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第九話 明日への切符・5

 大丈夫です。五條さんにやらせますから。

 パート勤務を始めてしばらくしたころの代の校長のセリフが、いつまでも一伊の耳にこびりついていた。

 たまたま職員室を通りがかったときに聞こえた発言で、職員会議でおそらく学園祭の準備の話をしていたのだろう、その最中聞こえたセリフだった。

 それを聞いて、一伊はそそくさとその場から退散した。

 別に仕事をすること自体には何も問題はない。自分は用務員で、用務員がやるべき仕事はきちんとこなす。それについては何も思わない。だが、()()()()という言葉が自分に与えた衝撃は、用務員なんてしょせんそんな程度の仕事に過ぎない、と、彼にはっきりとそう確信させるのには充分すぎる力を持っていた。自分は“学校で働いているだけのただのおじさん”に過ぎないのだと。

 あるいは会議に出席していた他の教員たちは校長のそのセリフに反感を覚えたり、一伊に同情心が沸いたかもしれなかったが、その場で彼らは何の行動も起こさなかったわけだから何もしていないのと同じだ。教師が、大人がこれなら、生徒が、子供がああでもおかしくない。自分が通りがかったときは平気で喫煙を続ける生徒たちが教員が通りがかったときはすぐに誤魔化す。用務員は“どうでもいい大人”で教師は“重要な大人”なのである。

 だから、それでいい、と、一伊は思うことにした。あるいは校長の発言が彼にそう思わせたとどめの一言だったかもしれない。

 自宅アパートでハイボールを飲みながら一伊はぼんやりとこれまでのこと、そして今日のことを想起していた。

 用務員に対する扱いは、別に子供のころ彼らに対して自分が扱っていたやり方がそのまま続いているだけだ。自分は用務員になりたくてなったわけではなく、ただなんとなく就職しただけで、それは自治体の採用試験を突破したあとも変わらない。プライドはズタズタになったがだからといって年齢的に再就職にチャレンジする気にもなれないのでそのまま続けているだけだ。それだけだ。

 職業に貴賤の区別はない。山岡と名乗ったあの子が言ったようにその通りだとは思う。だが、雰囲気はそうは言っていない。校長に反論しなかった教師たちがそのいい証拠だ。だからそれが生徒たちに伝染する。それが脈々と続いている。用務員に対する“みんな”の扱いは、ずっとそうだ。なぜなら自分自身がそう扱ってきたのだから。だから、文句は言えない。

 この状況を打破するためには、用務員自身が行動しなければならない。

 それは欧米の同性愛者たちや、精神疾患を患っている人たちがそうしてきているように。

 だが、それはあまりにも危険なことだった。顔を出し名前を出し、表に出て前に出て、大々的に活動し“みんな”と闘っていかなければならないのだ。そしてその過程で“みんな”に攻撃される。死ぬ。あるいは殺される。その歴史の積み重ねが差別を解消し偏見を取っ払い平等な社会になっていく。

 それは勇気がいることで、覚悟がいることで、ただの市井の人間には、あまりにも危険なことだった。

 そしてそれは当事者自身が行動しなければならないことで、ストレート・アライや精神科医などの非当事者がそれを“普通”で、あるいは“いいもの”だと訴えたとしても何にもならない。当事者自身が行動し、発言し、闘っていかない限り、この雰囲気は何も変わらないのだ。もし非当事者の動きで世の中がよくなるのであれば、とっくによくなっている。そうならないのは結局、非当事者にとって当事者たちが根本的には無関係だからだ。だから、世の中はよくならない。もしもいまの世の中がよくないものなのだとすればそれは困っている側が困っているということを積極的に訴えていないからだ。だから“みんな”このままなのだ。ただそれだけのことだ。

 もちろん、一部の当事者が動き出すことによって、それが大多数の当事者たちにも連動してはいくのだが、結局“そこ”の当事者たちが動かなければそれはテレビの中の遠い世界の住人たちが自分たちとは関係のないことをしている、ということにしかならない。用務員の加入する労働組合が活動するだけでは“そこ”は変わらない。篠沢高校において用務員に対する雰囲気を変化させるためにはいくら“世界用務員連合”が動いたところで自分自身が動かなければどうにもならない。政治や教育も火種にはなるが、火種にしかならない。なぜなら教員たちは校長に何も反論しなかった。火種が実際に燃え盛るためには、当事者自身が行動しなければならない。一伊が校長に直接抗議しなければならない。そして、その過程で死んでしまうかもしれない。殺されてしまうかもしれない。闘う者は死のリスクを背負わなければならない。

 ふっ、と、一伊は苦笑した。そんなことをするより、このままのいまをこのまま続けてしまった方がいい。「そんな仕事は五條さんにやらせますから」。人間としての尊厳などかなぐり捨て、プライドなど無意味なものだと思って淡々と仕事をして金を稼ぎ生活する。ただの市井の人間がそうしていて何が悪い。やがて闘いの中死んでいってくれた先輩たちのおかげで世界全体の雰囲気が変わってったりすればただ乗りしようとは思う。それを“ただ乗り”と批判する向きもあるかもしれないが、自分にとって安全なスペースを確保することの何が悪いのだ。

