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第十三話 この眼は海を見ていた・3

聖書:エフェソの信徒への手紙4章1~16節(聖書 新共同訳)

1:そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、

2:一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、

3:平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。

4:体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。

5:主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、

6:すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

7:しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。

8:そこで、/「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、/人々に賜物を分け与えられた」と言われています。

9:「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。

10:この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。

11:そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。

12:こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、

13:ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

14:こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、

15:むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。

16:キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。


「お邪魔しました」

 と、志郎は玄関で快安に頭を下げた。

「いや〜いやいや〜楽しい時間の過ぎ去るのはあっという間だねえ〜」

「僕も楽しかったです」

「またいつでもいらっしゃい。今度は妻も一緒に」

「お買い物がずいぶん長くかかってるみたいですね」

「たぶんご近所さんとお茶でもしてるんだと思うよ。いやはやいやはや、妻もねえ、時間調整がねえ」

「またお伺いします」

「そうしてくださいそうしてください」

「では、失礼します。貴重なお時間ありがとうございました」

「はい〜はいはい。こちらこそ。ではでは。あ、そうだ」と、思い出したように快安は言った。「海は見たかい?」

「そこのですか?」志郎は怪訝な顔をする。「いえ、見てませんけど」

「なんとな〜くなんとな〜く見てくるといいよ。ご両親も、赤ちゃんのころの君も、海を見ていたよ。どこか切ない気持ちになるかもしれないけど、行って、眺めてくるといいよ時間があれば」

 この後の用事があるわけでもないし、と、志郎は思った。

「じゃ、ちょっと見てきます」

「そうしてくださいそうしてください」

「それでは、失礼します」

「はい。またね志郎くん」

 そして志郎は歩き出す。何度か振り返ると快安がいつまでも手を振っていた。

 歩きながら、志郎は思う。

 大きな収穫を得た。

 それは、特殊な力を持っていたのが母ではなく父の方であるということ。そして母には特別な力は“なかった”ということ。もしも母に特殊な能力があったのだとすれば、父のことを知っている快安の記憶の中に母の怪異もあったはずなのだ。しかしそれがなかった。つまり母・宮嶋千絵は、特殊能力者ではない。それは確実だろう、と、志郎は考えた。

 そして、昼下がりの魔女伝説は母が作り上げたということ。志郎はスマホを取り出し、キリスト教 エフェ と検索し始めると、サジェストにエフェソと出たのでタップしてみた。すると、エフェソの信徒への手紙、という結果が出たのでしばらく読んでみる。おそらく母は第四章一~十六節をヒントに七番目の不思議を作ったのであろう、と志郎は推理する。篠沢高校七不思議に関する書類はたくさんあり、それぞれ書かれていることが微妙に違うのだが、それらを統合の結果、志郎の解釈では“人生はなるようになるから、自分もなるようになる”と心の底から思えたら魔女を召喚できるということだと思った。そしてこの一節を読んで自分の理解の仕方はさほど間違っていないと思う。

 この一説は、人は義とされると自発的に神の御心に叶うことを行うようになる、ということを言っている。結果的に「ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされる」ということのようだった。

 わからない話でもない、と志郎は思う。

 自分が精神科医になりたいのは、それが自分にとっての義だと思っているからである。もちろん金を稼いで生活をするということが第一義的ではあるが、おそらくそんなことは当然のことなのでわざわざ優先順位の第一位に設定することではないのであろう。あるいは––––それが神の御心もしくは計画なのかもしれない。それが神であれ仏であれ何であれ、“どこかの誰か”が設定した物語に、自分の義を見出したときから自発的に、もしくは自動的に動いていっているのかもしれない。その上で、いまの生活があるのではない、と言い切ることはできない。しかし、そうであるのであれば被害に遭った女子生徒はなぜ殺されたのだろう。なぜ死んでしまったのだろう。それがこの物語において必要なことだったから入学早々死ぬという結末を迎えたのだろうか。あるいは彼女が自分自身の“義”を見出し、それにより奇跡の発動を望んだからこその代償だったのだろうか。例の女の子については何も知らない志郎である、これ以上はいくら考えてもその子の“自動的な運命“についての推理はできない。その真相については諦めるしかなかった。

 母はなぜこんな不思議を作ったのだろう。

 志郎は疑問に思う。

 まだ繋がらない。これらの点がどのように繋がるのか志郎にはまるでわからない。しかし、どこかで繋がるはずなのだ。そうでなければ昼下がりの魔女宮嶋千絵は存在していなかったはずなのだ。まだ調べなければならない。

 まだ調べなければならないのだが、しかしそれ以上を追求する術をいまの志郎は持っていない。自分になぜ特殊能力が芽生えたのか。あるいは父の影響という可能性がある。しかしわかるのはそれだけだった。この数日間、自分の特殊能力は母と関係しているのではないかという疑念が父と関係していると変化しただけのことである。それだけでは何も理解したことにはならない。

 それでも、父が特殊な力を持っていたということが大きな収穫であることに違いはなかった。まだ回路は繋がらないが、点と点は見えた。あとはこの点をどのようにして繋ぐか––––それはいまの志郎にはわからないことだったが、しかし、総一朗との関係、そして咲の真相も、全ての点が最終的には線になることを志郎は心の底から予感していた。

 いまはそれだけで充分だった。

 いま、できることを、する。

 そうそれは志郎がずっとそうしてきた考え方だった。やれるだけのことをやれるだけやること。そしてその中でうまくやっていくこと。

 快安から聞いた両親の話を思い出す。父は国語教師で、母とは二十の年齢差があった。同級生である智子や恭史からも聞いたが、どうも母は年上の男性に惹かれる少女だったそうだ。だが志郎からすればそれは父という実例があったからなのではないかと思う。とにかく仄かな恋心をもとに猛アタックしていたようで、卒業式の夜、電話で父を呼び出し告白をしたらしく、それで父が了承し付き合いが始まった、ということだった。

 両親は恋愛で繋がった二人のようだった。

 咲を思い浮かべる。

 好きな人がいる、というのは、幸せなことだ。

 だが––––。

 海を見に行こう、と、志郎は思った。夏の午後の海。まだ夕日が沈むような時間帯ではない。きっときらきらした景色が広がっているのだろうと思った。そして、その景色は、かつての両親と自分が見ていた景色。

 志郎は感傷に浸りたかった。

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