第六話 ある結末・2
「それで、どうだった?」
放課後、志郎たち四人は音楽室で談合のように集合していた。昼休み、図書室に向かっていったきり蒔菜たちは帰ってこなかった。昼休み終了間際に、先生に奈那子と三人で資料室でコピーを手伝わされたのだと説明を受けた。だから紗耶香は「放課後、音楽室で」と、それがなんだか疲れたような申し訳なさそうな顔で志郎に伝えていた。
「僕は正直嫌な予感しかしないんだけど」
「うーん。山岡くんはすごいなあ。予感を感じる能力もトップクラスなのね」
蒔菜の発言に志郎は頭を抱えた。
「さりげなく聞いてくれたんだよね?」
「うん。男の子が主人公の本を彼女読んでたから、男の子っていえば山岡くんのことなんだけど、って言ったの」
「どこがさりげなくですか」と、なんとなく敬語になってしまった。「だから遠藤さん、昼休みが終わってから、なんか……」
「いじめられたの?」
「いや、なんだかすごい目で見られた」
「あちゃ。失敗だったわけだ」
「成功だと思える要素なんかあった?」と、紗耶香は悩ましげな表情で蒔菜に訊ねた。「そりゃ話は聞けたけどさ」
「じゃ、とにかく」気を取り直して志郎は二人に改めて訊ねた。「とにかく、話が聞けたなら、その話を聞きたい」
「えっとねえ、遠藤ちゃんが言うには」
「二人で説明してくれるかな。細かい部分で気になるところがあったらその都度聞くから、できるだけ端折らないで丁寧に」
二人は顔を見合わせた。
「了解」
と、紗耶香は言い、そして志郎と総一朗に説明を始めた。どうやら図書室ではこんなやり取りが交わされたようだった……。
「なに、山岡くんの話なら聞きたくないんだけど」
本を置いて奈那子は蒔菜に言った。一瞬前までのにこやかな様子と違ってその声は異様に刺々しい。
紗耶香が前に出た。「いやでもさ、いまさらっちゃいまさらだけど、なんで遠藤ちゃんはそんなに山岡くんにムカついてるんだろって。シンプルに疑問なんだよね」
「真島さんたちは嫌いな人いないの?」
「いや、そりゃいるけど」
「私にとってはそれが山岡くんなの。それでいいじゃない」
「う〜ん……」
「それにしても何かわけがあるんだったら、山岡くんだったらきっと反省して直してくれるよ?」
と、蒔菜は声をかけたが、しかし奈那子はいちいち説明するのも面倒、といった態度でこう言った。
「別に山岡くんがどうこうっていうんじゃないの。ただなんかヤなのあの人」
「そんなヤな要素ある?」
「飯沢さんは仲いいから感じないだけよ」
「そうかな〜。山岡くんみんなに優しいしリーダーシップも取れるし。でも偉そうじゃないし。わたしは男子の中では一番付き合いやすいって思ってるんだけどな」
「それが嫌なの」
と、断言して、二人は顔を見合わせた。
「え、何が嫌なの?」
「だから、男子のくせに女子と仲良くてさ」
「仲良きなことは素晴らしきことかなかなと思うけど」
「そういうことじゃなくて、あの人、距離感やたら近いし、パーソナルスペース侵してくる感じがしてそれが嫌なの」
「あ〜、それは……」
と、紗耶香が奈那子の言葉に続こうとしたとき、たまたま図書室に入ってきた国語教師に声をかけられた。
「あ、そこの三人。ちょっとコピーに付き合ってくれるかな」
「はい!」
奈那子が即答しついていった。これで話は打ち切りだ、と言いたげに。仕方がないので蒔菜と紗耶香もあとをついていく。その後、資料室で三人はのんびりと人気デパートのバーゲンセールの話題に、再びにこやかに移っていった……。
「……ということだったのじゃ」
ところどころで蒔菜の説明に確認を入れながら話を聞き、すべて聞いたあとの志郎の頭には疑問符が浮かんでいた。
「距離感が近い? 僕が?」
「うん。別に生々しい感じはしないけどね」
「いやあの、さすがにそんなことはないっていう自覚はあるよ? でも––––」
「でも話聞いて、あたしなんとなく、あ〜そういうことか〜って思っちゃった」
紗耶香の発言に、志郎と総一朗は顔を見合わせた。
「何が?」と、二人は声を揃えた。
