第十二話 されど風立ちぬ・4
自分は、世界を救うために選ばれた者。
世界を救うとは具体的に?
夜。織部家。
総一朗の部屋。
志郎は汐理との授業のあと、総一朗に電話をかけ、話がしたいと言ってそのままここへやってきていた。いま、二人の目の前には山盛りになったエクレアが置かれている。
「おばさん、大忙しだね」
「だな」
二人は笑い合う。
こんな夜に志郎がわざわざ話をしにくるとは何事だろうと智子は気が気ではなかったため、大量のエクレアを作ったのちいまは一階で部屋の掃除をしている。その物音を聞いて志郎はやっぱり明日学校で話せばよかったかなとちょっと後悔していた。
しかし、先に気づいた方が先に動くべき––––だから志郎は、とにかく動きたかった。
「じゃ、まあ、エクレアでも食べながら」
「そうだね。いただきます」
と、二人はそれぞれエクレアを手に取り、食べる。
志郎は部屋を見渡した。相変わらず音楽一色の部屋だな、と思う。壁にはポスターが貼られ、CDラックには大量のCDやDVD、本棚に雑誌や教科書。そして壁際にはギターが四本。
子どものころから変わらないなあ、と、思う。もともとは智子や父親の恭史が音楽を習わせようと思い音楽教室に彼らを連れていき、志郎はピアノ教室に通い総一朗はギター教室に通うことになったのだった。最初は総一朗もピアノの授業を受けていたのだが、なんとなく合わずギターに転向したのである。
「話ならさ」エクレアを食べながら総一朗は言った。「俺もあるんだよな」
「そうか」
志郎はコーヒーを飲む。
「じゃ、総ちゃんからどうぞ」
「いや、志郎から」
「総ちゃんからでいいよ」
「志郎がうちに来たんだから」
「じゃあ、ジャンケンしよう」
総一朗はくすっと笑った。
「わかったわかった。じゃ、俺から話すよ」
志郎は少し身構えた。「うん」
さてどこからどう話そうかな、と、総一朗はちょっと迷い、そしてゆっくり喋り出した。
「ルートがさ」
「先輩?」
「ゲイじゃん」
去年、学校を卒業していった音楽部の先輩。
「そうだね」
「初めてそれ聞いたとき、俺はルートがその日に変身したように思ったんだよな。感情的にというか、思っちゃったんだよな」
「……うん」
「でも、ルートは、やつが言うには中一のころからゲイで、別に俺たちにカミングアウトした日にゲイに変身したわけじゃないんだよな。それでまあ、最終的に、別に普通の友達、って風に落ち着いた」
「そうだね」
「だから志郎も、そうなんだろうな、と思う」
「うん。そうだね」
おそらくはあの事故のあとから芽生えた特殊能力たち。そしてそのまま成長し日々を過ごし、いまここにいる。
別に、世界が半分終わったあの日突然変身したわけではない。
「とは、思う」
総一朗が困ったように言う。
「思うところがあるわけだ」
「そうだな。だって––––あんな目に遭ったわけだし」
「改めて、ごめん」
「いや、それはいい。それはいいんだけど、とにかく––––ほら、念動力だっけ、心で思ってものを動かすみたいな」
「テレキネシスだね」
「そうそれ。それってやっぱ……正直にはっきり言うと、怖い、と、思う」
身構えておいてよかった、と、志郎は思う。
「そうだね。そう思うのが自然だと思う」
「でもさ」
と、総一朗は身を乗り出した。
「俺はやっぱり、このまま変わらず志郎と仲良くしてたいんだよ」
「ありがとう」
「だから––––どうすればいいのか、よくわからなくて」
「別にいままで通り普通に……っていうのは、難しい?」
「いや、いままで通り普通に、なんだけど……それにしても、なんか、怖い、って気持ちも正直なところあって」
こういう素直なところで、総一朗にいつも自分は助けられているんだよな、と、志郎は思った。楽しい話もできるし、真面目な話もできる。そういう友達は他にもたくさんいる。しかし総一朗はやはり特別だった。生まれたときからずっと一緒の、幼馴染みの大親友––––だが、その関係性が、汐理が言ったように、少し変わろうとしている。
それがどのように変わるかはわからないが、だが––––願わくは、より良い形で、と、志郎は願った。
「怖いのは当然だと思うよ。超能力とはちょっと違うような気がするけど、不思議な力を持ってる人を見て怖いと思うのは自然だよ」
「たださ、俺はさ」
と、総一朗はギターを手に取り、右手でネックを握った。
「俺、左利きじゃんね」
「そうだね」
「ペンとか箸とか持ったときとか、いちいち突っ込まれるのは、慣れはしたけど」
「慣れた、っていうのは、できればやめてほしい、ってことだよね」
「うん、そうだな。まあギターに関してはとにもかくにも目立つから逆によかったんだけど。まあギターに関しての話だけでさ」
「うん」
「俺が、志郎が、不思議な力を持ってるってことをいちいち“気にしない”ってやってたら、やっぱりいつか、限界が来ると、思う」
総一朗は丁寧に丁寧に言葉を紡いでいく。総一朗はいつもそうだった。それが志郎には嬉しい。
「うん」
