第十一話 鬼道を行く(後篇)・3
もちろん、特殊能力者たる志郎とてこういった事態に対する耐性ができているわけではない。だが、それにしても総一朗と比べればだいぶ余裕があった。それぐらい総一朗はパニックになっていた。
「な、なんだよこれ。地震が。みんな下敷き。あれ、でもみんな普通で。なんだ、なんだよこれ。血まみれて呻き声で、でもそうじゃなくてなんか透明、な、なんだこれ、なんだよこれ」
いま自分が一番しなければならないことは総一朗を落ち着かせることだった。
「総ちゃん。総ちゃん」
ぽんぽん、と、志郎は総一朗の背中を叩いた。総一朗は反応しない。そんな二人の様子を横目に、今やまるで幽霊のように見える透明度の高い生徒たちが怪訝そうな顔をして通り過ぎる。それも総一朗をパニックにさせる一因となっていた。
校舎は一瞬前とはまるで異なり崩壊していた。空間が斜めになり、壁が崩れ、天井が崩れ空が見えていた。それだけではなく半透明になっていた。と同時に通常通りの校内がそこにあった。生徒たちはみんな血まみれになって倒れていた。つまり死んでいた。そして、みんな朝のホームルームまで雑談をしたり飲み物を飲んでいたり通常通りの行動を取っていた。
わけがわからない。それは志郎も同じだった。だが総一朗のパニックに比べればかなり落ち着きを取り戻していた。しゃがみ込んだまま総一朗は頭を抱え、呼吸が荒くなっていた。
こういう場合、雪尋なら「腕の見せ所」なのであろう、と、志郎は思った。自分も先生と同じようにできるだろうか。いや、やるしかない。いまはそれがこの世界に生まれた自分の使命だった。志郎は自分たちに展開させた結界を解除しないように気をつけながら行動に移った。
「総ちゃん」
志郎は総一朗の斜め前に移動した。総一朗には志郎を見る余裕がない。
「そーうちゃん」
「じ、地震が。み、みんなが。下敷きで死んで、でも、そうじゃなくて––––」
「うん」
「でも、そうじゃなくて、そうじゃなくて、校舎が、学校が崩れて、天井見えてるのに、見えてなくて、見えてないっていうかそのまま天井で」
「そうだね。他には?」
「えっと……」
ここで初めて総一朗は志郎を認識した。他のものと違い、志郎の姿ははっきりと見えることに気づいた。
「もっとどうぞ」
「えっと……」
「みんな大変で、大変じゃないね」
「そ、そうだよ。みんな大変で、大変じゃない」
「自分の名前を言ってみて」
「そ、総一朗」
「苗字は?」
「織部……」
「僕は?」
「志郎……」
「幼馴染みの?」
「うん」
総一朗の目の焦点が合っていく。
「学校が大変なことになっている」
「そ、そうだよ」
「でも、大変なことになっていない」
「そ、そうだよ」
「何が起こったんだろう?」
「いや、俺にはわからない」
「僕にもわからない」
「……」
「うん」
志郎は総一朗の目をじっと見つめる。
「……」
「……」
正気は取り戻したようだった。だが、一瞬で総一朗は憔悴していた。総一朗は疲労困憊の顔で志郎を見つめた。
荒い呼吸のまま総一朗は言った。
「志郎は、冷静だな」
「うん」
「こんなことになってるのに」
「うん」
「うん、じゃなくて」
「だから、なんとかしなきゃいけない」
「なんとかって––––」
志郎は言い切った。
「僕ならそれができる」
志郎は頭の片隅で、これが総一朗に対する自分の持つ能力の告白へのきっかけになるのであれば、それも運命なのだろう、と、思った。その結果、総一朗との関係が、そう、自分の世界がどうなったとしても、それでも、総一朗を救わねばならない。志郎ははっきりと決意した。
総一朗は怪訝そうな顔をした。
「なんで志郎ならできるんだ?」
「なんでなんだろう。なぜか成績がいいとかと同じじゃないかな」
「それは勉強してるからだろ」
「そうだね。でも、勉強をすることができるっていうのもなかなかのギフトだと自分では思ってる」
「難しいな」
「でも、パズルは解かなきゃいけないし、クイズは答えなければならない。だって」総一朗の肩に手をやった。「その方がかっこいいじゃない」
にっこり笑う。
総一朗も釣られて、笑顔を作る。
しゃがみ込み、笑い合う二人を、半透明の生徒たちは不思議がった。総一朗の具合が悪そうだから志郎が介抱している、というように彼らには見えていることだろう。だから声をかけるのは悪いと思って彼らはそのまま通り過ぎていく。
通り過ぎ、周囲に誰もいなくなったタイミングで志郎は立ち上がった。
「行こう」
え、と、総一朗は目を丸くした。
「どこに?」
「校長室」
「校長室?」
「動ける?」
「う、うん」と、総一朗はよろよろと立ち上がった。「なんとか」
「なんとかしよう」
「う、うん」
「とにもかくにも––––」と、志郎はグッドサインを示した。「なんとかしてみせるから」
