第十六話 少年時代・2
「社会の分断っていうのはなぜ起こるのでしょう」
日曜日。志郎は翔の授業をしていた。
休憩中にふと呟いた翔に、志郎は言った。
「それがいまの君のテーマ?」
「テーマというか。結局どうしてなんだろうと。ネット見てると社会の分断っていうワードがすごい出てくるので」
「ネットを見てればそう思うだろうね」
「リアルでは、違う?」
「違う、と、そうはっきり言い切れるほど僕は現実の社会のことがよくわかってないからな」
ふう、と、翔はため息を吐いた。
「どうしたの?」
「いえ、別に」
ため息が気になったが、とりあえず志郎は翔の疑問に答えてみようと思った。
「……社会の分断がなぜ起こるのか、というと、僕はなんとなく、一方的な態度からだと思うね」
「一方的?」
「相手にもなにか考えがあるんじゃないか、とか、相手は相手で意図や事情があるんじゃないか、とか。あるいは、これぐらいの失敗なら許してあげよう、とか、これぐらいのミスなら自分がカバーしてあげよう、とか、そういう発想に欠けている」
「ふむ」
「だから、そういう意味では社会の分断は人の幼さが元凶だと思うね」
「幼さ……」
翔のどこか暗い表情に当然気づいていた志郎だが、とにかく話を続ける。
「世の中はケースバイケースで、世界は多様にできていて、自分と他人は異なる人間で、しかしどっちにも尊厳がある、ということが直感的にわかれば、あるいは」
「多様。多様性ですか」
と、そこで翔はちょっと勢いづく。
「多様性多様性って、逆に息苦しさ感じますけどね」
「それは仕方がないと思うよ。いまの世の中は“一人一人がかけがえのない存在である”ということになっているからね。これまでみたいに蔑ろにしてもいい人間、とか、おざなりにしてもいい人間、とかがいないことになってるから。だからどうしても息苦しくなるさ」
「蔑ろにしてもいい人間なんかいました?」
「わかりやすく言えばなにかの障害のある人とか、同性愛の人とか」
精神に障害のある自分。同性愛者の先輩。
翔は苦笑した。
「流行りのLGBTですか」
「別に流行ってるわけじゃない。昔からそういう人はいた。そして––––僕らは彼らを“そういう人”と呼ぶ。呼んでしまう。それはやっぱり、僕らの中に差別心がある証左だと思うよ」
「僕らって、僕も?」
「それこそ全人類が」
「誰もが誰かを差別している、と?」
「そうだね。そういうことだね。それこそ、自分で自分を差別している、ということもままある」
「先生的には、世の中がだいぶ殺伐として見えているようですね」
「事態はいつだって絶体絶命なものだよ。そしてその中でなんとかうまくやっていくしかない」
「ふむ……しかし、それはそれで、僕には多様性多様性って言われる度に多様性にも闇があるんじゃないかって懐疑的な気持ちになりますよ」
「物事は多面的なものだから、何にでも闇はあるさ。多様性に闇があるのと同じように、正義にも良心にも闇はある。あらゆるものにね」
「あらゆるものに?」
「あらゆるものに」
「そんなにみんな闇深いとは思えませんけど。僕には学校のやつらとかみんなパッパラパーに見えますけど」
「闇っていっても圧倒的存在感のあるものじゃないと僕は思うね。“あの野郎、マジでムカつく”とか、そんな程度のものだよ」
「それが闇? なんかしょぼいですけど」
「闇なんてしょぼいものだよ。例えば僕も、まだ十八歳の子どもだけど、この半生にいろいろなことはあった。ショックな出来事も多々あった。でも、いまとなっては“そんなこともあったな”と思う程度になってる。それこそ僕の闇なんて誰もがつまずく出来事に過ぎないし、あるいは、同じような体験をした人が他にもいることがわかると、自分の闇が特別なものではないこともわかっていく」
「……そんなこと……ですか」
また翔の表情に翳りが生まれた。
「そう。そして、“そんなしょぼいこと”をそのまま放っておくと––––社会が分断されるのかもしれない」
「?」
「翔くんは、なにか悩んでるときとか愚痴ったりして、“そんなこといちいち気にするな”とか言われたことはない?」
「ありますよ。ほんとに殺してやりたいと思う」
「その殺意が本物の殺人へと至る可能性のことを考えてご覧」
「……なるほど」
「そう。結局のところ、一人一人のちょっとした、しょぼい闇を、無視して軽視して、そしてそのしょぼさはその果てに邪悪になり巨悪になる。例えば……“誰もおれの話を聞いてくれなかったじゃないか”みたいな感じかな」
「––––」
志郎は、翔と向き合った。
「君も、話を聞いてくれる人がいるといいんだけど」そしてにっこりと微笑む。「それが僕だといいんだけど」
「……」
志郎の微笑みを見て、翔はなんとも言えない表情になり、やがて––––笑った。
「先生さえよければ」
うん、と、志郎はうなずいた。
「ところで、来週の土曜日なんだけど」
「?」
「僕の高校で学園祭があるんだよ。それで、僕の部活の、音楽部の発表会があるんだ。時間があったら翔くんにぜひ来てほしいんだ」
「……」
「これ、パンフレット。よかったらぜひ」
「……」
パンフレットを見て、ベース・山岡志郎と書かれた文字を見て、翔は意外そうな顔をした。
「先生、ベースなんて弾けるんですね」
「うん。そこそこね」
「ふうん……趣味があっていいな……」
先ほどから翔の話を聞いていて、志郎は翔の抱えている“なにか”を掴んだような気がしていた。それはいまの志郎ではまだうまく言語化できない。だが、志郎はなんとなく思う。
翔は、寂しいのだ。
「趣味って言っても、好きなことをやる、ってことだよ」
「好きなこと……」
「いま、パッと頭に浮かんだものはなにかな?」
「……」
しばしの沈黙のあと、やがて翔は、ちょっとはにかみながら、答えた。
「スヌーピーが好きです」
志郎は翔がかわいかった。
翔の“スヌーピーが好き”ということから、翔のなにかが始まればいいな、と、そう願うばかりだった。