「だから、確かに山岡くんって男女関係なく距離感近いっていうか、同じだよねって」
「それはまあ。あんまり男とか女とか意識しないようにはしてるつもりだけど」
「だからそれが嫌っていうのがわからなくもない。正直、あたしもときどきちょっとこの人って思うときあるよ」
いい機会だから、と言わんばかりに説明する紗耶香に、志郎は怪訝そうな顔をした。
「ごめん、僕の何が問題?」
「なんていうか、あたしを女として見てないっていうか」
「えっ」
「勘違いしないでね! ってツンデレじゃなくてマジで! あたしが山岡くんのこと好きとかじゃないから! 全っ然ほんとまるっきりタイプじゃないし! あたしもっとガッチリした男が好きだし!」
「そんな全否定しなくても……」
と、蒔菜は志郎に憐れみの目を向けた。憐れみの目を向けられたことでちょっと傷ついたが、それでも志郎は紗耶香が落ち着くのを待った。
少し反省して、紗耶香は再び説明を始める。「だからさ、あたしは女で男じゃないから、男みたいに扱われたらちょっと気になるんだよね」
「僕は別にそんなつもりは」
「いや、違うな、男みたいに扱うとかじゃなくて、もっとこう、女として扱ってもらいたいわけよ」
「……?」
まだ要領を得ない。志郎は紗耶香の次の言葉を待った。だがそこで蒔菜が言った。
「わたしは山岡くんのそういう感じ、好きだけどなー。むしろわたしはそういう男子が新鮮で、だから話してて楽しいんだけど」
「いやあたしも別に嫌っていうんじゃないのよ。ただなんか、ほんと、ところどころで気になるっていうか」
「何が気になるの?」
「うーん、だから……」
しばし静寂。
紗耶香は、どうしてもうまく説明できないようで、しかしやがて言った。
「あたしとしては、山岡くんが、もうちょっと、織部みたいに自分は男だって自覚してほしいかなー、みたいな……」
総一朗は人差し指を自分の顔に向ける。「俺がどうしたって?」
「ほんとうまく言えないんだけど……これ以上あたし説明難しい……」
「……」
志郎は考えた。
確かに、自分はできるだけ男と女という区別でなく人間を見ようと思っている。別にそうしようと積極的に努力しているわけではない。ただ志郎としては、むろんTPOにもよるのだが、基本的には男女の区別をいちいちしなくても他人と話すことはできるのに、それなのに他の男子たち女子たちはなぜそうしないのだろう、と単純に疑問だった。その疑問は総一朗に対しても同じように向けられており、少なくとも十歳ぐらいまでは男女の区別なく人間関係は構築されていたのに、中学生に上がるころにはすっかり男と女でそれぞれがそれぞれを認識していることに志郎としてはなんだか違和感があった。それもあって、できるだけそういう区別をしないようにする自分の判断が殊更に間違っているとは思っていなかった。それが中学生のときから一緒にいる紗耶香に不満に思われていたとは思わず、だからそれが蒔菜と比較して彼女に少し距離感を覚えていた理由だったのだろうか、と志郎は思った。紗耶香は総一朗とは問題なく付き合っているように見えるのだが、それなら志郎は自分の考え方のどの辺りに問題があるのだろう、と考えた。
「わたしは男子って、男子ってだけでなんか嫌だなーと思うときあるけど、紗耶香は逆なんだね」
という蒔菜の言葉に、総一朗は「ん?」と疑問に思った。
「あれ、飯沢、俺のこと苦手?」
「ううん。織部くんも男子の中ではマシな方だけど山岡くんよりはザ・男って感じがするかな」
「だって男だもん」
「でもちょっと怖いって思うときあるよ」
「え、マジで? 俺、声とかキツいときある?」
「うーん。なんか、運動部の助っ人に駆り出されてるときとか、俺が俺がみたいな感じがちょっとだけしてそれがなんか嫌かも。他の男子に比べればいい方なんだけどね」
「そんな俺が俺がしてるかなあ。なんかめんどくさいな」
「あ。女性差別」
「いや、差別とかじゃなくて。––––っていうか、真島はそういう方がいいの?」
「いや、女は面倒臭いって思われるのは嫌なんだけど」
「うーん……」
