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第十三話 この眼は海を見ていた・2

 雪尋との会話。

「君は頭がいいから、一を聞けば十を返す、というのが基本のスタイルなんだろうとは思う」

「そうできていればいいと思います」

「でも、精神科医としてはそれはちょっと先を行きすぎている。展開を急ぎすぎている」

「と、おっしゃいますと」

「とにかく相手の話を聞くことだよ。答えるのは最後の最後ということだ」

「難しいです」

「難しいと思うよ。ぼくも実習で研修医に教えるとき、患者さんが話し終えてないタイミングで話を始めようとする医者のたまごたちを“まだ早い”と言って抑える、というのがもう日常になっている。それだけ悩みを解決してあげたい、病気に良くなってもらいたい、という願望の現れなわけだけど、それでは良くならない」

「ということは、答えをいうことが全てではない?」

「いや。とにかく相手の話を聞くことだよ。まあもっとも、傾聴してはいけない場面というのもあるんだけど」

「相手の話を聞く……」

「うん。悩みを解決するのは結局自分自身で、ぼくらはその手助けをするしかない」

「だと思います」

「最後の最後で自分から話し始める––––というのは、ある程度実践を積んでいないと難しいと思う。どうしても返答したくなってしまうものだから。ただ、君ならすぐどうとでもなるだろうとは思うけどね」

「ありがとうございます、なのかな」

「そうだね。でも、しかしそれだけでは足りない、というのも事実だ」

「本当に難しいんですね」

「そうだね。傾聴と受容は最優先事項ではあるんだけど、それなりに答えを提示してあげる必要もある。答えは既にあなたの中にある、というのはそれ自体は事実だけど、それだけで解決するなら精神科医はいらない」

「聞くだけ全部聞いて、適切に答える……」

「そういうことだね」


「やあ、いらっしゃい」

 赤池家のチャイムを鳴らし、出てきた快安は志郎を一目見ただけで顔が綻んでいた。

「山岡先生の」

「初めまして。山岡志郎と申します。本日はお忙しい中ありがとうございます」

「いや〜いや〜いやいや〜」

 快安はちょっと目が潤み始めていた。

「どうかされました?」

「いや、いやいや、君は山岡先生にそっくりだなあと思って」

「そんなに似てますか」

「そっくりだよ。山岡先生の若い頃の写真を見たことがあるけど、もう一目で先生の息子さんだってわかったよ。声も似てるし、いや〜いやいや。長く生きてるとこんなこともあるのだなあ〜」

 確かに、卒業アルバムの山岡昌資は自分とよく似ている、というのは素直な感想だった。自分も四十歳ごろになればあの写真と同一人物レベルに酷似するのだろうか、と、志郎はなんとなく困惑の気持ちを思う。なぜ困惑しているのかよくわからない。あるいは愛だけで家族が構成されているわけではないという現れなのかもしれなかった。

「まあとにかく、お入りなさいお入りなさい。いま、妻は買い物に出掛けていてね。しばらく帰ってこないだろうから積もる話があれば是非是非」

「お邪魔します」

 と言って志郎は中に入る。

 リビング。本棚と、二つのソファと、テレビ。

「まあそこにおかけなさいおかけなさい」

「ありがとうございます」

「お茶の準備をしようね」

「お構いなく」

「いや〜いやいや〜」と、再び快安は目を潤ませた。「いまから君が座るソファに、山岡先生と宮嶋くんが座っていたんだよ」

「赤池さんが両親の仲人だそうで」

「そうなんだよそうなんだよ。二人でぼくにお願いに来てね。いや〜いやいや、いい結婚式だったなあ……」少し鼻を啜った。「しばらくして、まだ小さい小さい赤ちゃんの君を会わせてくれたんだよ」

 智子たちから聞いてはいたことだが、やはり志郎としては少し驚く。

「そうだったんですね」

「そうなんだよそうなんだよ。実を言うとぼくは君を抱っこさせてもらったこともあってねえ……いやいや〜いやいや〜。あ、いけないいけない。ちょっとお待ちを」

「はい」

 志郎はソファに座る。

 ここに、父と母が座っていた。

 出会い。付き合い。結婚。

 そして、赤ん坊の自分もここにいた。

 聞きたいことは山ほどある。それはもう自分の中にある情報なのかもしれなかったが、この曖昧な記憶をはっきり定着させたかった。お茶などいいから早く話を、とどうしても思ってしまう自分を制するのに志郎はなかなか必死だった。

 目の前の本棚を見る。教育に関する本が大量にあり、だが右の棚に漫画のスラムダンクが全巻置かれている。なんとなく志郎は、快安が、悪い人間ではなさそうだ、と思った。そもそも両親が仲人を頼んだ人物なのだ。悪い人ではないようで志郎は安心していた。

「いや〜お待たせしました」快安はコーヒー二つとクッキーの盛られた皿を持ってきた。「ま、どうぞ気楽に」

「はい。いただきます」

「えーと、ご両親の話を聞きたいんだったね」

「そうなんです」と、志郎は改めて姿勢を正した。「織部さんが家の掃除をしていたら高校時代の卒業アルバムを見つけて、それを見ていたら、いまの僕はこの母と同い年なんだな、と思って、どこか感慨深くて」

