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第十話 鬼道を行く(前篇)・4

「コーヒーでいいかい?」

「はい。ありがとうございます」

 公園のベンチで、志郎は普賢から自動販売機の缶コーヒーを素直に受け取った。ここまで年齢の離れた人間に対して割り勘にしようとするのはかえって失礼になるのではないかと思い、志郎は金銭の話はしなかった。

 二人並んでコーヒーを飲む。

「落ち着いたかい?」

「まあ」

「とはいえ、そこまで焦燥したわけでもないようだ」

「そうですね」

 自分が世界の危機を招いている。

 それは、全く考えなかったことではない。

「確かに、宮嶋さんと出会って以来、それまでそんなことはなかったのに世界の危機と何度も遭遇したということは、僕の方に原因があるんじゃないか、という気はしていました」

 普賢はコーヒーを飲んだ。

「冷静だね」

「何人かは、心の問題というか、精神的な悩みが元だったので、それが世界の危機に直結したんだと思ったんですが。精神的な悩みなら誰もが抱えているでしょうし」

「うんうん」

「ただ、全ては憶測にすぎない」

「そうだね。影響を受けた君の力は、ランダムに発揮されるのかもしれないし、あるいは君と波長のようなものが合った人に発揮されるのかもしれない。あまりに情報が足りなすぎる」

「はい」

「そしていずれにせよ、世界の危機を君は回避していることも確かだ」

「そうなんだと思います」

「で、あるのであれば––––彼女はなぜそんなことをしたのだろう? という基本的な疑問に立ち返るわけだね。もっとも君が世界の危機を招いているというのはあくまでわたしの推測にすぎないのだが」

「そうですね」

 志郎もコーヒーを飲んだ。

「彼女に何か目的がある、ということは確かだと思うんです。少なくとも彼女の方は、僕とまた再会するつもりがあるようだった」

 いまの君は知らなくていいんだ。

「僕に世界を滅ぼす力を与えたとして、しかしそれを無意識で防いで––––ということを繰り返したとして、そのあと何があるのか」

「わからない。が」

 普賢は志郎の目をじっと見つめる。志郎はその視線を真正面から受け止める。

「いずれにせよ、君は戦わなければならない」

「戦い、ですか」

「そうだね。そして……おそらくわたしは、君のサポートができたとしても、君の相棒にはなれないのだろう」

「なぜですか」

「力そのものでいえば君の方が強いからだ」

「だけど、技術的な面では校長先生の方が卓越しているんじゃないでしょうか」

「そうだね。だからこそサポート止まりだ。それは例えば、君の力の増幅とか、そういったことができるわけではないからね」

「そうなんですね」

「だが、君を教えることはできる。わたしは教員なので、その辺は得意分野かな。それが数学であれ特殊能力であれ」もともとは数学教諭だったんだ、と、普賢は笑った。「ただ、それも結局サポート程度にすぎない。自分の力は結局のところ、自分の力で鍛え上げねばならないからね」

「先輩がそう言うなら、そうなんでしょうね」

「だから、君がよければ、君のわからないことを教えようと思う。なんだかセクシーな発言に聞こえたかもしれないけどそういうわけじゃないよ」

 どうも急にボケるな、と思い、志郎はちょっと吹き出した。

「そうだね。やっぱり笑顔がパワーだ」

「……」

 ふと昨日の雪尋との会話を思い出し、志郎は普賢に訊ねてみた。

「あの、校長先生」

「なんだい?」

「僕、いまでも精神科にかかっていて。昨日も診察だったんですけど」

「うん」

「先生に言われたんです。医者はたとえそれで世界を滅ぼすことになろうと、目の前の患者さんを助けることが最優先事項だと。たとえその人がテロリストだろうと殺人鬼だろうと」

「教育者に通ずるところもあるね」

「僕は、世界を救うことよりも、目の前の誰かを救おう、と、思ってます」

「なるほど」

「だけど––––僕はまだ高校生のただの子供で、本当の意味で人を助けることなんてできないんじゃないかと思うんです。もちろん、結局、結論は本人が導き出すしかない、というのは、それはそうなんですけど」

