第十五話 君を創ったやさしさを・3
体育館へと向かいながら、志郎とりつきはいろいろなことを話した。その中でメインとなるのはやはり志郎自身のことと、そしてりつきについてだった。
「りつきのお家は元財閥だって言ってたけど」
ああ、と、りつきはうなずいた。
「いまでも政財界に強い影響がある」
「そうなんだ。具体的になにをしてるの?」
「祖父の代からIT業界で活躍してる。オレもいずれは継ぐことになる」
「へえ。そういえば模試に志望校はマサチューセッツ工科大学って」
「そう。どうせなら難しいところに」
「ああ、僕と同じだ」
「志郎は、東大の理Ⅲだったな」
「医者になりたいんだ」
「へえ。いいな、進路がはっきりしてて」
「りつきははっきりしてないの? お父さんの後を継ぐっていま言ったけど」
「別に将来やりたいことがあるわけでもないから、オレが継ぐなら継ぐで特に不満はない、というだけだ。別に親もそこまで伊集院の血を特別視していない。成金の割にはあっけらかんとしてるよ。まあ、祖父が家柄とかそういうことにやたらこだわる人間だったから、父は飽き飽きしてたってところかね」
「となるとりつきは長男」
「いや。兄貴が一人いたんだが、家出してな。昔の話だけど」
やはりお金持ちの家はいろいろあるのだろうか、などと、つい偏見を持ってしまう。
「そうなんだね」
「当時は祖父が生きてたもんでね。兄貴にやたら期待してたよ。それが面倒になったわけだな。書き置きしていなくなった。『伊集院よ永遠にさよなら』だとよ」
「りつきも大変だったね」
「いや? オレはなんていうか、そうなるならそうなるで別に構わないと思ってたから」
「なるほどね」
そんな話をしながら体育館へと到着した。ダンス部は休憩中だった。部員同士で和気藹々としている中、志郎とりつきがてくてくとやってきたのでみんな注目を始めた。
「あ。山岡くん……と、謎の転校生」
とスマホを片手に何気なく呟いた沢渡遥にりつきは反応した。
「謎の転校生?」
「えっ。この遠距離でこの声が聞こえたの?」と、遥は目を丸くした。確かに遥たちと志郎たちの距離はまだ全然近くなってはいなかった。「すごい耳いいね! ね!」
部員たちが同意し、すごいすごーいと称賛する。
志郎たちはいよいよ遥たちに近づいた。
りつきは言う。
「耳はいい方だ。それで、オレのなにが謎?」
遥は澱みなく答えた。
「オレンジ色の髪の毛の、高校三年生の二学期に転校してくるなんて謎っしょ」
「全て外見的特徴だな」
「む、むう。でも伊集院くんとクラス違うし、いまが初対面だしそれはしょうがない」
「りつきでいい」
「じゃ、りつきくん」
女子部員たちがみんな志郎とりつきの周りに集まってくる。りつきが場の中心になった。
「伊集院ってお金持ちっぽい名前ね!」
「実際金持ちだよ」
「わーなんかすごい余裕綽々」
「それはどうも」
「りつき、って珍しい名前だね」
「オレは気に入ってる」
「あたしも自分で気に入るような名前に生まれたかったな〜」
「いまから気に入ればいい」
「ねね、りつきくんって呼んでいい?」
「ああ。伊集院、って言いにくいだろ」
「みんなで自己紹介しよ! よろしくね」
「オレ、りつき。伊集院りつき」
「あの〜」
と、そこで志郎は声を上げた。ん? と、部員たちは話に割り込んだ志郎がちょっと邪魔だな、と思ってしまった。
「沢渡くんいる?」
「お兄ちゃん?」と、遥は怪訝そうな顔をした。「お兄ちゃんならいままさにトイレに行ったとこ」と、男子トイレの方を見る。「すぐ戻ってくると思うけど?」
「よかった。音楽部の発表に出るかどうかを訊かなきゃいけなかったから」
「あ、なるほどね。でもどうせ出ないと思うよ〜」
「それでも一応確認しなきゃ」
「生真面目委員長だねえ」
「いまは音楽部副部長としてだけどね」
「それ、飼ってる犬か?」
