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第十六話 少年時代・6

「先生ー。こないだはごめんね〜直前になってドタキャンで」

 そして木曜日になり、汐理の授業。

 谷端家に訪れ、汐理は開口一番にそう謝罪した。部屋に向かいながら志郎は首を振った。

「いいえ。急用は誰にでもできるものですから」

 雑多なものに囲まれた部屋に入り、それぞれの席につく。

 汐理はちょっとため息を吐いた。

「ん、ありがと。でも急用っていうんじゃないんだ」

「どうかしました?」

「ってなるよね〜。先生ならば」

「僕でよければ」

「昔の友達と会ったの」と、汐理は教科書を開き、シャーペンをくるくると回した。「なーんか、もにょっちゃって」

「あまり仲のいい友達ではない?」

「いや仲は別に悪くはないけど……昔ちょっといろいろあってね。まあ詳細なエピソードをここで語ることはないけれど」

「はい」

「やなこと思い出しちゃって。中学のときの先輩なんだけどさ、一個上の」

 南西中学。それは咲の通っていた中学でもある。その一個上の先輩ということは、咲の同級生––––志郎は身構えた。

「どんな方?」

「どんな」と、汐理は目線を上に向け考える。「う〜ん……パソコン部の子でさ」

「ほう」

「どっちかっていうといじめに遭ってたような子で。ま、彼女はいま普通に高校通ってるんだけど」

「乗り越えた、ということでしょうか。いじめを乗り越える、という表現もあまり好ましくありませんが」

「ていうか、その子の親友が自殺未遂しちゃってさ」

 なかなか深刻な話らしい。

「なにやら複雑そうで」

「うーん」

 志郎は話題を少し変えてみる。

「ところで、谷端さんはその方とどういうご関係だったんですか?」

「え、あたし? あたしは委員会で一緒だったから度々関わるって感じで。美化委員会だったんだけどさ。あたしがかわいいから美化委員会ってわけでもないけど」

「いま、ツッコミどころでした?」

「スルーして。でまあ、ところどころで日々お世話になってたわけよ」

「ふむ」

「––––やや具体的なことを話すと、その子と自殺未遂しちゃった子とあたしと、それからいじめの女子グループの間でちょっといざこざがあったのよね。やだね女は」

「谷端さんは被害者? 加害者?」

「見て見ぬふり」ペンをくるくると回し続ける。「だから、加害者」

「そうだったんですね」

「幻滅しない?」

 と、恐る恐る、汐理は志郎に訊ねた。

 志郎は即答する。

「そのときの状況、というものがありますから、戦えなかったとしても誰にも責められません。僕がそうしなかった、という保証もないし、そんな仮定の話は無意味です」

「ん。あんがと」

「とにかく、ネガティヴな思い出とセットのお友達なわけですね」

「あ〜そうそう。そういう感じ」

「大変でしたね」

「まあね。街でばったり会ってお茶して軽く話した感じで」

「その自殺未遂した子というのは」もしや、と、志郎は身構える。「いまは?」

「それがわかんなくなっちゃったのよね〜。就職はしたみたいなんだけど、その先のことがわからない」

 咲は歯医者の事務をしていると言っていたことを思い出す。

「となると、その方とその子の関係は途切れていた?」

「そうなるよね。なんでか知んないけど。すごい仲良かったと思ってたんだけどさ。一緒の高校に行ったわけでもないし––––ま、これ以上は個人情報保護法に引っかかるので。あたしも別に今回なにかトラブルが発生したわけじゃなくて、単にあたしの心の動きの話だってわかってるから」

「はい」

「……ただ、あたしにできることなんてほんとになにもなかったのかな? って、ずっと心残りなのよ」

 志郎は汐理と向き合った。汐理はまっすぐ見つめられやや緊張する。

「過去を振り返れば、ああすればよかった、こうすればよかった、と思うものです。それはもう当事者ではなくなっているから、余裕を持って客観的に状況の把握ができる、ということです」

「まあね〜。当時パニクってたからね〜」

「谷端さんの後悔はすごくわかります。僕も後悔はたくさんあります。こうすればよかった、ああしなきゃよかった、と」

「そういう場合は?」

「次に活かせたら、と思います」

「次か……」と、そこで汐理は、はあーっと大きくため息をついた。「しかしながら彼女たちには罪悪感でいっぱい。あたしは自己嫌悪でいっぱい。いっぱいいっぱい」

「いじめの被害者で、自殺未遂ですもんね」

「そうなのよ。それとも、この経験をもとに、次に会っていくであろう他のいろんな人たちに優しくしてあげればそれでいいのかしら。なんか本人たちにはなにもできてないわけだけど」

「もしかしたら、自殺未遂したその子は、いまではもう亡くなっているのかもしれません」

 汐理の顔に翳りが生まれる。

「それでもせめて、その優しさが巡り巡って本人たちに届くといいな、と、そう願うしかないのかもしれません」

「そうよね〜……ほんとに、生きてたらいいんだけど。楽しくやれてるといいんだけど」

「ただ」

 ん? と、汐理は志郎を見る。

「一番は、谷端さんが幸せになることだと思います」

「……」

 ペンを回す手を止める。

 汐理は、どこか睨むような目で志郎を見つめた。

「あたし、幸せになっていいのかしら」

 志郎は即答する。

「もちろん」

「ふうん」

「もちろん––––谷端さんが、そう望むなら」

「……」

 汐理は暗い顔のまま教科書を開く。

 そして次の瞬間、いつものおどけたような顔の汐理がそこにいた。

「ま、授業にしますか」

「そうですね」

「今日もピザ頼んどいた」

 やがて授業が始まった。

 志郎は思う。

 この女の子の抱えているものは––––なかなかとんでもない。

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