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第八話 傘・2

 校庭のもといた場所に戻ると、三人がそわそわしていることにすぐ気づく。これから面倒なやり取りが始まるのだろうという予感を覚えたころ、総一朗が志郎に気づく。

 どうだった? と、口が動いていた。志郎は彼らのもとへと戻った。

「どうだった?」と、改めて口に出して志郎に訊ねた。「感触は?」

「別に。ちょっと話して、LINE交換しただけ」

「だけじゃねえじゃん! すげえじゃん!」

 まるで自分のことのように喜ぶ総一朗に、どういう表情をすればいいのだろうと志郎は困惑した。

 総一朗はさらに訊ねる。

「それで名前は? やっぱあまみやさん?」

「あめみやえみ、だって」

「咲くって書いてえみって読むんだ」

 志郎が日本語の説明をしようと思うより先に紗耶香が割って入った。

「かわいかった!?」

 志郎は怪訝に思う。「って、真島さんたちが呼びに来てくれたんでしょ」

「あたしたち他の子に言われただけだもん。顔なんか知らないよ」

「他の子って?」

「えーと、大野くんとか」

「二組の?」

「彼が言うには、彼は四組の上田さんたちから聞いたって」

 これは本当になかなか面倒なことになっていそうだ、と志郎は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「なんでみんなそんなに恋愛好きかなあ」