 安全なスペース。かつては音楽がそれだった。

 ずっと作曲家になりたかった。中学生のころに夢見てからずっと夢を追い続けていた。自分はいつか作曲家になれる、いや、作曲家になるものだと思っていた。だからマジシャンになろうなどとは微塵も思わなくなった。

 一伊の両親は夫婦で活動するマジシャンで、欧米でそこそこの人気を誇っていた。そして、幼い一伊にマジックの才能があることを即座に見抜き、一伊に英才教育を施した。家族でステージに立ったこともある。子供の頃は何も思わなかったし、単純に自分のマジックの腕前を誇らしげに思っていた。親がマジシャンだし、マジックの環境があるのだから、自分は将来マジシャンになるのだろうと思っていた。だが、中学生のとき映画館でバック・トゥ・ザ・フューチャー3を鑑賞してから彼は作曲家になることを決めた。

 当然、両親は反対する。心配する。そして何よりも、もったいないと思う。せっかくそれだけの実力と才能を持っているのになぜわざわざ道を逸れるのか。一伊がマジックの練習をやめ、ピアノやギターやDTMに向かう度に両親は小言を言った。だが、音楽の世界にいる間はそんなことなどどうでもよかった。音楽は自分にとって快楽であり、存在するにふさわしい安全なスペースであり、生きがいであり、全てだった。音楽をやっている間、彼はこの過酷な現実の中で“安心”を手に入れたことを実感していた。

 音楽の専門学校に進学したが、芽は出なかった。卒業後は働きながらあらゆるレコード会社に何度も何度も投稿した。だがそれで返事が返ってくることはなかった。それで、ひょっとしたら自分は音楽には向いていないのではないかという疑念も生まれたが、そのうちインターネットが登場し、ホームページを作り音源を発表し続けた。最初は何の反応もなかったが、日々続けていればだんだんいろんな人たちが反応してくれるようになった。コメントをもらったこともある。悪いコメントでも一伊は嬉しかった。少なくとも自分に、自分の音楽に興味を持ってくれているのだから。次第にコンテストで佳作を取るようにもなっていき、だからこのまま続けていればやがては音楽関係者が自分を発掘してくれるはずだ。そう信じていた。

 三十歳を半ば過ぎたころ、両親が死んだ。ステージ上の不慮の事故だった。もちろん一伊にとって精神的に巨大な打撃ではあったが、彼らの残したなかなかの額の遺産がそれを薄れさせた。これで音楽に集中できる。それまで仕事を転々としながらひたすら音楽を作り続けてきた一伊は、仕事を辞めその遺産を音楽に注ぎ込んだ。そんな日々をずっと続けていた。

 だが、四十歳を少し過ぎたころ、突然、自分の音楽は金にならない、という厳然たるリアリティを覚えた。それは“降りてきた”。天啓のように、突然その発想が浮かんだ。

 なぜそう思ったのかわからない。貯金はまだある。体力的にもまだ充分チャレンジできる。作曲家に年齢は関係ない。自分が頑張るのをやめる理由などどこにもない。だが、情熱が消耗していたことも間違いなかった。すでに仕事になっているならともかく、素人が夢を見るための情熱はどうしても消耗してしまう。なぜなら、老いていくからだ。

 いや、あるいは真に力のある者なら、情熱の炎はいつまでもどこまでも燃え盛り続けるのかもしれない。だが、自分はそうではなかった。リアリティを感じなくなったのだから。あるいは––––レコード会社に投稿していたころ、ひょっとしたら自分は音楽には向いていないのではないか、という疑念が浮かんだ時点で気づくべきだったのかもしれない。真の力ある者は、決して自分の力を疑わないはずだからだ。

 そうそれは、いつでもどこでもちょっとしたマジックなら普通にできる、という、自分の疑いなき実力が、それを証明していた。

 それからはいくら音楽と向き合っていても集中できなくなった。やればやるほど自分の力のなさを思い知る。プロの作曲家たちの作品が自分のものとは比べ物にならないほどのクオリティを持っていることを改めて理解し、自分の作品のクオリティのなさを思い知る。やがて音楽をすることが苦痛になった。だからやめた。売れるものは売っ払い、あとは捨てた。ネットで活動するのも、全部やめた。音楽は自分の全てだった。だから、音楽が自分を求めていないなら、それならいらない。それでも音楽のことを嫌悪するようになったわけではない。ただ、夢中になることがなくなった。それだけだった。

