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第八話 傘・6

「途中まで送るよ」

 駅に着いて、志郎はそう言った。本当は家まで送ってあげたいが、仕事があるからそうもいかない。

「うん。ありがとう」

 再び曇天模様になった昼下がりだった。咲が感謝してくれて、送ってあげていいんだ、と、志郎は嬉しかった。

 道を歩いている最中、二人はほとんど無言だった。志郎はちらちらと咲の方を見る。何を考えているのかな。

「またどこか行かない?」

 自分より先に咲が提案してくれた。

「うん。来週の土曜日は」

「日曜日じゃ駄目?」

「じゃあ来週の日曜日に」

「どこに行こうか」

「考えとくね」

「楽しみにしてる」

 かわいい声だなあ……と志郎はときめく。

「私も考えとくね」

「うん!」

 みっともねえなあ、と、志郎は自分自身を心の中で小突いた。だが悪い気はしない。

 と、咲が立ち止まった。

「じゃあ、私、こっちだから」

「うん。家まで送ってあげられなくてごめんね」

「ううん。途中まで送ってくれたんだもん。守ってくれてたみたい」

 周りに誰もいなかったらガッツポーズをしていたことだろう。

「じゃあ、また日曜日に」

「うん。連絡するね」と、咲。「志郎も気をつけて帰ってね」

 志郎。

 山岡くん、では、もうない。

「うん。雨宮さんも」

 じっ、と、咲は志郎の目を真正面から見つめる。

「咲も」

 にっこり微笑んだ。

 そして咲は去っていった。

 後ろ姿を見る。

 つい視線が下に行く。

 咲が振り返った。見ていることを見られただろうか。下半身を見ていたことを見られただろうか。恥ずかしい。いたたまれない。

 だが咲は笑顔で、バイバイ、と、軽く手を振った。

「ばいばい……」

 掠れた小声でそう言って、志郎も手を振る。

 やがて咲は見えなくなった。

 志郎は両手で顔を覆う。

 熱くてバカになりそうだった。


 帰路に着く途中、なぜ隣に咲がいないのだろうと志郎は不思議だった。次に会えるのは日曜日。それまでLINEでやり取りをするだけだ。電話とかしていいのかな、と、志郎は思う。やっぱり確認してからさせてもらおう、とも思った。

 あんなにかわいい女の子は他にはいない。あんなにかわいい声の女の子は他にはいない。そんなかわいい女の子が、またね、と言ってくれている。また自分と会ってくれる。こんな情けない男とまた会ってくれる。

 嬉しい。嬉しくてたまらなかった。

 足取りが軽くなる。曇天模様の空の下で志郎は輝いていた。生まれてきてよかったとすら思う。いつか立派な精神科医になって、いつか咲と結婚をして––––。

 そのとき、ふと志郎は冷静になった。

 なぜ、自分はこんなにも彼女に夢中になっているのだろう。

 客観性を失い続けていたわけではない。ただ、自分のことを客観視するより咲のことを考える方が有意義だと思ったから考えなかっただけだ。“結婚”といういくらなんでも展開の早すぎるワードを思い浮かべて、ここで志郎は本格的に、はて、と怪訝に思った。

 咲とは会ったことはない。少なくとも自分にその記憶はない。咲の方もピアノの発表会、しかも二年前に自分を見ただけだ。他に接点はないはずだったが、あるのだろうか。

 彼女は南西中学出身と言っていた。この沿線ではないから、中学卒業後に引っ越してきたのだろう。南西中学といえば汐理の出身校だから、したがって咲は彼女の一学年先輩に当たる。だが、仮に咲と汐理に繋がりがあると仮定したところで、別に自分と繋がりがあるわけではない。

 咲はなぜ自分と出会ったのだろう。

 なぜ自分はこんなに彼女に夢中になっているのだろう。

 ふと考えると疑問に思う。

 なんでまたこんな特別かっこいいわけでもない眼鏡に構ってくれるのだろう。

 何か目的が。

 志郎はぶんぶんと頭を振った。

 咲はそんな子じゃない。犯罪事件に突入したわけではない。別に自分は騙されているわけではない。

 だが、万が一、今後何か面倒なことになったら。

 そのときは、咲を助けてあげればいい。

 志郎は、気を取り直して再び帰路に着く。今日も仕事だ。明日は学校。明日は、汐理の授業。それとなく当時の南西中学の様子を聞いてみようか。噂に聞く限りではなかなか荒れた学校だそうで、咲は「私の世代は平和だった」と言っていたが、果たして。


 翌日、月曜日。

 別にいつも通りの平日だった。授業を受け、部活をして、帰り、汐理の授業。

 もう一週間も経つので周りの友人たちも志郎の恋愛模様にいちいち反応を示さなくなっていたが、それでも特に一部の男子たちは気になるようだった。「あのクソ真面目な委員長が俺より先に……」。だが志郎自身いちいち構っていられない。

