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第十四話 木もれ日の結晶・1

「……せっかくだけど、ごめん」

 総一朗は目の前の女の子に頭を下げて謝罪した。

 彼女は半ば泣きそうだった。

「……あたし、かわいくないかな」

「いや、かわいいと思うよ」

「と思う、って、なに?」

「……君がかわいいかどうかとか、そういうことじゃないんだ。俺、いま他にやらなきゃいけないことがいっぱいあるから、女の子と付き合ってるどころじゃないんだ。だからごめん」

 改めて謝る。

 だが彼女は納得しなかった。

「やっぱり山岡くんと付き合ってるの……?」

 またか、と、総一朗はため息を吐いた。

「別に志郎とは付き合ってるわけじゃない」

「でも、いつも一緒にいるじゃない」

「幼馴染みの親友だからな」

 彼女は、半ば泣きそうな一方で、そして明らかに総一朗に対して怒りの感情があるようだった。

「山岡くんがいるから付き合えないってはっきり言えばいいのに」

「いやだから」

「あたしゲイに偏見ないよ」

「だから、そうじゃない」

「じゃ、なんで!? なんであたしじゃダメなの!?」

 突然の大声。だが総一朗は怯まない。

 いつものことだからもう慣れていた。

「別に君がどうとかじゃない」

「そうよね。織部くんのこと好きって言って告る子いっぱいいるのに織部くん全部振ってるもんね。山岡くんがいるからでしょ」

「そうじゃないんだ。俺は俺でやることいっぱいあるんだ」

「それ、なに?」

「音楽もあるし、勉強もあるし」

「その二つだけ?」

「他にも、いろいろ」

 はあ、と、彼女はため息を吐いた。

「もういい。山岡くんとお幸せに」

「だから」

「もういいって言ってるでしょ!」

 と、彼女は総一朗に背を向け、その場から去っていった。

 いま、総一朗はLINEで呼び出され公園にいる。そこで告白をされたのだ。

「……」

 彼女の後ろ姿を見て、総一朗はぼんやりと志郎の顔を思い浮かべた。

「志郎が……関係ないわけでもないんだよな……」


「––––以前、学校のスクールカウンセラーと話す機会があったんです」

 授業の合間の休憩時間に煎餅を食べながら翔は呟いた。志郎も緑茶を飲む。

「いいね」

「でも、期待外れでした」

「というと?」

「傾聴というと聞こえはいいですが、ノーリアクションもいいところで。僕の話に興味がないのか、僕のことが嫌いなのか」

「それはわからないけど、残念だったね」

 はあ、と、翔はため息を吐いた。

「向こうからすればビジネスのはずなんですよね」

「まあそうだね」

「向こうからすれば、別にお前なんかいなくても私の収入源は他にもいっぱいいるのよ、ってところでしょうか」

「福祉の仕事をしている人に対して、なかなか残酷な推測だね」

 翔は志郎を上目遣いで見る。

「否定しないんですね」

「そのカウンセラーの真意は計り知れないからね。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。それは僕にはわからないよ」

 はあ、と、翔はため息を吐いた。

「でも、大変だったね、って思うよ。せっかく話をしたのにそんな対応で」

 翔は、やや唇の両端を上げる。

「それはどうも」

「いえいえ」

「……先生も、ビジネスで“先生”なんでしょうね」

 これは、翔になかなかの危機が訪れているようだとわかり、志郎は心の中で姿勢を正した。

 翔は世の中に期待していない。というポーズを取っているだけで、実のところ世の中というものにかなりの期待をしている。だからこそその期待に応えてくれないことに絶望を覚えていた。以前からそういった印象を志郎は翔に受けていた。とにかく翔は真面目だ。そして、真面目な人ほど悩む。あるいは自分も総一朗や織部家の面々、雪尋と出会っていなかったらひたすら苦悩し続ける日々を送っていたと思う。

 翔は自分のイフで、アナザーである、と志郎は思っていた。細心の注意を払いながら翔の質問に志郎は答える。

「ビジネスだけど、それだけではない」

「というと?」

 翔は期待している。志郎に“優しさ”を期待している。

「単純にこの家庭教師の仕事が楽しいんだ。将来は精神科医になりたいと思っているけど、心理学とか精神医学の勉強をするのも楽しい。人と接するのが楽しいんだ。自分に合った仕事を見つけられてよかったと思ってるよ」