 貯金があるとはいえいつまでも無職でいるわけにはいかないのでハローワークに行き、たまたま篠沢高校で学校用務員をパート募集していたから応募し、そして、いまに至る。

 友達なんていなくていい。孤独は人の心を育ててくれる。成功した芸能人たちの言葉を鵜呑みにし、彼は友人たちのことなど放っておいて音楽と向き合い続けた。その友人たちも最初は一緒にいてくれたが、やがて結婚して子供ができたりすれば自然と関わらなくなる。当然だ。自分が関わろうとしなかったのだから。だから、一伊はいまや()()()()()になってしまった。そして、彼自身も他人を求めなくなっていた。何も生み出せなかった自分の人生に疲れていた。だから学校でも、必要以上の会話はしない。ただ仕事をしに行くだけだ。そもそも職場とはそういう場所だ。自分の置かれている状況がいいのか悪いのかはわからない。ただ他の学校の用務員たちがそこそこ幸せに過ごせているのだとしたら、自分は運が悪い方だと思う。だが、人生を生きていく上で運の要素は無視できない。だから自分は運が悪かった、それでも攻撃をされたりしない分マシだ、そう考えることにして日々働いている。それは諦観だった。

 それでも半年前にたまたま通りがかった神社でコペルニクスを発見し、すぐに懐いてくれてから彼は再び“安心のスペース”を得た。とてもかわいい。とても賢い。こんな自分に懐いてくれる。いい子だ。ずっと一緒にいたい。だが、それが叶わないことも一伊は知っていた。自分に犬を飼う余裕はない。誰かに飼ってもらえない限り、この子はやがて死ぬ。

 山岡という子に預けたのは、彼が“いいやつ”だから、だから任せられるのではないか、幸せにしてやれるのではないかと、直感的にそう思ったからだ。そして自分のその直感はおそらく正しいだろう。きっとあの子なら、なんとかしてくれる。

 ふと、銭湯でしばらく風邪を引いていたと言ったことを思い出し、となると学校も休んでいたのではないか、と考え、一伊はここのところ音楽室からピアノが聞こえないことを、なぜか考えた。

 一昨年から、音楽室から毎日のようにピアノとギターの音が聞こえる。新入生だろうと思った。それで仕事をしながらなんとなく聴いていた。ギターの方はまだまだ未熟だが、高校生らしい瑞々しさを感じて微笑ましい気持ちになる。ところがピアノの方は、初めて耳にしたときから天才的な腕前だと思った。それも日に日に上達していき、いまとなってはもうこのピアノは確実に金を稼げるだろうというリアリティを感じるようになった。

 自分のピアノは、こんなに()()()()()()()

 高校生のころの自分の腕前はあくまで高校生にしてはうまいというレベルにすぎなかった。それがその子はどうだ。こんな普通の学校の高校生だというのに、凄まじく、素晴らしいの一言だった。確固たる力がある。結局夢を叶えることはできなかった自分だが、長年続けてきたことによる感性は確信していた。きっと音大に行くのだろう。君ならプロのピアニストになれる。頑張ってほしい。そう、素直に応援できるほど、その子のピアノは自分を暖かい気持ちにさせてくれた。だが、音楽室のその現場に行く気にはなれなかったし、学園祭のステージ発表を観に行く気にもなれなかった。演奏を聴くだけなら素直に応援できるが、演奏者の姿を確認してしまったら、きっと、嫉妬する。せっかく暖かな気持ちになれているというのに、そんな淀んだ気持ちにはなりたくなかった。

 山岡という子は精神科医志望だから、医学部進学を目指しているのだろう。音大志望ではない。だから、あの子はその子ではない。あれほどの腕前があれば音大に進学するはずだからだ。だから無関係だ。

 だが、もしも万が一、そうだとしたら。

 あの子は危険だ、と、一伊は思った。

 あの子は自分の世界を侵す。自分の世界を壊す。あの子は自分の世界の危機を招く。なぜならあの子は、いいやつすぎる。

 あの子は頭がよすぎる。

 だから、自分の頭が悪いことを思い知らされる。

 あの子は真面目すぎる。

 だから、自分が不真面目な人間だと思い知らされる。

 あの子はいいやつすぎる。

 だから、自分が、いやなやつだと、あるいは悪いやつだと、そう思い知らされるのだ。

 このままあの子と付き合い続けていれば、やがてあの子を憎むようになるだろう。あの子が光り輝けば輝くほど自分の影が、闇が濃くなっていく。自分が無価値な人間だと思い知らされるのはもういやだった。だから、もうあの子と関わってはならない。コペルニクスは幸せになるだろう。なぜならあの子は“いいやつすぎる”から、きっと何をおいてもコペルニクスを優先してくれるはずだ。だから、これでいい。

 コペルニクスのかわいらしい顔を思い浮かべ、ちょっと微笑み、一伊はハイボールをかっくらった。今日はもう寝よう。明日も仕事だ。明日からも自分は無価値な存在だと思い知らされる日々は続く。自分が天才作曲家でもなんでもない“ただのおじさん”だと思い知らされる日々は続く。

 それでも、生活は続くのだから。

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