「そうだねえそうだねえ。あんなにいいカップルだったのに、ねえ」再び目を潤ませる。「まさかねえ、事故でねえ」

「はい。僕が七つのときだから、十一年前になります」

「うんうん〜遠いなあ……。君も大変だったねえ〜」

「でも、織部さんに大変お世話になりまして。いまもお世話になってるんですが」

「そうなんだね。いやあ、織部くんも高砂くんもいい子たちだった。懐かしいねえ」

「一人一人の生徒を覚えてるんですか?」と、ふと単純に疑問をぶつける。「何百人も受け持っていたでしょうに」あるいはそれほど母に“何か”があって、それで周囲の人間たちも関連付けされ記憶に残っているということなのだろうか。

「覚えているというか、きっかけがあればすぐに思い出せるというか」

「ああ、なるほど」雪尋も以前そんなことを言っていた。患者一人一人をいちいち記憶してはいないが、カルテを見れば思い出すことは容易だ、と言っていた。「じゃあ、別に変なことがあったから強烈に覚えている、というわけじゃないんですね」

「変なこともなくはなかったけどね」

 いきなり核心に迫った。志郎は緊張する。

「母が何か?」

「はは? いや、宮嶋くんの方じゃなくて、山岡先生の方なんだけどね」

 志郎の頭に疑問符が浮かぶ。

「……父が?」

「うん」と、うなずく。「とにかくちょっと変わった方でね山岡先生は」

「具体的には」

「明日の天気が晴れとか雨とか、近いうちに地震が起こるとか、そういうことをしょっちゅう言っていたんだよ。そして的中率は百パーセント。ちょっとした予知能力があるのかな? と思っていたね」

「予知能力、ですか」

「それもかなり遠い未来のことまで予知できてたみたいで、学園祭の時期をいつにするかという話をしていたら、何月何日は雨だからその次の日にしましょうとか。それで見事に当たる。そして楽しい学園祭」

「それは、すごい人だったんですね」

「本人は“なんとなくわかる”ってことだったから、SFとか魔法とか置いといて、そういう不思議な才能のある人もいるんだなあ〜と思っていたねえ」

「他に何かあります? 僕、ちょっと超能力とかそういうことに興味があって」

「うーんそういう感じがするよ君からは。でもそうだねえ、山岡先生の不思議な力に関しては山ほどあるんだけど、そんな別に手を使わず物を動かすとかそういうとんでもないことじゃなくて、日常生活を営む上であると便利な力、という感じだったかねえ?」

 これ以上追及してもあまり答えは出ないようだったし、志郎としても()()()()()()()ので、そうだったんですね、と、うなずいた。

 しばし沈黙。

 傾聴。受容。話し始めるのは“まだ早い”。

「そういえば篠沢高校で、殺人事件があったとか」

 急に話題が変わった上、今度は母と関わることだったため志郎は緊張する。

「はい。女の子が被害に遭って」

「かわいそうにねえ。入学したばっかりだったと聞いたよ」

「痛ましいことです」

「そうだねえそうだねえ。で、それで、その––––犯人が?」

 まさか千絵のことは知らないはずだった。

「どうかされました?」

「風の噂によると、篠沢高校七不思議に関する事件だったとかなんとか」

「はい。昼下がりの魔女、が、どうとかっていう」

「うーん複雑な気持ちだ」

「何がですか?」

「“昼下がりの魔女”の伝説は、宮嶋くんが作ったんだよ」

 衝撃が走った。

「そうなんですね」努めて冷静に志郎は答える。「七番目の不思議は創作だった、と」

「いやま、最初の六個もオンボロ校舎をネタにしてただけなんだけどね。でも一部のオカルト好きの生徒がやたら“研究”していたんだ」

「母も研究してたんですか?」

「いや、宮嶋くんは文芸部でね。まあ文芸部だから不思議の研究もしてたんだろうけどね。それで、高三の学園祭のときに文芸部発表で篠沢高校七不思議っていうテーマで本を作ったんだ」

「––––つまり、そのときのお遊びがそのまま伝説になった、と」

「そうそう。確か、キリスト教の教えをネタにしてたと思うんだけど、どうだったかな。エフェクトがどうとか。ぼくは化学の教員だったからあんまり詳しくないけど」

「キリスト教」昼下がりの魔女を召喚するための儀式。「母はクリスチャン?」

「そんな様子も聞かなかったから、たぶん、ま、君ぐらいの年齢だと誰しもそういうものに多かれ少なかれ興味を持つものなんじゃないかね」

 オカルトや宗教には一才の興味を持っていない総一朗を思い出す。

「そうかもしれませんね」

「まあそれはとにかく、それで、宮嶋くんのことをちょっと思い出した、というのもあってねえ」ぐすん、と、いよいよ本格的に鼻を啜り始めた。「猟奇的な殺人事件が発生して、それで大事な元生徒のことを思い出すなんてねえ……」

 これ以上は話が展開しない、と、志郎は確信した。そのあと、志郎と快安は両親の出会いや関係、昔の話を中心としたちょっとした世間話を続け、二時間ほど経ったころに志郎はそろそろ帰りますと席を立った。

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