階段を降り、廊下を歩く。校舎はもう駄目になっていた。が、通常通りでもあった。壊れた世界とそのままの世界が二人には二重に映っている。どちらが正解なのか志郎にはわからない。わからない以上、わからないまま進むしかない。とにかく校長室に向かわなければならない。
歩きながら志郎はこの片方の世界が世界の危機の成れの果てなのであろう、となんとなく考え、どんどん冷静になっていった。例えば芳樹の足音による世界の危機も、最終的には物理的な崩壊を導いたのであろうし、おそらくその場合は天変地異ではなく戦争のような状態になって世界は破滅していったはずだ、と志郎は考えた。
だが志郎が冷静さを取り戻していく一方で総一朗を包み込む絶望感はどんどん強まっていった。世界の危機だの世界の終わりだのといったワードがファンタジーなものでしかない総一朗にとって、それを目の当たりにするのは彼の正気を失わせるには充分な力があった。いま、総一朗がなんとか正気を保っていられるのはすぐそばに志郎がいるからだった。これは問題を解決するまで総一朗と離れ離れになるわけにはいかない、と志郎は思った。いかに精神力の強い総一朗とはいえ、それとこれとは話が別なのだ。
蒔菜や紗耶香たち、他の友人たちがどうなっているのか、志郎にはわからない。だがおそらくは死んでいると同時に生きている。志郎よりは友人の多い総一朗は、廊下で悲惨な姿で死んでいる友人たちを見て恐怖だけがそこに生まれ続けていた。志郎がいなければ発狂し涙を流していただろう。とにかく一刻も早く校長室へ行き、普賢と会わなければならない。ここまでの世界の危機が訪れているのであれば普賢ならもう動いているはずだった。
校長室。その扉は、通常通りそこにあった。周辺の空間とはまるで異なり、そこは崩れてはおらずはっきりと視認できる。やはり、と、志郎は思った。
コンコン、と、志郎は校長室の扉をノックした。
「三年二組の山岡です」
「入りたまえ」
なんだか仰々しい言い方の普賢の即座の返事で志郎は安心し、総一朗は不審がった。
「失礼します」
といって扉を開け、二人は校長室に入る。そこは、崩壊などしていない、通常通りのきれいな部屋だった。総一朗が入室したのを確認し、志郎は扉を閉める。
「おはようございます」と、志郎は頭を下げる。
「おはようございます。我が校の未来は安心だ」
普賢は志郎を待っていたようだった。何をしていたのかわからないが部屋の中央に立っていた。二人を見てにっこり笑う。
「おや、織部くんも一緒なんだね」
「はい。親友ですから」
「いいねえ。親友。わたしも“親友”と呼べる友達がいる人生を送りたかった」
「お、おはようございます」と、総一朗も普賢に挨拶した。普段、校長と密に付き合う生徒はほとんどいない。それは総一朗も例外ではない。だから総一朗は普賢に対して特に個人的感情を抱いたことはあまりない。だが、さっきまでの崩壊した校舎とまるで異なるきれいな校長室の中で、総一朗は普賢への警戒心が生まれていた。「織部です」
「将来のプレスリーだね」
ちょっとだけ総一朗は唇を尖らせた。
「チャック・ベリーが好きです」
「ああ。わたしはジョニー・B・グッドのイントロはジョニー・B・グッドのイントロじゃなくてロール・オーヴァー・ベートーヴェンのイントロなのだよ、といちいち講釈を垂れるやつがムカつく系美中年なんだが君はどうだね」
ちょっとだけ総一朗は普賢に共感した。「俺も、いや、僕もそうです」
「いいね!」と、普賢は総一朗にグッドサインを示した。「わたしはド世代なので、話が合うと思うよ」
「あの、校長先生。そろそろ本題に入りたいのですが」と、志郎は二人の間に割り込んだ。「音楽の話はまた今度にしてもらえますか」
「真面目だねえ山岡くんは。こんなときだからこそユーモアのセンスが必要なのだよ? よかったらそのセンスも磨いてあげようか」
「それも悪くない話ですけど、いまは別の話がしたいです。そう」
と、志郎は普賢の目をまっすぐに見て質問した。
「これは、何が起こってるんですか?」
「さあ。半分、世界が終わったようだけど」
「あの、ずいぶんのんびりしてますね」
「それはもう、慌てない慌てないの精神が大切だからね。それともよもやわたしにもパニックになっていてほしかったのかい? 駄目だよ、人を癒すために人を傷つけちゃあ」
「先生はどうお考えですか?」少々イライラしそうになった自分を抑えて志郎は強く言った。「明らかに超現実的な現象が発生しているようですが」
「そうだね。以前言ったように、君が原因の可能性は充分にある」
虚を突かれた。
「僕?」
「そう。なんといっても、ここのところしばらくの間、君、学校中に街中に呪符を貼っていただろう? 君が原因ならつまりその行動が原因だ。違うかい?」
最悪の想定外だ、と、志郎は頭を抱えた。