 特に何事もない穏やかな月曜日だった。

 咲と会えるのは日曜日。

 それまで、普通に、いままで通り、過ごす。

 度々、咲の顔を、声を、お尻を思い出して、にやにや笑う志郎を、一部の女子たちは気味悪がったが、他の女の子のことなどどうでもよかった。咲が笑ってくれれば、いいんだ。


「んで、彼女とはどうなの?」

 汐理の家に到着し、部屋に入ったそうそう彼女は志郎に質問した。

「いや、別に彼女とかでは」

「ああ、まだ付き合ってはないんだ。志郎先生が一方的に想ってるだけなのね」

「一方的……」

 確かに、咲のテンションに比べて自分の舞い上がり方は尋常ではないから、一方的とは言えるのかもしれなかった。

「ま、愛は愛された方が勝者なのよね」

「勝ち負けなんですか?」

「負けちゃうと、なんでも言うこと聞いちゃうもの。志郎先生、女に免疫なさそうだからすごい騙されそう」

 騙されそう。そしたら彼女を真っ当な道へと正してあげればいいだけだ。

「気をつけます」

「かわいい子なのー?」

 顔が綻ぶ。

「さあ、それは、どうかな、かわいい、かわいいといえば、そのう」

 駄目だこりゃ、と、汐理はため息を吐いた。

「志郎先生もただの男か」

「ただの男ですよ。なんだと思ってたんですか?」

「男にしてはなんつーかニュートラルな感じしてたから」

 ふと、以前紗耶香の言っていたことを思い出す。

「それは、女性としては、よくないんでしょうか」

「んー、女によるよね。あたしは気楽に付き合えて好きだけど。でも、彼女さんがそういう志郎先生がいいっていうなら、それが大正解なんじゃない?」

 にやにやしてしまう。自分と咲は相性がいいのだろうか。

「ところで同じ学校の子?」

 という質問に、志郎は個人情報がバレない程度ならいいだろう、と思い、そして、我ながら卑怯だとは思ったがさりげなく咲の情報を手に入れよう、と思った。

「いえ、違います」

「他校の子かあ。中学は?」

「南西中学です」

 汐理は目を丸くした。

「あたしと同中じゃん。なんて子?」

「それはさすがに個人情報保護法に引っかかるので」

「了解。ふーん、じゃ、あたしの先輩に当たるのかな?」

「ですね。僕と同い年ですし」

「ふーん。あたしらの世代、めちゃくちゃ荒れてたから、じゃ志郎先生の彼女って元ヤンとかなのかしら」

 聞き捨てならなかった。

「荒れてた?」

「そうよう。先生も我関せずみたいなやつらばっかだったし。まあ少子化だから昔よりは遥かにマシになったみたいだけど、この辺の中学じゃあそこはマジヤバい部類ね」

「彼女は、自分たちの世代は平和だったと」

「ああ、まあ、女子としては、そう言うかも」

「どうしてですか?」

「うーん。なんていうか」と、汐理はシャーペンをくるくると回した。「自分も荒れてたって思われたくないっつーか」

「……」

「いや、ま、彼女さんが元ヤンかどうかは知らないけど」デリケートな話題に突入してしまったことを自覚した汐理は、慎重に言葉を選び始めた。「それかいじめに遭ってた方かもしれないし、それならなおさら言いたくないわよね。昔いじめに遭ってたなんて普通なかなか言えないわよ」

「……」

「ま、いまが幸せならいいんじゃない?」

 咲の過去を知りたい。

 昔はどんな子だったのだろう。

 いまは、幸せなのだろうか。

「ていうか」

 と、汐理は身を乗り出した。

「志郎先生が幸せにしてあげればいいのよ」

 もちろんだ、と、志郎は決意した。


 日曜日。

 長い一週間を終え、日曜日になった。

 十時に駅で待ち合わせ。今日は植物園に行く予定だった。

 九時半に駅前に到着し、志郎は咲を待つ。

「……」

 この一週間、先週の浮かれ方とはやや異なり、汐理の話を想起し続けていた。咲は南西中学出身で、当時荒れていた学校に通っていた。

 咲は、中学のころ、どう過ごしていたのだろう?

 LINEのやり取りではバレー部に所属していたと聞いた。「女バレはキツかったでしょ」という志郎の質問に、「ううん。みんないい人たちだったよ。友達もいっぱいできたし」と返事が来て、咲がそう言うならそうなのだろう、と思ったが、もしかしたら、嘘を吐いているのかもしれない、と思い始めていた。

 あらゆる可能性を考え、志郎は、はあ、とため息を吐いた。

 やっぱり、あんなかわいい子がこんな眼鏡に構っているのは何か裏があるんじゃないか。

 自分の過去を隠すなんて。

 頭をぶんぶんと振る。いやいや、咲の主観と汐理の主観は違うし、同じ荒れた中学出身とはいえ別に全校生徒が荒れているわけではないはずだから、咲の観測内世界と汐理の観測内世界がそれぞれ違う可能性もある。それは無理があるでしょ、という心の声を、参考にはしたが、だが、咲本人から話を聞かない限り何にも断定はできない。

 咲は自分を騙そうとしているのかもしれないが、それなら正してあげればいいだけだ。何度も何度もそう考え、自分自身納得し続けていた。

「おはよう」

 咲がやってきた。いままで自分はなんて邪悪な発想でものを捉えていたのだろう、と、志郎は反省した。

「おはよう」

「今日もよろしくね」

「うん! 植物園、楽しみだね」

「そうだね。植物園って行ったことないから、楽しみ。外国の植物とかもあるんだよね」

 咲はにこにこしている。本当に楽しみにしているようで、本当に、楽しそうに見えた。

「じゃ、行こうか」

 志郎が促すと、咲は、

「うん」

 と言って、並んでホームに入った。


 だが、植物園は「臨時休業」の札がかけられていた。

「ああ……臨時休業じゃ、ネットで調べても意味がなかったか……」

 志郎はうなだれる。“デート”が台無しだ。

 ふと咲の方を見ると、そこまで残念そうな顔はしていなかった。だが彼女は言う。

「残念だね」

「そうだね。楽しみにしてたのに」

「じゃあ、どこか別のところだね」

「そうだね。この辺だと、どこがいいかな」

「それとも、そうだな」

「どこかいいところある?」

 咲は、志郎の目をじっと見つめた。

 数秒間見つめられて、志郎がたじろいだら、そんな志郎の様子を見て、どこか悪戯をするように、言った。

「じゃ、うちに来る?」

 爆発。

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