第四話 蘇る幻・2
ケーキ屋「おかしの家」は大盛況だった。
篠沢高校の生徒だけではなく、他の学校の生徒たちもまるで全員集合したかのように店は若者たちで埋め尽くされていた。オープンしたての店内は広く、食事スペースには円形テーブルが五つあり、それが全部埋まっていた。
「これは座れないね」と、紗耶香。「ま、予想通りっちゃ予想通り」
ショーケースを見てみるとケーキが大量にあった。残っていたわけではなく、志郎たちが入店してからも新しいケーキが次々に補充されていた。
「じゃ、買ってこ〜。どれにする?」どれにするか迷っているのは紗耶香も同じだった。「やっぱこないだ食べたやつ以外を食べたいよね」
「ファイヤーケーキね。なるほど」と、志郎は何度も“なるほど”とうなずいた。「じゃ、これで」
「マジで食うの? あり得ない」総一朗は目を剥いた。「これマジで食いもん? なんか赤っていうのがほんと赤なんだけど」
ファイヤーケーキと名付けられたその唐辛子のケーキは真っ赤もいいところだった。まるで赤の絵の具をそのまま塗り付けたかのような、それはそれは赤い色をしていた。だが辛党の人間が世の中少なくないということだろう、すでに残り三つの状態になっていた。このファイヤーケーキも補充されるのだろうか、と、一般常識をももちろん持ち合わせている志郎はちょっと疑問に思った。が、別にいま自分が食べられればそれでいいのだ。
「もう一個ぐらいいいよ」
「いいの? ずいぶん太っ腹だね」
「いや〜、ほんと助かったっていうのもあるんだけどね、どれもこれもほんと美味しいからさ」
「えーと、それじゃあ……このほうれん草のケーキっていうのにしようかな」
「ケーキとは……」
「総ちゃんは?」
「俺、苺ショートにモンブラン」
「ほんと女子力高いよね」
紗耶香の発言に総一朗はちょっとだけムッとした。
「男が甘いもの好きで何が悪い」
「全然。あたしのお兄ちゃんも甘党だし」
と、そこで紗耶香は、しまった、と口を押さえた。
「なんか大変な兄貴みたいだな、ほんと」
「いや、まあ」
「でも隠すことないのに」
「いや、まあ。その。あたしにとってはいいお兄ちゃんなんだけど、ね」
紗耶香が兄の話題をすることを避けているのは志郎たちはわかっていたが、なぜ避けているのかはわかっていなかった。仲が悪いわけではないようだったが、どうしても話題にしたくないようだった。志郎たちが中学一年生だった頃にはすでに卒業していたから彼女の兄の姿を志郎たちは知らない。プライベートな問題がそこにあるのだろう、と思い、志郎も総一朗も深入りはしなかった。ただ、総一朗としては気になることではあった。気になるのはなぜかというと、総一朗が芸能界好きだからだった。
「いや、深入りはしないけどさ。でもさ」
「あんたに深入りされると困るのよ」と、紗耶香は総一朗に懇願した。「ほんと深入りしないでほしいの。ほんと突っ込まないでほしいの」
「わかったわかった。もう言わないよ」
「もう」
そこで蒔菜が言った。
「わたしは自腹?」
「え、なんでまたそんな当然のことを」
「わたしも探したよ〜」
「あ〜。そうか。そういやそうだった。あんたってほんとタイミングいいよね」
タイミングがいいのはいまこの場で助けてくれたからだ、と、紗耶香はちゃんと理解していた。
「じゃ、わたしチョコムースとニンジンケーキ」
「チョコにニンジン? 食い合わせすげえな飯沢」
「それがほんと美味しいんだよ〜」
「あたし、オレンジタルトにメロンショートにしよ」
そのとき、一つのテーブルから客たちが立ち上がった。
「ここで食べます!」と、紗耶香は大声で店員の若い女性に叫んだ。「あそこあそこ! あそこ行くんで!」
他の客たちは一歩遅かった、と、みんな少し後悔した。しかし、こうならなくてよかった、とも安堵していた。
別の女性店員があっという間にそのテーブルの上を片付け、そして紗耶香はそこを陣取った。
「あたしオレンジタルトにメロンショートね!」
「え、紗耶香が奢ってくれるんじゃないのー?」
「あ、そうだった……じゃ、蒔菜、こっちいて! あんたチョコムースにニンジンね!」
恥ずかしい……と、志郎も総一朗も縮こまってしまった。なんといってもこの店の主なターゲット層は若い女性のようで、いまこの店にいる男は店員を除けば自分たち二人だけなのだ。それが紗耶香の大声でなおさら露わになってしまっている。今日のこれはお礼のはずなのに……と、志郎はふと食事スペースを覗いてみると、そこに若い男性がデート中だろうか、若い女性と二人で席に座っているのを見て、なんとなく志郎はホッとした。
それぞれがケーキを頼み、お飲み物もいかがですかと店員が言ったところで蒔菜が手でメガホンを作り大声で叫んだ。
「あたし昆布茶ね〜」
「OK!」
今や四人は店内の注目の的だった。志郎と総一朗は恥ずかしくて堪らなかったが、蒔菜と紗耶香はまるで気にしていなかった。二人は一見タイプの異なる女子たちだったが、結局、友達というのはなんだかんだ似た者同士がなるものなのだな、と、志郎は思った。