「違う違う。相手が山岡くんだからよ」

「僕がなんだって?」

「あの真面目すぎるほど真面目で生真面目な委員長に恋が始まるかもしれないっていったらみんな悔しいでしょ」

「なんで悔しいの」

「彼氏彼女いる人ならともかく、いない人ならそりゃ悔しがるわよ」

「あの、さっきから真島さん、僕に喧嘩売ってるの?」

「違う違う。面白がってるの」

「そうそう。喧嘩はやっぱり殴り合いだよね」

 という蒔菜に三人がぎょっとしたと思ったら、彼女は言った。

「それで、どんな子だったの?」

「どんな子って……」と、志郎は直前に会った少女の顔を思い出す。「かわいい子だと思うよ」

「思うって何?」と、紗耶香。

「だって、初対面もいいとこだよ。顔のかわいい犯罪者はいくらでもいる」

「だからさ志郎、そんなにビビんなって。なんかあったらブロックすりゃいいんだって思えば気が楽になるだろ」

「それはそうだけど」

「とにかく! 志郎、ちょっと世間話をやり取りして、そんで『お礼がしたいから、来週、どこかに出かけない?』って送るんだぞ」

「ちょっと待って、なんで僕が出かけなきゃいけないの?」

「お礼しなきゃ! 『お礼がしたい』って送ればいいんだよ」

「また会わなきゃいけないのか……」

「そんなに危険な香りがしたの?」そこで蒔菜が目を丸くさせた。「単純に喜ぶわけにはいかない、みたいな感じだね」

「そりゃあそうだよ。どこの誰かもわからないし、そもそも名前だって本名かどうかわからないんだし」

「う〜ん。頭がいいっていうのはありとあらゆる可能性を考えて心配しちゃうことでもあるのかなあ〜」

「とにかく!」と、再び紗耶香。「いやならブロック! それまで楽しむ! それっきゃないっしょ!」

「でさ、でさ、志郎。その子何が好きだって?」

「知らない」

「ま、そういうことやり取りでわかってけばいいんだけどな。相手の好きなものとかこととかはリサーチしなきゃいけないぞ」

「あと、彼女の行きたいところが特になければ山岡くんの行きたいところに連れて行ってあげればいいのよ」

「山岡くんの行きたいところって言ったらどこだろ。国会図書館とか?」

「本が好きな子だったらありだろ?」

「いや、仲良くなってきたらありだけどさ」

「間違っても死体博物館とか寄生虫展とかに行っちゃ駄目だよ」

「あんたね、いくら山岡くんでもそんなバカなことしないわよ」

「とりあえず食事してからの方がいいかな?」

「そうね、とりあえずハンバーガーとかかしら」

「間違っても高校生の初デートで夜景の見えるレストランとかは駄目だよ」

「あんたね、山岡くんにそんなお金あるわけないじゃん。ていうか夜景の見えるレストラン情報があるわけがない」

「あの〜」

 と、黙って話を聞いていた志郎がそこで口を開いた。ん? と、みんなが志郎の方を向く。

「ここの三人、みんな彼氏も彼女もできたことないよね?」

 そんなことはどうだっていいのだ、といって、三人はまた志郎の初デートのプランを考え始めた。


 面倒臭い……という気持ちしかなかった。

 仕事から帰宅し、全ての行動を終えたのち、志郎は部屋でスマホと睨めっこしていた。

 なんでこんなことになったのだろう、といえば、あの雨宮さんが発端だ、と思う一方で、傘を持っていかなかった自分が原因だ、と思うとなんだか疲れてしまった。

『よろしくお願いします』『よろしくね』というメッセージのやり取りを見て、会ったことのない相手とやり取りをするのと事実上同じだ、と思い、世の中の人々はよく気軽にマッチングアプリを使ったりインターネットで知らない人と出会ったりできるものだ、と志郎は思う。単純に恐怖や不安や心配はないのだろうか。あるいはそんなことを考えない人たちがネットで出会うのだろうか。いやしかし文通の文化は昔からあるわけだし、知らない人と関わりたいという願望が人間には備わっているのだろうか。などといったどうでもいいことを考えているうちにもう十五分も経ってしまった。

 時計は十時になっていた。高校生ならまだ起きている時間だろうし別に迷惑ではないと思うのだが、と考えたとき、志郎は咲が自分を「十八歳」と紹介したことを思い出す。もしかしたら高校へは行っていないのかもしれない。いや、平日の昼間に私服で外を出歩いていたわけだからその可能性は大いにある。でも中学を卒業してすぐ就職した友達もいるしそれ自体は別におかしなことではない。

 おかしなこと。なぜ咲は自分が篠沢高校の生徒であることがわかったのだろう? と不安に思った瞬間、発表会のときの情報で知ったのだろう、と思い安堵する。

 彼女は自分のことを知っていた。どこまで知っているのかはわからない。どこまでも知っている怖れもある。やはり犯罪なり面倒な事態に突入し始めている可能性、いや危険性がある。

「うーむ」

 ただ、傘を貸してくれたお礼自体はした方がいいのだろう、とも思う。咲の目的がなんであれ、それは人として、あるいは男として最低限の礼儀なのではないか、とも思う。別にそこまでしなくていいんだよ、というもう一人の自分の声も聞こえはするが、しかし、だからこそ志郎は真面目すぎるほど真面目なのだった。

 意を決して志郎はLINEを打ち始めた。

『傘を貸してくれて助かりました』

 味気ないが、味気がある必要はない。そのまま送信し、続け様に打つ。

『どうもありがとう』

 するとすぐ既読になった。

 しばらく画面を見ていると、返事が来た。

『それ、昼間も言ったね』

『改めてです』

『タメ口でいいよ。助かったなら何より』

 はっきり正直な自分で進もう、と志郎は思った。

『なんでまた傘を貸してくれたの?』

『困ってたから』

『発表会で知ってただけでしょう』

『印象が強かったから覚えてた。昼間も言ったけどすごくうまかったし、それに』

 と、そこで送信され、そのあとこう送られてきた。

『好きな曲だから』

 嬉しい、とは思う。

『褒めてくれてありがとう』

『ほんとにうまいから、将来はピアニストになるのかな?って思った』

『その道も進められてはいるんだけど、他になりたいものがあるんだ』

『聞いていい?』

『お医者さん』

『頭も成績もいいんだね』

『まあ、そこそこ』

 そこでしばらく静止した。

 三十秒ほど経過したのち、返信が来た。

『じゃあ医学部に行くの?』

『うん。そのつもり』

『すごいなあ。私は中卒』

 やはり、と志郎は思った。

『高校には行かなかったんだね』

『そのまま就職したから』

 少し突っ込んでみよう、と思った。

『どういう仕事をしているの?』

『歯医者さんの事務』

 少し共感を覚える。

『大変でしょ』

『腕のいい歯医者さんだから、みんなありがとうって言ってくれて。だから充実してるよ』

『そうなんだ』

『そうなの』

 志郎のターンだった。だが、なんと送ればいいのかわからない。

 一分ほど経過したが、向こうからも送信されないし、どう考えてもこれは、自分のターンだった。だが、なんと送ればいいのかわからない。

 ふと総一朗たち昼休みの三人が降りてきた。

 結局、こうするのが一番妥当なようだ。

 志郎は送信を始めた。

『お礼がしたいから、来週、どこかに出かけない?』

 一瞬、世界が静止したような気がした。

 時間にして約一分だったが、その時間がまるで永遠に続くような気がして志郎は気が滅入った。なぜ自分がこんな目に。

 その一分後。

『どこに?』

 厄介なナンパだと思ってこのまま終わらせてくれればいいのに、と、どうしても思ってしまう。

 そして志郎は鬱陶しい気持ちのままLINEを続けて、『おやすみなさい』『おやすみなさい』を最後にやり取りを終えた。

 はあ、と、志郎はため息を吐いた。

 ものすごく疲れた。

 だが結局、こうなるのが一番妥当なようだった。

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