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第十話 鬼道を行く(前篇)・3

 結局志郎はペットショップで普賢の提案したゴム製の骨のおもちゃを買った。落ち着きを取り戻したとはいっても平静状態とはいえなかったし、かといってコペルニクスが待っていてくれていると思うと手ぶらで帰る気にもなれなかったのでそれを購入したのである。この店には今後も世話になるだろうから、次に来店するときに改めて選ぼう、と思ったのだった。

 普賢と二人で店を出ると、普賢はポケットの中に手を突っ込んだ。その瞬間、志郎は周囲の空間に違和感を覚えた。

「いま、何かしました?」

 志郎の質問に、普賢は笑った。

「君は本当に強い力を持ってるんだね」

「質問に答えてください」

「認識阻害の術をかけた。一応、校長として一生徒と個人的に関わっている姿を見られたくないんだ」

 それは自分もそう思っていたことなので、普賢にも理解してもらえて志郎は安堵する。

「認識阻害能力ですか」

「そうだね。ドラえもんの石ころ帽子のようなものだ。見えているけど気にならない、という。まあ使い方次第だけど」

「はあ」

「君もこれぐらいの術は使えるんじゃないのかい?」

「まあ、なんとか」

 いつも町外れの煙草屋で志郎はセブンスターをカートンで購入している。もちろん認識阻害能力を発動させた上で購入している。売店の老婆は自分のことを成人だと認識しているはずだった。が、未成年者の喫煙を教員、それもよりにもよって校長に大っぴらにするわけにはいかないので、志郎はそれだけを答えた。

「悪用はしてないかい?」

 まさかいくらなんでも煙草のことはバレていないはずだと思い、志郎は冷静さを保ったまま答える。

「こういう力は、悪用すると失われるという話を聞いたことがあります」

「悪用してるじゃあないか。煙草の匂いは吸わない人間にはすぐわかるよ」

 なんて目ざとい人だと思った。

 条件反射的に志郎は頭を下げた。

「すみません」

「元喫煙者としては、早々にやめた方がいいね。健康ももちろんだけど何よりお金がもったいない」

「叱らないんですか?」

「若い頃は多少バカな方があとあと思い出になる。ああ、言っておくけど吸うのは自宅でだけにしておきなさい。学校で吸ったらいくら先輩でも君を守ってやることはできないからね」

「はあ」

 しかし、煙草の匂いに関して、もしかしたら智子たちは知らない振りをしてくれているのだろうかと思ったら、居た堪れなくなった。もちろんそれを確認しようとは思わないし、自分もしばらく喫煙をやめる気はないのだったが。

「まあ話を戻して」と、普賢は両手を出して右側から左側へと動かす。「それにしても悪用はしないようにね」

「能力がなくなるからですよね。それにしては僕の力はなくなってませんが」

「その説は、能力がなくなるというより、能力に自滅する、ということが本義なんだろうね」

「と、おっしゃいますと」

「何もかもが自分の思い通りになったら、きっと人間、何をして生きていけばいいのかわからなくなる」

 なんとなくわかるような気がして、志郎は、はい、と、うなずいた。

「そうかもしれません」

「ま、未成年者の喫煙が悪だっていうのはしょせん人間社会、特に現代日本社会の判断だから、神的存在にはあんまり関係なかったりするのかもしれないよ」

「はあ」

「いずれにせよほどほどにね」

「はい」

 ふふ、と、普賢は笑う。

「君も不真面目なところがあるんだねえ」

「真面目な自分は、やりたくてやってることではあるんですけど。そうなんですけど」

「そうだねえ。君ももうちょっとバカになった方がいいね、その方が楽になれる」

 以前も同じセリフを聞いた。

「そうだとは思うんですけど、具体的に何をすればバカになるのかもよくわからなくて」

「ほんとに真面目だねえ」ははは、と、普賢は笑う。「ま、そうだね。例えばそうだな、ネットに自分の裸体をアップロードするとか」

 志郎は目を丸くして飛び跳ねた。

「とんでもない」

「例えばだよ。君は先のこと先のことをあまりにも考えすぎている。要するにもっといまを生きなさいってことさ」

「いまを生きるというより、刹那的な感じがします」

「多少刹那的でも君にはまだ足りないぐらいだ」普賢は再びポケットを両手に入れた。「ま、参考までに」

「はあ」

 どうもこの人は自分のペースを乱してくる、と、志郎はちょっと疲れた。

「我が校始まって以来の秀才が裏では煙草を吸っている、というのは、絵的にはなかなか不真面目なんだが、実際の君を見ると、やっぱり、どうあっても真面目な子なんだなと思うよ。全国模試上位常連であることだけを言っているわけじゃないけどね」

