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第十五話 君を創ったやさしさを・1

 ああ、もうそろそろだな、と、犬小屋で眠っている老犬を見ながら(はるか)はため息をついた。

 午前五時。もう明るくなっている九月の朝、雀たちがチュンチュンと鳴いている。光と緑のコンビネーションはまるで世界が平和になったかのように遥に感じさせる。再び、はあ、と、ため息をつく。

 もう生まれてから十七年以上経っている。犬にしてはずいぶん長生きしてくれたなあ、と、思う。けれどそれももう限界だった。愛犬のすみれことすぅちゃんはもう目を見えなくなっているし、散歩中に座り込むようになったのでもう二週間も散歩に行っていない。一応、餌を食べてはいるが、時間の問題だった。

 遥は思う。すぅちゃんの世界もそろそろ終わるんだな、と。そして、自分の世界も同時に終わるのだろう、と。

 それにしても再び自分の世界は始まるかもしれない。時間薬が解決してくれるのかもしれない。でも、すぅちゃんの世界は終わったら終わったままだ。あるいは虹の橋の麓で自分が訪れることを待っていてくれるかもしれない。しかし、そういうことではないのだ。もうこの世界にはいなくなる––––それがすぅちゃんにとってのある世界の終わりだと、そう思えてならなかった。

 それでも自分の世界は続く。自分の日々は続く。今日も学校で勉強をしなければならないし、ダンス部の練習で兄と踊らなければならない。別にダンスは好きだ。双子の兄とは仲がいいし息もぴったりだ。ただ、すぅちゃんを見ているとなんだかそれを思うことすらぼんやりしてしまう。

 果たしてすぅちゃん亡き後、自分の世界はどこまで保たれるのだろうか。

 それでも……生活は続くのだ。


「ふうん。ここが音楽室か」

 昼休み、りつきに校内を案内している最中、いつもの自分たちの根城を紹介するとりつきは興味深そうにうなずいた。

「で、お前らは音楽部の部員、と」

「そ。活動してるのは俺たちだけだけど」

 総一朗の発言にりつきは訝しんだ。その様子がありありとわかったため、志郎は先回りする。

「部員は他にもいるんだけど、みんな幽霊部員なんだよね」

「なぜだ?」

「この辺、音楽的にすごい充実してるんだよね。ライヴハウスはいっぱいあるし、音楽塾もたくさん。放課後、音楽室にいるよりずっと勉強になるわけだよ」

「合唱部とか吹奏楽部とかは?」

「うちの学校、吹奏楽部はないんだ。ずいぶん前になくなった。あと、合唱部の練習もほんと至近距離の文化ホールでやってて……なかなか本格的なんだよ。知ってる?」

「篠沢高校の合唱部か。そうだな。話に聞いたことはある」

「それに、志郎がいるから」

 ここで話に入ってきた総一朗の発言に、りつきは再び怪訝そうな顔をした。

「志郎がいると、なんで音楽部に人が来ないんだ?」

「志郎がうますぎて」

 りつきは志郎を見る。志郎はなんとも言えないといった表情をした。

「へえ。なにができるんだ?」

 志郎は答える。

「一応、ピアノを」

「ふうん。じゃあ、なにか弾いてみてくれよ」

「それじゃ、よかったら放課後に」

「わかった。じゃあオレも音楽部に入る」

「えっ」

 と、志郎と総一朗の二人は声を上げる。

「入ってもいいんだろ?」

「それはもちろん」と、部長の総一朗は嬉しそうに言った。「メンバーが増えるのは嬉しいよ」

「よし。じゃあ入部届を出さなきゃ」

「放課後にしよう」

「わかった」

「……りつきも、なにか楽器ができるの?」

 別になにも楽器ができなくても入部が難しくなるわけではないが、志郎はなんとなく訊ねてみた。

「オーケストラの児童クラスに入ってたから、中学卒業まではかなりの楽器を習った」

「へえ〜。一つの楽器を集中的に、じゃないんだ?」と、総一朗。「オーケストラの児童クラス、ってのがよくわかんないからさ」

「オレがいろいろやってみたかっただけだ」

「主として武器は?」と、志郎。

「ドラム」

 即答したりつきに、総一朗の目はあまりにもキラキラと輝いた。

「俺はギター。それじゃこの三人でバンドができるぞ!」

「ピアノでベースをやるのか?」

「ベースがないから音楽ができない、なんてのは甘えだろ」

「それはそうだ。でも、志郎ならベースぐらいすぐ弾けそうだけど」

 そう言いながら自分の方を見るりつきに、志郎は戸惑う。

「ベースを買うお金なんてないよ」

「いいな。それじゃオレのをやる」

「りっちゃんベース持ってんの?」

「バカかお前。なんだその呼び方」

「いいじゃんいいじゃん」

 志郎は訝しんだ。

「なにが、『いいな』なの?」

 りつきはなにか企むような笑顔をした。

「未経験なのに自分ならできるって確信がありそうだったからな」

「志郎は飲み込み早いよ! ピアノ初めてすぐ読譜できるようになったり……」

「へえ。じゃ、三人でバンドを組もうじゃないか。ヴォーカルは? それともインスト?」

「俺が歌うよ」と、総一朗。

「よし」

「あ〜。学園祭でバンド発表ができる〜。俺ずっと夢だったんだよ〜」万感の極み、といったにこにこした笑顔と声でとにかく楽しそうに総一朗は呟いた。「去年は結局志郎と二人だったし。別にそれはそれでよかったんだけど、でも〜俺はやっぱロックバンドがやりたいってずう〜っと夢見てたんだよな〜」

「『結局』って?」

「去年までは毎日部活してた先輩がいたんだけど、そいつは卒業してって」

「その先輩とやればよかったのに」

「そいつはピアノだったんだよ」

「じゃ、志郎のライバルだったわけだ」

「いや」と、志郎は否定する。「先輩の専門は作曲だったから、ライバルとはちょっと違うかも」

「お前は作曲しないの?」

「することはするけど練習でしてるだけ」

「なるほどな」

 と、りつきはうなずいた。

「じゃ、今年の学園祭はオレたちが主役だ」

 そう断言するりつきに、総一朗は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

「おう!!」

 二学期の始まりと共にりつきが篠沢高校にやってきて今日で二日目だった。

 初日はもちろんびっくりしたが、りつき曰く「お前らといると面白そうだから」というただそれだけの理由で聖英学園からやってきた。本当にただそれだけの理由のようだった。高校三年生の二学期に転校なんてあまりにも中途半端な時期だったし、なにより聖英学園にいた方が希望の進路が歩めそうなのにと志郎は思ったが、しかしりつきと再会できて嬉しい気持ちの方が強かったし、なによりトリオでいられるというのが喜ばしかった。それこそほぼ初対面のりつきだが、志郎は、そして総一朗も、彼に対して特別な信頼感を覚え始めていた。志郎にとっては、自分の特殊能力をあっさり受け入れてくれたというところがあまりにも大きいことだった。

 それにしても高校の転校、という現象は本当にあるのだな、と、志郎は明後日の方向を思う。もっとも、りつきの学力なら問題ないことではあったのだろう。それにあるいは普賢がしゃしゃり出た可能性も否定できない。なにはともあれこれから志郎たちはどうやら三人組になりそうだった。背のあまりにも高い総一朗と身長一六一センチのりつきに挟まれる平均身長の自分がこのトリオの潤滑油になれるんじゃないか、と、志郎はなんとなく笑う。

 二週間後に篠沢高校学園祭が始まる。

 今年も楽しくなりそうだった。

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