「精神医学はそういう感じなんだろうね」

「教育学は違うんですか?」

「通ずるところはある。コーチングってわかるかい?」

 志郎はかつてとある学習漫画で読んだ内容を思い出す。

「お腹を空いている人がいたとして、魚を釣ってあげるか、魚の釣り方を教えてあげるか、というやつですよね」

「そう。教育ということを考えたとき、教師としては魚の釣り方を教えてあげる必要がある。要するに、その生徒が自力で人生を生きていけるようにする、ということだ」

「はい」

「だが」

 普賢はそこで、少し哀しげな瞳をした。

「魚の釣り方を教えてあげる余裕も時間もその生徒にないときは、どうしても魚を釣ってあげる方を選ばなくてははならない」

 志郎はちょっと考えた。

「空腹すぎて何もできない、とか、怪我とか病気で動けない、とか、でしょうか」

「そう。そのとき、教育者として、果たしてお腹を空かしている人に魚を釣ってあげることは、いけないことなのだろうか」

「僕はそうは思いません」志郎ははっきりとそう言った。「それがそのときの最善であるのなら」

「そうだね。だから結局、そのときできることをそのときするしかないんだよ」

 やれるだけのことをやれるだけやること。

 そのときのことはそのときになってみないとわからない。

 普賢は言った。

「目の前の誰かを救うことを優先するか。それとも世界を救うことを優先するか。そこで医者として教育者として、間違った救い方を選ぶことになったとしても、それでも間違った方を選ばなければならなかったとして、君はどうする?」

 君はどうする?

「僕は、きっと、一生そのことを背負うんだと思います」

 普賢は苦笑した。

「君はいいやつすぎる」

「先生も、人生で、間違った選択をしたことを後悔しているんですか?」

「そこそこ長く生きてるからね」コーヒーを飲み干した。「人生は後悔の連続さ」

「だから、せめて後悔ができるだけ少なくできたらいいと思います」

「それはどうかな。若さを感じはするが」普賢は志郎を見つめた。「後悔のない人生なんてあり得ない。後悔のない道なんてどこにもないよ」

「でも、Aの道じゃなくてBの道を選んで失敗したら、やっぱり後悔すると思うんです」

「そんなふうに考えているうちは、どっちを選ぼうが同じことさ。結局、そこには自分の意志がないのだから。自分の意志で進むべき道を選んだのなら、そここそが自らの進むべき道だ。たとえそれで失敗したとしても、それを受け入れる覚悟がなければそこに意志はないのと同じだ。あるいは後悔する資格はない」

 千絵が言っていたことを思い出す。

 自由意志のない世界で、それでも自分の意志を持つこと。

「わかるような気がします」

「結局、結論は自分自身が導き出すしかない、というのは、全人類に言えることなんだろうね」普賢は空を見上げた。「たとえそれが世界の終わりを招いたとしても」

 その言葉を受けて、改めて志郎は言った。それはまるで自分自身に確認させるかのように。

「僕が誰かを救うことで、世界の終わりを招いたとしたら」

「君はどうする?」

「僕はやっぱり、目の前の誰かを救う方を選ぶと思います。いや」訂正する。「選びます」

 風が吹く。

 志郎はまっすぐ前を見た。

「じゃなきゃ、医者にはなれない。僕はスーパーマンになりたいんじゃなくて、患者さんを助けるお医者さんになりたいんです」

 普賢は黙って志郎の発言を待つ。それはあるいは志郎に世界の未来を期待するかのように。

「たとえそれが間違ったやり方で、後悔することになったとしても。なぜなら」

「なぜなら?」

 志郎は、はっきりと、言った。

「自分で決めたことだから」

 普賢はパチパチと軽く拍手した。

「いいね。意志のある者は輝いている。まるで天空の星々のように」

「それでも、先生」志郎は普賢と向き直った。「まだ僕にはその力もなければ技術もないっていう事実は、動かない」

「高校生だからね。それは仕方がないね」

「だから」

 志郎は立ち上がり、頭を下げた。

「僕に、力のことを教えてください」

「世界を救うために?」

 二人はまっすぐ見つめ合った。

「いいえ。目の前の誰かを救うために」

「いいね。君はきっといい医者になる」

 普賢も立ち上がった。

「今日は、時間は?」

「今日はこれから仕事です」

「家庭教師だったね」

「よくご存知で」

「君のことならなんでも知ってる。あ、またセクシーな発言を」

 ははは、と、普賢は笑った。つられて志郎も笑う。

「定期的に会おう」普賢は言った。「わたしは君の、特殊能力の専門教師になろう」

「はい。よろしくお願いします!」

 志郎は再び、頭を下げた。

 これから自分はどんどん大人になっていく。だがそれは決して自分一人でそうなっていくものではない。教えられながら、あるいは教えながら––––その繰り返しで、やがて大人になっていくのだろう。そう、自分の意志を持った一人の人間になっていくのだろう。自分もそうなれるだろうか。単に年齢を重ねただけの人間ではない、“大人”に。そうなりたい、そう思いながら、志郎は頭を上げ、普賢の穏やかな笑顔に安心した。この人は、味方だ––––これが、そうはっきりと確信した瞬間だった。

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