総一朗も困ってしまった。これ以上自分が発言しても意味がない、と思い、総一朗は抱えていたギターを少しぽろぽろと弾いた。いったん俺は退く、と、そう告げていた。
志郎は自分の思考を整えようと思って、とにかく言語化してみた。
「とにかく真島さんは、僕に男としての自覚が足りない、って、ずっと不満だったのかな」
「うーん、まあね。だってやっぱり」そこで紗耶香はこれを言えばいいだろう、と思い、頷いた。「男と女だもん」
だがそれに蒔菜がまたも異を唱えた。
「え〜。わたしはそういう区別しないでいてくれてるっぽい山岡くんがいいなー」
「どうも話がごちゃごちゃになるなあ……それともいちいち男とか女とか気にするあたしが気にしすぎなのかなあ」
「いや、そんなことはない」
と、そこで志郎は断言し、紗耶香は、え、と目を剥いた。
「気にしすぎとか考えすぎとかじゃなくて、いま自分は悩んでるんだっていう事実そのものが大切なんだよ。まずその辛さを自分に感じさせてあげないと、解決にはならないよ」
「さすが山岡くん。将来のフロイト」
「僕はアードラーの方が好き」
「そいつは誰だ」
「いやまあそれはともかく」
そこで志郎は紗耶香と向き直った。
「真島さんや、それに遠藤さんの言ってることが全部理解できたわけじゃないけど、だけど確かに僕は殊更に自分は男だって思わないようにはしてきたと思う。飯沢さんはその方がいいって言ってくれてるから、どっちが正解とかじゃないのかもしれないけど、ただ、真島さんに抵抗感を抱かせていたことは謝るよ」
「うーん、だからそういう感じも……いやダメだ、あたしやっぱ考えすぎなのかもしんない。もっと蒔菜みたいに喜んでた方がいいのかも」
「というより、今日はもう日が悪いんじゃないのかな」と、蒔菜が紗耶香に助け舟を出した。「遠藤ちゃんもバーゲン行くって言ってたし、わたしたちも行く?」
「ん。そうだね。じゃ、もうちょいしたら行くか」
「おけ。じゃ、久しぶりに二人のセッション聴きたいなあ」
「任せとけ! リクエストくれっ」
これでこの議論は打ち切り、と、三人は告げていた。
志郎は考える。
これは男女論なのだ。自分にはちゃんと理解できたわけではない。だが、女性が男性に対して根本的な不満を抱いているということは、それは紗耶香からも蒔菜からも感じられた。そしてそれは奈那子にとっても同じなのだろう。
まだわからない。女を女として区別した方がいいのか、それともいちいち区別しない方がいいのか。紗耶香と蒔菜ではその解釈が決定的に異なっていた。
ただ、志郎は、さっき言ったように、確かに自分には男としての自覚が少し足りなかったかもしれない、ということは反省点だと思った。その振る舞いが紗耶香たちに負の感情を抱かせていたことは確かなのだから、それは改めなければならない。むろんその態度もどうやら紗耶香にとっては思うところがあるようで、だから志郎はこれからも考えていかなければならない。あるいは根源的な部分で男性というものが女性にとって“否定”の対象なのかも––––。
そこで蒔菜が思い出したように、あ、と言った。
「そういえば資料室から出てったときもさりげなく山岡くんのこと遠藤ちゃんに聞いたんだった。こってり忘れてた」
「全然さりげなくないんだろうね」志郎はもう諦めていた。「何か言ってたの?」
「うん。これは男とか女とかの話じゃなくって、山岡くんから変な匂いがするんだって」
「ちょっと、もうちょっとオブラートに……」
志郎はショックで目を剥いた。
「え、僕、匂う?」
自分の腕の匂いを嗅ぎながら総一朗に問う。
「いや? 別に。真島は?」
「あたしも別に」
「わたしも。男の子らしい臭い匂いがするだけ」
「あんたねえ、ほんとにねえ……」
変な匂い。
変な、という部分がどこか気になって、志郎は訊ねた。
「どんな匂いだって?」
「お香みたいな匂いだって」
「……お香?」
「つーかなんでそんな話になったの?」
「いや、向こうが。『あんたたち山岡くんの匂い気にならないの? 最近すごいじゃない』って」
「……」
どうやら奈那子が志郎を嫌悪する理由は、男女論とは別にあるようだった。