「だから––––たぶん、“それ”が俺の中で当たり前になるまで、やっぱり志郎を怖いって思っちゃうんだろうし、俺はそんな自分が……いやなんだよな」
「いやがることはないよ」
と、志郎は食い気味に言った。
総一朗は真剣な眼差しで志郎を見る。
「いやなものはいやで、無理っていうなとかじゃなくて無理なものは無理なんだから」
「そうだな。それは、そうだ」
総一朗はココアを飲んだ。
「だから……俺は、しばらくの間、志郎を怖いと思いながら過ごすと思う」
「そうだね。そうなるね」
「それもそのうち、慣れるとかじゃなくて、慣れるとかというより、当たり前になって、おかしな力を持ってる親友、ってだけになるような気もするし……ならない気もするし」
「うん」
「でもさ」と、総一朗は頭を掻いた。「俺はやっぱり、このままずうっと志郎と一緒にいたいんだよな」
「僕も総ちゃんとずっと一緒にいたいな」
「うん、うん。だから……俺、話がなんかとっ散らかっちゃって悪いんだけど、その、どう付き合っていけばいいのか、よくわからなくて。でも」総一朗は身を乗り出す。「俺たちはこのまま俺たちでいたいと思う」
「僕もそうだよ」
「だから……その。保留、というか」
「保留ね」
「うん。うん……友達関係はそのまま続いて、でも怖いとは思っちゃって、でもずっと一緒にいたくて……って、なんか大変な感じするんだけど」
総一朗の言うことは全てがごもっともだった。
長年一緒に付き合ってきた友達が特殊能力者だった、ということを受け入れるために時間がかかるのは当たり前だ、と志郎は思っていた。それをそのまま受け流すほど総一朗は単純ではないし単細胞ではない。総一朗は学校の成績はあまり良くないが頭が悪いわけでは決してない。ある意味では思った通りの反応を総一朗が示していたことを知り、自分が小さいころから見てきた総一朗がそのまま高校生になっていたことを改めて理解し、だから志郎も、このまま付き合っていきたいと思う一方で、だが“このまま”は難しくなるのだろうという気持ちも確かにあった。想像通りだった。
「僕は」
と、今度は志郎が話し始めた。
「うん」
とにかく何かを言ってくれ、といった態度で総一朗は全身全霊で志郎の話を聞こうと思った。
「自分は世界を救うために選ばれた者––––って、妄想の話をしたのは覚えてるよね」
「覚えてるよ。でも厳密には妄想とはちょっと違うってことだろ」
「そう。で、前回、世界を救ったわけだけど。まあ厳密に言えば実際に救ったのは総ちゃんなわけだけど」
「いやいや」
「ただ––––これって大袈裟な言い方をしているだけで、意味としては、社会の構成員としてより良く生きていきましょう、ってただそれだけの話ではあるんだよな、と思うんだ」
「俺も頑張ろう」
「だから、街の美化のために働く、とか、政治家が国を救おうと努力する、って話と特に変わらないはずだって僕は思う。確かに現実離れした出来事に関わることではあるけれど、別に世界の仕組みを丸ごと変えてしまうような能力じゃないんだよね、僕の力は」
「志郎がそう言うならそうなんだろうな」
「でもやっぱり––––総ちゃんだったり、他の人たちからすれば“それら”の救い方とは、少しばかり違うように見えるんだろうな、って気はする」
「そうだな」
志郎はエクレアを齧った。
「前々から気にはなってたんだよね」
「なにを?」
「誰もが何かを抱えてる。みんな重いものを抱えてるっていう」
「事実そうだろ」
「うん、そうだと思う。それは絶対だと思う。ただ……この春、出会ってきた人たちを見てきて思ったのは、現状の自分に満足してるかどうかの差っていうのは、これは確実に存在してると思うんだよね」
総一朗はまっすぐ志郎の目を見る。
志郎は、逃げない。
「それでいくと、僕は現状の自分になかなか満足している。僕は僕なりにいろいろ抱えてはいるけれど、それでも幸せだなって思うよ」
「俺も俺も」
「総ちゃんのおかげなのがかなり大きい」
志郎も、総一朗の目をまっすぐ、見る。
「だから、総ちゃんが、おかしな力を持ってることを込みで、僕は僕だって思えるようになる可能性があるなら、賭けたいと思う」
「うん。可能性っていうか、俺がなんか、弱虫なだけだよ」
「ううん」
と、志郎は頭を振った。
「無理っていうなとかじゃなくて」
「無理なものは無理、だよな」
「そうだね」
二人は微笑み合った。
「明日のことはわからないし、明日は明日の風が吹くと思う」
「そうだな」
「だから……いい風だといいなって」
総一朗は、笑った。
「そうだな」
二人でエクレアを齧る。
しかしここで総一朗は慌てて言った。
「でもでも、俺の気持ちは変わらないし動かない。俺は志郎とずっと友達だよ。いま、少し俺の方にビビってるというか、ちょっと思うところがあるだけで、俺たちずっと一緒だからな。その気持ちは、絶対だからな」
志郎は、笑った。
やがて総一朗も落ち着きを取り戻し、笑う。
「ありがとう」
いまはその言葉だけで充分だと、二人は思った。