と、唐突にりつきは遥のスマホに目をやった。瞬間、遥は複雑な顔をした。
「うん。すみれちゃんことすぅちゃん」
「かわいい犬だ」
「うん……」そこで遥は複雑な表情から悲痛な顔になった。「でも、もうそろそろかなって。もう十七歳で、最近は……もう、間もなくかなって」
「そうか。哀しいな」
「うん……」
さっきまでとは異なり、部員たちはみんな顔を沈ませた。みんな、すぅちゃんが大好きなのだ。
「よかったら、話を聞くよ」と、志郎は言ってみた。「ペットロスにはどうしてもなると思うから、その前に少しでも役に立てたらと思って」
りつきはちょっと藪から棒なのではないかと思ったが、みんなは志郎が人の話を聞くことに長けているのはわかっていた。遥も、“専門家”に話を聞いてもらいたいようだったので、なんとなく言葉を紡いでみた。
「うん……といっても、なんだかんだもう十七歳だからなあ……。先々週ぐらいから急に弱ってきて、目も見えなくなってて……ほんと突然だったんだけど、でも、十七歳だしなあー、って」
「十七歳だろうが百歳だろうが、家族がいなくなるのは辛いと思う」
志郎の言葉に、遥はちょっと目を潤ませた。
「ああ、うん、それはまあそうね。家族がいなくなるのは、辛い」
「辛いね」
「うん……」
りつきは、志郎は精神科医にでもなりたいのかな、と、なんとなく思った。
「あれ? 山岡くん……と、謎の転校生」
と、そこに沢渡胤眞が現れた。
「ああ沢渡くん」
「また謎扱いか」
りつきがそう呟いたので、胤眞は笑って答えた。
「いやだって、オレンジ色の髪の毛で、高校三年生の二学期に転校してきたんだもん」
「さすが兄妹だな。コメントがまるで同じだ」
「いやはや……それで、どしたの?」
「いや、沢渡くん、一応訊かなきゃいけないから訊くんだけど、学園祭の音楽部の発表、出る?」
「出ない」
「だよね」
はは、と、胤眞は笑った。
「それが用事? 遥となんか話してたっぽいけど?」
「犬の話を聞いていたよ」
そのとき、胤眞は遥と同じように複雑な表情になった。
「ああ、うん……もうじきかなあ、って」
「辛いよね」
「でも、もう十七歳だし……」
––––そこで黙って話を聞いていたりつきが、う〜ん、と唸ったので、みんな彼に注目した。
「二人とも、やたらと年齢にこだわるな。五歳や二十歳ならともかく十七歳で死ぬならちょうどいいから別に構わない、と言ってるようだ」
え、と、みんな目を剥いた。
そんな中、遥が直前までとは打って変わってややりつきを睨みつけるような瞳になった。胤眞はりつきの発言に目を剥きはしたが、遥の機嫌が悪くなったことにすぐさま気づき、遥に声をかけた。
「いや遥。確かに俺たち、そう見えるかもしれないよ」
「……」
「十七歳だろうが百歳だろうが、それこそ五歳だろうが、同じように辛いはずだし」
「……」
「ちょっと十七」
「あたし、すぅちゃんが死んで構わないなんて、思ってない」あまりにも暗い声だった。「十七歳だから十七歳って言ってるだけじゃない」
「兄貴としてはオレを怒るよりお前の機嫌を宥める方を選んでるようだけど」
びっくりした志郎はりつきを戒めようとしたが、彼は止まらない。
「兄貴としては、いろいろ思うところがあるんじゃないか。それこそ––––いなくなってよかった、みたいな」
静かに遥は胤眞を見た。口をやや開けている。
「いや、俺は……」
困惑する胤眞をよそに、部員たちは喧々轟々だった。
「りつきくん、二人を喧嘩させたいの?」
「ずっと一緒だったすぅちゃんがいなくなってよかったなんて思うわけないじゃん」
「そうだよ。謝って」
口々にりつきを非難する部員たちを彼は全て無視した。
「いなきゃ、いつでも死ねるしな」
瞬間、全員、沈黙した。
「––––え?」
と、胤眞は目を見開き口をあんぐりと開け、りつきを見る。
それはどこか期待するような声だった。
