第十一話 鬼道を行く(後篇)・1
「私、こう見えて体感持ちでしてね。あ、体感っていうのは地震だったり、何か大きな災害が起こる直前に歯が痛んだり身体が痺れたりすることなんですけど、かなり正確なのですよ」
「はあ」
「こないだも目の奥が痛んで、これは近いうちに日本に震災が起こると思ったらバヌアツでマグニチュード六の地震があったでしょう? バヌアツの法則もありますから、そろそろ私たち覚悟しなければならないと思います」
「そうですね」
「あ、バヌアツの法則はご存知?」
「いえ、あまり」
「ああら。有名なんですのよ。バヌアツで大きな揺れがあったら日本も近日中に起こるという……日本で天変地異が起こる前にバヌアツだったりニュージーランド辺りでだいたい地震が観測されます。だから私たち、いつだって滅亡と隣り合わせなのですよ」
「そうなんですね」
あれからこんなやり取りがもう一週間も続いている。
オカルトライターを名乗る夕映は志郎が帰宅したと思ったらやってくる。お隣さんだし、しかも毎日お茶菓子を持ってやってくるので無下にはできない。なんといっても万が一のことがあれば自分のことを記事にされる怖れがある。慎重に接する必要があった。それはそうなのだが、やはり面倒臭い。もちろん勉強があるので、などと毎回断ってはいるのだが、彼女はちょっとしたきっかけから話を一気に展開させてしまう。そもそもお茶菓子を持ってくる時点で部屋の中に入る前提で行動しているのだ。これを突破するほどの用事がいまの志郎にない以上、ご近所付き合いを円滑に進めていくために彼女との雑談はやむを得なかった。
ここに彼女のような人物がやってきたのはこれで五人目だった。皆、一様にこの幽霊屋敷の噂と、そこにずっと住んでいる志郎に興味津々だった。最初は戸惑った志郎だったがすぐに慣れた。彼らはあまりに奇想天外で戸惑う暇すら与えてくれない、といった表現が正しい。そしてその自称ライターや自称能力者たちもすぐに引っ越していなくなったためそこまで戸惑い続ける理由がないというのも理由だった。
この幽霊屋敷は昭和の昔建設されて間もなくのころ、ある住人が他の住人たちを全員殺害したのち部屋で自殺したという曰くつきのアパートだった。建物そのものが相当な事故物件となって以来それからずっと住む者がおらず、時代の影響もありおかげで家賃がぐんぐん下がり、いま、このアパートの家賃は月額一万円である。中にはそこに魅力を感じて住む者もいたがみんなすぐにいなくなったり、あるいは発狂したり自殺したりした。そんなことが長年続き、大家は、何か祟りがあったらどうしようと破壊できず、自分が生きている限りはこのアパートをそのまま維持しなければならない、と強く思うようになった。ちなみに志郎の住んでいるこの部屋こそその殺人犯の住居だった。
実際に超現実的能力を持つ志郎が思うに、全てはプラシーボ効果のようなものだろう、と彼は考えていた。殺人事件の発生した事故物件に住んでいる、という無意識の影響が住人たちに伝播した結果に過ぎない。実際、志郎が高校入学と共にここに住み始めてから彼に異変は何も生じていない。それもこれも志郎に超現実的な力があるから、と言ってしまえば言ってしまえるのだろうが、それにしても志郎の観察ではこのアパートに特に異常なエネルギーは何も感知していない。あるいは自分に何ら異常が発生していないのはその観測結果によるものかもしれなかったが、いずれにせよ志郎にとってこのアパートはただのアパートだった。
どちらかといえば事故物件は今回の夕映のように興味本位で関わろうとしてくる人間たちのせいで住みにくい物件になるのではないだろうか、と、志郎は思う。町外れとはいえこのアパートに近づく物好きたちは皆無ではなく、志郎は割と好奇の目で見られている。別にそれで何かをされたり言われたりすることはないが、この幽霊屋敷に住むにあたっての最大のネックはそこだった。これまでここに住み志郎に根掘り葉掘り質問し続けた者たちのように、結局、生きている人間が一番怖いのだ。
「でもほんとに、震災なんて起こらないでほしいですわねえ」
どう見ても大規模な天変地異が起こって人々が死ぬことを期待しているとしか思えなかったが、そんなことを志郎が突っ込むはずがない。志郎は、ええ、と、うなずく。
「でも……そろそろですわよ。私の体感がそう訴えています」
こういう人がインターネット上にごろごろいることを志郎は知識としては知っていたが、やはりこう目の当たりにしてしまうとインパクトが違う。彼らは皆、自分のことを特殊な能力を持った特殊な人間だと信じている。相槌を打つだけでもいちいち反応するのが大変だった。