「僕のことをどれぐらい知ってるんですか?」訊かなければならないことだった。「さっき観察とかおっしゃってましたけど」

「四月に宮嶋くんと戦ったのを感応したときからだ」

 四月。千絵が自らを昼下がりの魔女だと、町の不審死多発事件や校内の猟奇的殺人事件の犯人だと明かし、異空間で自分を殺そうとしたとき。

「殺人事件は防げなかった?」

 そのとき普賢は初めて沈んだ表情をした。

「あの生徒には本当に申し訳ないことをした。それだけではない。町の不審死もだ。異変を察知してはいたが、彼女の正体まではわからなかった。もしもわたしに力があれば、あんなことになる前に宮嶋くんを止められた」

 ふと、志郎は、千絵が自分と戦うよりも前に誰かと戦ったと言ったことを思い出した。

「宮嶋さんが戦った相手というのは」

「そう。わたしだ。もっとも、対峙しただけで何もできなかったがね。それどころかあれからしばらくの間、休息を必要とした。それだけ彼女の霊力は強かった」

「霊力……霊的な力なんですか」

「わたしの解釈ではそうなるというだけだ。見方の違いだね。我々の超現実的能力も科学的に分析すれば科学的に説明できるのかもしれない。だからちょっと話は逸れるが、我々の力は通常の現実とは異なる世界とチャンネルがちょっと合っている結果なだけなんだと思うよ」

 それは自分自身いつもそう考えていたことなので、同じ考えを共有できて志郎は少し嬉しくなった。

「まあ、ここでは霊的な力、という表現をするとして」普賢はまた、両手を出して右側から左側へと動かす。「彼女は絶大な力を持っている。わたしなどではまるで相手にならなかった」

「僕もです」

「そうだね。ただ、君が、ただの篠沢高校の期待の星から観察対象へと移ったことは大きかった」

「そう、僕のことをどれぐらい知ってるんですか?」

「小学校一年生のときに交通事故に遭い、ご両親を失い、音尾病院に入院し、そのまま精神科閉鎖病棟へと移ったこと」

 志郎はどのようにしてそこまでの個人情報を掴んだのかと、またしても警戒心を抱いた。

「そこまで」

「そして、今年度になってから、世界の危機を2度ほど救った。校内での話だから、学校の外では他にもあったのかもしれないがそこまではわたしにはわからない」

 志郎は五月のことを思い出す。

「となると、あくまで校内限定で僕のことを調べているわけですね」

「そうだね。もっともそこそこ霊視をしてはいるんだが、あまり距離が離れると視えなくなってしまうから基本的には校外での君をそこまでは観察していない。あ、ちなみに今日はなかなかの運命の出会いだよ。日曜日だし」どうやら今日は本当にたまたま出会っただけのようだった。「ちょっと質問するけど、君の力は生まれつきかい?」

 志郎は幼い頃の自分自身を思い出す。だが、どう考えても自分の力は七つのときに誕生したとしか思えなかった。

「いえ。おそらく、事故の影響で」

「なるほど。それも、君はよく調べた方がいい。来月から夏休みだし、勉強の合間に調べられるなら調べた方がいいね」

「わかりました」

 といっても、何をどう調べればいいのかはわからなかったが、しかし調査しなければならないことであるのも確かだった。

「君を観察しているのは、君が観察しやすいからというのもある」

「と、おっしゃいますと」

「わたしは学校に常時結界を張っている。その中で今年度から君の力をやたらと強く感じるようになった」

 前々から校内でも必要があれば能力を使ってはいたのだが、という志郎の疑問を見透かしたように普賢は続けた。

「おそらく彼女が君に何かしたんだ」

 本題に突入したようだった。

「……何かというと」

「それはわからない。わからないが、彼女は君の力に何らかの影響を与えたんだ。その結果、それまでわたしの結界に反応するほどでもなかった君の力が、反応するまでに強大になったんだ」

「そうだとしたら、なぜ彼女はそんなことを?」

「それはわからない。が、君が世界の危機に瀕したのは、今年度からかい?」

 なぜか話題が変わったような気がしたが、志郎はそのまま答える。

「はい」

「前までは?」

「こんなことはありませんでした」

「となると––––彼女は君に、世界の危機を招いたのかもしれない」

「––––?」

「君の世界の危機が、そのままこの世界の危機に直結している可能性がある」

 何を言っているのかわからない。

「もう少し具体的に」

「つまり––––()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 突入した本題は志郎にとって絶望的な内容になりつつあった。それでも志郎は、恐る恐る、だが、はっきりと質問した。

「と、おっしゃいますと」

 普賢は、少し俯いて、かわいそうなものを見るような目で志郎を見た。

「君は、世界の危機を回避しているのではなく、君こそが、世界の危機を招いているのかもしれない、ということだ」

「––––」

「あるいは、それを君の無意識のようなものが、世界の危機の直前になって食い止めている––––という考え方もできるね。もっとも」

 と、普賢は、清々しい笑顔で微笑んだ。

「わたしの解釈ではそうなるというだけだ」

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