––––そう、りつきの次の言葉を待っていた。
りつきは言う。
「お前らの優先順位第一位だったんだろ? こいつが死ぬまで決して死ぬわけにはいかない、みたいな。それがなくなれば、ブレるだろうな。いままで最優先事項にしてたものが消えてなくなれば、生活そのものがブレるだろうな」
「……」
「その割には––––やたら年齢にこだわるから、なぜだろう、と思って、な」
「年齢にこだわるのはブレ始めているからかもしれないよ」
そこで発言した志郎をみんなは見る。
志郎は続けた。
「十七歳ってことは、君たちが生まれた直後にお家にやってきたわけでしょう。家族で、兄弟なわけだよね。自分たちの歴史と同時にすぅちゃんが存在していたわけで、その子がいなくなる、っていうことは、自分たちの歩んできた歴史がここで終わるような気がするんじゃないかな。だから年齢にこだわる。自分たちと生きてきた時間と、世界と重ね合わせている……とかね」
「……」
「五歳でも百歳でも、まるで同じように辛いのは辛いはずだけど、自分たちとほとんど同い年ってなると、やっぱり話はちょっとばかり違ってくると思うよ。それこそ子どものころからずっと一緒なんだから」
「……」
「でも……ずっと一緒にいると思うよ。そう思うよ、僕はね」
「あたし」
誰かに背中を押されたらもう涙を流しているだろう、遥は言った。
「あたし、すぅちゃんがいなくなったあとの世界で、どう生きてくのかな、やってくのかなって……」
「そうだね」
「ちゃんとやれるかなって」
「それはわからないな」
「うん……」
しばしの沈黙。誰もなにも言えなかった。誰もなんと言ったらいいのかわからなかった。
「オレとしては」
またりつきが面倒なことを言い始めやしないだろうかと部員たちはやや混乱した目でりつきに注目した。
「これまでの世界が終わって、これからの世界が始まるんだろうなと思う」
あっさりとそう言ったりつきに、志郎は、うん、と同意した。
「沢渡兄妹の新世界がね」
「でもあたし、新世界にもすぅちゃんがいてほしいよ……」
「あるいは––––もう自分がいなくなってもいまの君たちだったら大丈夫だね、と思ったから、この十七歳のタイミングでいなくなろうとしているのかもしれないよ」
「……」
「––––すぅちゃんの最期の瞬間に、君たちが“もう大丈夫”になるのかもしれないね。それはわからないけど」
「……」
「それでも、いまここでなにを言おうと絶対にしばらくはペットロスになるだろうけど……すぅちゃんは喜んでると思うよ。君たちと一緒にいられて」
そのとき、わっ、と、遥は大声で泣いた。
部員たちは全員遥のもとへと駆け寄った。
遥は涙を流しながら、うん、うん、と呟く。
「あたし、あたし、すぅちゃんがいなくなったら、絶対におかしくなっちゃうけど、でも、すぅちゃんが絶対にずっとそばにいてくれるって、そのはずだって……」
「遥、今日はもういいからすぅちゃんのとこにいてあげなよ!」
「そうだよ! ちょっとでも長くさ、一緒にいられたらさ、それが一番いいじゃん!」
「今日はもう帰りな帰りな! ね! 胤眞くんも! ね!」
「うん、うん、ごめん、ごめんねみんな」
「なにがごめんなのよ、全然大丈夫!」
「あたし、あたし帰る」
「うん、うん! ほら胤眞くんも!」
ふと志郎は、胤眞がなにか考えているような顔をしているのに気づいた。
「……」
「胤眞くん!」
「あ、うん……じゃ、遥。みんなそう言ってくれてるんだ、今日は帰ろう」
「うん、うん……」
……やがて二人は帰宅し、志郎とりつきもその場を離れる。ダンス部は沢渡兄妹抜きで練習を再開する。それでも、沢渡兄妹が必要不可欠な企画ではなかなか思うようには動けなかったが、それでもみんな、一生懸命だった。
みんな一生懸命だった。
それでもすぅちゃんは死んでいく。
……それでも、生活は続くのだ。