実際に特殊な能力を持った特殊な人間である志郎に言わせてもらえば、それは別に世界の仕組みを丸ごと変えてしまうような力ではない。例えば念動力にしても直接手で操作するか遠隔操作するかの違いしかない。実際に何度も世界を救ってきた志郎だったが、客観的にはこれまでの世界をこのまま続けさせることに成功しただけで別に人類が平和に暮らせるようにしたわけではないのである。世の中はあくまでリアルで、ここをこうすれば全部解決、といった具合では世界を救うことはできない。だが彼らは自分たち特殊な能力を持った人間は世界を平和にするための崇高な使命を持って生まれてきたのだと半ば本気で信じていた。
リアルに考える、ということであれば、仮に体感というものが事実だったとしても、具体的にいつどこで何がどれほどの規模で発生しどう対策すればいいか、までを教えてくれないのであればそれは靴で天気を占うのと何も変わらない。気象予報士は気象の変化により何が起こり、どう対策すればいいかまで教えてくれるから意味も価値もあるのであって、彼らは別にただ明日の天気が晴れか雨かだけを伝えているわけではないのだ。
そういった自称予言者自称予測者たちは、何も起こらなかったとき、何も起こらなくてよかったじゃないか、と言い、支持者たちは備えができてよかった、と返す、という様をネット上でしばしば見かける志郎だったが、備えができてよかったということはつまり日頃から備えていないということである。もし予言に備えとしての意味があるのであれば、最初の一回二回で常に準備しなければという気持ちにさせられないのであれば何もしていないのと同じだ。どこの国のどの文化圏にも自称超能力者はいるが、あるいはこういうのは扇動にはならないのだろうか、と、志郎は法律の知識でどうにかできないものだろうかといつも思う。
だいたいバヌアツの法則も何も、法則として成り立つためにはデータがあまりにも足りなすぎるしデータの使い方があまりにも恣意的すぎる。そもそもリングオブファイアで日常的に大きな揺れが発生するのは当然なのだ。科学的に統計が取れていない以上それは“法則”ではない。それは、伝説である。
などと志郎は心の中で夕映に、これまでの四人に対して心の中で突っ込んだことと同じことを同じように心の中で突っ込み続けた。基本的に我田引水の彼らの考え方に波紋を投げかけることは志郎にはできなかったし、そもそもする気もない。どうせこの夕映も近いうちに引っ越すのだ、と思い、志郎はこれもこの幽霊屋敷に住む自分の宿命だと思ってとにかく相槌を打ち続けた。
「ところで篠沢高校の殺人事件に関してなんですけど」
夕映が話題をころころ変えることにはもう慣れていた。
「はあ」
「何か、七不思議があるんですってね」
「そうですね。あんまり知らないんですけど」
「あら、そうなの?」
「お役に立てずすみません」
「あらあら、そんな。でも、七不思議の一つが殺人事件に関係しているっていう。昼下がりの魔女、という伝説が云々かんぬん」
「劇場型の殺人犯ですね」
「魔女が人を殺したのでは?」
それは実際にそうなのだが、むろん志郎はそんなことは言わない。
「はあ」
「現代日本に魔女が出現したなんて、私たちとしては注目しないわけにいきませんわ」
「そうなんですね」
「山岡さん、お気にならない?」
「僕、受験生なので……勉強に追われてるので、亡くなった生徒さんには申し訳ないんですけど自分は自分でやることがあるんです」
「あら……現代っ子はシビアねえ」
不快なものを見るような目を夕映はした。志郎としては、それをいうなら夕映の方がよっぽどシビアだった。なんといっても人の死をおもちゃにし、それで金を稼いでいるのだから。
しかしここで決め手が訪れたことが志郎にはわかり、はっきりと言った。
「なので今日もこれから勉強しなきゃいけないので、申し訳ないんですが」
「あら、あら。それはすみませんねえ、学生さんの勉強の邪魔をして」
というやり取りをし、やり取りが終わる、という一週間だった。いい加減学習してほしかったが、夕映は何も気にしていない。それどころか毎日お茶菓子を持ってきてやってるんだからありがたく思え、という雰囲気が日に日に増していた。
「じゃあ、これでお暇いたしますわね」と、夕映は立ち上がった。「良い夢を。コペちゃん、またね」
コペルニクスは彼女を無視した。
それでは、といって夕映は去っていった。
ふう、とため息を吐き、志郎は壁にもたれかかった。またね、と来たか、と、志郎は顔をしかめた。煙草でも吸おうか、と思ったが、なんとなく何もする気になれず、しばらくの間志郎はぼんやりと天井を見上げていた。