「でも、結局はお金のためでしょう」

「それは大前提だよ。()()()大前提に過ぎない」

 単なる、という部分を強調した志郎に翔は興味を持った。

「だけど、というか、だから、というか……結局、あくまでも金のために働くわけでしょう」

「それは、半分正しくて半分間違ってるね」

「?」

 志郎は翔と向き合った。

「お金を稼ぐために働く、なんていうのは当たり前のことだから、わざわざ言うことじゃないってこと」

 翔はちょっと目を丸くした。

「ほう」

「大人の人って、あくまでビジネス、と割り切って働く人が多いのかなって思うけど、僕としてはそれは一見リアルに生きているように見えてまるでファンタジーを生きてるとしか思えないね」

「続けてください」

「繰り返すけど、生活のために働くなんていうのは人間社会では至極当然の事実なわけだから、あえてそれを言うってことは––––」

「……ことは?」

 志郎は断言した。

「そこに、その人の真実がある」

 翔はやや考える。

「なるほど」

 しかしあまり理解しているようにも見えなかったので、志郎は続けた。

「その人からすれば、一生懸命働く自分というものがカッコ悪いと思っているのかもしれない。ポーズを取っているだけなのかもしれない。あるいは、自分がなんの意味もないことをしていると思いながら働く、という事実そのものを認めてしまうと自分の存在自体が無価値に思えてしまうのかもしれない」

「……」

「仕事をするっていうのは生きていくっていうことだよ」

「仕事をしないと生きていってることにはならない?」

「それはわからないよ。AIがどんどん進化してるからいずれはそう遠くない未来に人類は働かなくてもいい世の中になるかもしれない。でも、そうなったときに人間がどのように生きていくかっていうのが課題のようだね」

「課題?」

「有史以来人間は仕事をしているからね。それがなくなったら––––どうなるか。果たして僕らは果てしない余暇をどのように過ごすのか。そういうこと」

「仕事、ねえ……」

 翔は目を俯かせた。

 志郎は直感的に考える。

 この子は、大人になって“働く”という自分を、イメージできていない。

「仕事。ビジネス。お金を稼ぐこと。生活をしていくために。少なくとも今の世の中はそういうことをしなければいけないようにできている」

「そうでしょうね」

「そういう構造になってしまっている。その構造のことを資本主義というんだけど」

「それはわかります。大丈夫です」

 うん、と、志郎はうなずいた。

「でも、先のことはわからない。いつか人類は働かなくてもいいようになるかもしれないし、あるいは滅びのときまで働くのかもしれない。それはもう、わからないとしか言えないな」

「僕も働けるんでしょうか」

 ポロッと溢した“本音”に、翔は慌てた。

「いや、僕がどうとかじゃなくて」

「そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。あるいはその中間の可能性もある。フルタイムではない働き方、あるいはいわゆるサラリーマンではない仕事」

「……」

「ただ、選択肢を増やすために、いまは勉強しときなさいな、ということだよ。僕はそれが楽しくて家庭教師の仕事をしている」

「選択肢が多いのはいいことなんでしょうか。多すぎると逆に選べなくなると思います」

「それはそうだと思うよ。でも、最低限の選択ができるように、いまは勉強していようか」

「……僕に仕事ができるのかな……」

 志郎は、ここで決めなければ、と決意した。

「やってみて、ダメなら諦めて、別のことをやる。トライアンドエラーの繰り返しでいつか安住の地を見つけるかもしれない。あるいは……安住の地とは、数々の失敗をしなければ到着できないものなのかもしれないよ」

 微かに翔の瞳が輝いたのが志郎には見えた。

 翔は時計を見た。時間だ。

「そうですね。では、よろしくお願いします」

「では始めましょう」

 ––––これで翔の世界の危機が少しでもなくなればいいと思う。心の底からそう思う。

 ……いまは、自分の世界の危機の方が、深刻だった。

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