよ!』と連絡する者もいた。それだけりつきの歌声には凄まじいパワーがあった。

 総一朗のギターはなかなかだったが、しかしそれより志郎のベースの方が巧みだった。総一朗は再び驚く。たった二週間の練習で、こんなにうまくなっている––––志郎に対して嫉妬心が生まれないといえば嘘になる。でも、それより、やっぱり志郎は天才だ、さすが志郎だ、と、総一朗はただただ感嘆していた。

 そうこうしている間に演奏が終了し、先ほどより観客の数が増えた会場から盛大な拍手が送られ総一朗は少し照れた。そしてそのまま二曲目に移る。曲は全部で五曲。

 ずっとこのまま演奏していたい––––三人とも、ずっとそう思いながら、ひたすら自分たちの音楽を作っていった。


「お疲れ!」

 と、ステージ裏で蒔菜と紗耶香が三人に声をかける。

「ありがとう二人とも」

「いや〜すごいねりつきくん! よくドラムあれだけ叩きながら歌えるね!」

「趣味だから」

「はあ、すごいなあ」

「すごかったよー三人とも」と、パチパチと拍手する蒔菜。「わたし感動いたしました」

「ありがとう!」掠れ声で総一朗は言う。顔中、満面の笑みだった。「ほんとにありがとう! りつきも––––ありがとう!」

「ああ。それならよかったんだが」

「俺、弾きながら感動した! な!」

 と、総一朗は志郎に同意を求めた。志郎はうなずく。

「びっくりしたよ。あんなに歌えるなんて。しかも叩きながら」

「これでよかったなら、いいんだけど」

 どこか口籠もるりつきに、一同は、ん? と、それぞれの頭に疑問符が浮かんだ。

「総、歌いたかっただろう?」

 総一朗は、うなずく。

「結果オーライ! 今日はこれでパーフェクト! また今度、やろう! 今度こそ俺、歌うよ!」

「そうか」ふっ、と、りつきは微笑んだ。「またやろう」

「おう!」

 志郎は微笑ましい気持ちでいっぱいだった。

「先生ー、来たよー」

 喜孝と芳樹がやってきた。あとには翔も貴代美もいる。そして智子も恭史もにこにこしている。

「みんな、ありがとう」

 それぞれの対応をする志郎は、みんなからすごかったかっこよかったと褒められ、さすがにちょっと照れ臭かった。

「いやー! 最高!」

 総一朗がガッツポーズをする。

 志郎は楽しかった。


 その後、終了まで志郎たちは学園祭を楽しむことにした。これが高校生活最後の学園祭だと思うと、時間が来れば終了するということがどこか寂しかった。でも、だからこそ今日は思いっきり楽しもう。みんなそう思っていた。

「ちょっとトイレ」

 と、志郎は一人トイレに向かう。

 ちょっと浮かれているな、と、思う。用を足したのち、顔を洗いたい。喧騒の中、志郎はてくてくとトイレに向かっていく。

「せーんせ」

 と、後ろから呼びかけられ、志郎は振り返る。

「谷端さん」

「よ」

 後ろ手を組みながらのんびりと志郎のもとへと向かう。

「ライヴ観たよ」

 志郎は頭を軽く下げた。

「どうもありがとうございます」

「すごいかっこよかったー。なんか普段よりイケメンに見えたよ」

「なんだか棘が、毒が」

「ま、それはともかく。いやはや、志郎先生はちゃんと青春してるんだなって思ったよ」

 汐理は、()()()()()()していないのだろうか、と、志郎は訝しむ。

「おかげさまで、友達に恵まれてて」

「ふうん。いいね。あたしそういうの好きよ」

「それはどうも」

「すごいかっこよかった」

 それは二度目である。そんなに普段だらしなく見えるのだろうか、と、志郎はちょっと腕を上げて自分の身体を見る。

「なにしてんの?」

「いや、あの。かっこいいなんて普段言われないから、なんとなく挙動不審で」

「変な人」汐理はくすくす笑う。「トイレ?」

「はい」

「そ。あたしもうしばらくぶらぶらしてる」

「あ、はい」

「かっこよかったよーマジで」

 三度目。

 さすがに怪訝な顔になる。

「そんなにかっこよかったですか?」

「うん」どこか切なげだった。「男の子、って感じがした」

「?」

「ま、志郎先生には難しいかな」

「?」

「まあとにかく。久々のライヴでなかなかストレス解消できたよ。マジ楽しかった」

「ありがとうございます」

「こっちこそありがとうだよ。ほんとに、毎日やなことばっかりで––––」

「––––汐理?」

 突然、見知らぬ女の声が聞こえ、志郎と汐理は声のする方へと顔を向けた。そこには一人の少女がいた。

 汐理は、“やなこと”と遭遇したといった顔をまるで隠さなかった。

千鶴(ちづる)先輩……」

「来てたんだ」

「ええ。まあ」

 汐理の態度はぶっきらぼうだった。構わず彼女は続ける。

「その人、ベースの人だよね」

 と、その少女は志郎を見た。

 志郎は頭を下げる。

「山岡志郎です。ライヴ来てくれて、ありがとうございます」

妹尾(せのお)千鶴です。汐理の先輩。あなたは?」

「谷端さんは僕の家庭教師の仕事の、生徒さんなんです」

 千鶴はちょっと目を丸くして汐理を見る。

「家庭教師。偶然もあるものね」

「千鶴先輩、なにか用ですか?」

 早くいなくなってほしいと言わんばかりに汐理は訊いた。

「ううん別に。見たから声かけただけ」

「そうですか」

「こないだ会ったばっかりなのにね。縁があるのかしら」

「知りません」

 となると、月曜日に汐理が出会ったという人物だろうか、と、志郎は思った。

 であるのであれば––––咲の同級生?

 千鶴は汐理の対応もそこそこに、志郎に声をかけた。

「あなた、トルコ行進曲の人だよね」

「––––え?」

「中学のときのピアノの発表会––––()()()()()()

 志郎の世界が止まった。

 そして––––なぜか、汐理の世界も。

「千鶴先輩」

「ごめんね」

「あの」冷や汗をかきながら、志郎は問う。「咲の……雨宮さんの、お友達ですか?」

 汐理は驚愕した。その驚愕の表情には、初めて志郎に対する“恐怖”があった。なにより咲のことを“咲”と呼んだ。なぜだ。二人はどういう関係なのか。恐る恐る、震え声で汐理は志郎に訊ねた。

「先生、咲先輩のこと、知ってるの?」

「なら好都合だった」

 千鶴は志郎に迫る。

「あの子、いま、どこにいるの?」

「え––––」

「教えて」

 だが、志郎には答えられなかった。

 骨の翼を生やして消滅した––––などといった説明を、普通の人間に受け入れられるはずがない。

「僕も、いまはよく」

「なんだ。使えない」

 汐理は真っ赤になって怒った。

「千鶴先輩、そんな言い方ないでしょう」

「あらごめんなさい」

「あの」

 志郎は訊ねる。

 訊ねなければならなかった。

「雨宮さんとはどういう関係なんですか?」

「友達よ。同じ中学の」

 咲の所在を知らないのであればお前のことなどどうでもいい、そういった様子を千鶴は一才隠さなかった。

「もうちょっと具体的に」

 ふう、と、ため息を軽く吐き、千鶴は言った。

「あの子の自殺未遂の原因」

 志郎の世界も、汐理の世界も、完全に停止していた。

 この少女は咲と深い関わりがある。

 そして––––汐理も。

 学園祭の喧騒の中、三人の世界だけが周囲の空間から切り離されそこにあった。

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