志郎はコーヒー、総一朗はココア、紗耶香はアップルティーをそれぞれ頼み、担当した店員が料金を提示した。総一朗が自分の分を支払い、残りは紗耶香の役目だ。会計後、まだ慣れていないその店員がそれでも丁寧にショーケースからそれぞれのケーキを皿の上に乗せ、飲み物もそれぞれプレートに置いた。店員が「ありがとうございます! ごゆっくりどうぞ」と笑顔で言い、総一朗が片方の手で蒔菜のケーキと昆布茶の乗ったプレートを持った。
「悪いね織部」
「いいよ、俺が一番バランス感覚いいし」
「だから運動バカなのよね。ほんと体育大に行けばいいのに」
「俺はミュージシャンになるんだ」
「はいはい。いつか夢が叶うときが」と、紗耶香は言いかけて、口籠った。「夢が叶うのはいいんだけどね、それはそうなんだけどね……」
やがて四人はテーブルを囲んだ。
「じゃ、いただきます」と、志郎。
「いただきま〜す」蒔菜。
「いただきまーす」総一朗。
「はい、いただきます〜」と紗耶香。
志郎は真っ先にファイヤーケーキに手をつけた。
「お、これは」
「吐くなよ」
「美味しい」
「マジで?」
「辛いっていうか、熱いね。痛いぐらいかも」
「ケーキの感想とは思えない」
唐辛子ケーキを美味しそうに食べる志郎を尻目に総一朗はモンブランを食べ始めた。「あ、美味〜い」
「でしょう。紹介した甲斐あったわ」
しばらく雑談をしながら四人はケーキを食べ、途中、志郎はさっき発見したカップルを見てみた。見てみたところで見るのをやめた。
「ん? どうしたの目ぇ伏せちゃって」
志郎の目の動きに気づいた三人が、志郎の視線の先を追ってみた。
「––––ヤバい。すごい修羅場なんだけど」
「修羅場とは限らないでしょ」
志郎の発言に紗耶香は唸った。
「いや、あの女の人すごいよなんか」
大学生ぐらいのそのカップルは、女が足を組み腕を組み、怒りの表情で男を見つめていた。男の方は膝の上で指を遊ばせていて彼女の様子などどうでもよさそうだった。傍目から見ていても一触即発だった。
「別れ話かな」
「あんまり見ない方がいいよ。デリケートな話をしてるのは間違いないんだから」
「でも事の顛末がすごい気になる」
近くのテーブルでひそひそ話をされていることに女の方が気づいた。
「ヤバいっ」と、紗耶香は食事に戻った。
女が大きな音を立てて椅子から立ち上がった。あまりにも大きな音だったため、店内の全員が一斉にそこを見た。
女は男を見下ろし、そして、言った。
「あんたなんかと出会わなきゃよかった」
店内に沈黙が走った。
その声は拒絶に満ちていた。
紗耶香は自分のそばをその女が何事もなく通り過ぎるまで気が気でなかった。なんといっても彼女のミーハー精神がそのカップルにとどめの一撃を喰らわせたのだし、もし何か文句を言われても紗耶香は文句が言えない。だが女は無言で、堂々とした態度で店の外を出て行き、紗耶香は心からホッとした。
「ヤバいよあの人。マジギレじゃん」
「あのさ真島さ、そういうのよくねえって」
「いやわかってるんだけど目が離せなくて」
「いやそれは俺もつい気になっちゃったんだけどさ」総一朗はココアを一口飲んだ。「猛省しなきゃ」
女が退店し、しばらくしたのち男の方も立ち上がった。なんだかぼうっとした男だった。眼鏡をかけていて、なかなかイケメンだったが、表情がそうとは思わせなかった。いろいろなことがどうでもいい、といった表情がそこにはあった。そう志郎が感じた次の瞬間、志郎とその男の目が合った。
(––––あ)
だが男の方は特に気にすることもなく、やがて、店を出て行った。
「なんかぼんやりした人だったね。疲れちゃったのかな」
蒔菜の発言に紗耶香は怪訝そうな顔をした。
「疲れたのは彼女の方じゃない? なんか頑張ったけどダメだった、みたいな感じしたけど」
「わたしもいつか恋にときめくときが来るのかしら」
「来るのかしら」と、総一郎はおちゃらけた。「花の高校生だっていうのにな〜」
「あんた旦那いるんだからいいじゃん」
「いやだからほんと、志郎とは付き合ってるんじゃないから」
「でも腐女子の子たちあの二人は絶対恋人同士だっていつも言ってるよ」
「女っ気がないだけだよ」
「山岡くんはともかく、あんたモテるじゃない」そこで紗耶香は志郎を見て少し慌てた。「いや、そういうことじゃなくて、山岡くんもなんだかんだモテてはいるけどさ、やっぱモテるっていったら織部の方がわかりやすいじゃない? だから山岡くんもいつか素敵な人が––––どしたの?」
志郎はぼんやりしていた。さっきの彼氏のようだ、と、紗耶香は思った。
「え?」
と、紗耶香の声かけに気づいて、志郎は、ああ、と、言った。
「いや、ちょっと修羅場に呑まれちゃって」
「メンタル弱いなあ。もっと楽しもうよ」
「いや楽しむことじゃ……」
メンタルが弱い。
志郎はファイヤーケーキを食べながら、さっきのカップルの彼氏の顔を思い出そうとしていた。うまく思い出せない。思い出せるのは「彼」のことばかりだった。
(ヨシくん……だった、ような……)
それは十年前のことだった。




