第四話 蘇る幻・1
「だからさ、俺はやっぱロックの原点はチャック・ベリーだと思うわけよ」
「うん」
「いや、俺はもちろんツェッペリンもレディオヘッドもドアーズもドリームシアターもさ、いろいろ好きなんだけどさ、でもやっぱ、なんだかんだチャック・ベリーなんだよ。そこからロックが始まった。ロックはロックじゃなくてロックンロールなんだよ」
「エルヴィスは?」
総一朗はちょっと悩んだ。
「いや、やっぱチャック・ベリーだな」
「ふむふむ」
「いや〜。とにもかくにもジョニー・B・グッドなんだよな。監獄ロックも捨てがたいんだけど」
そこで志郎はピアノでジョニー・B・グッドのイントロを軽く弾いてみた。
総一朗は左手にピックを持ったままぶきっちょなグッドサインを示した。
「そうなんだよなあ。そのリフがね、俺を支配している」総一朗は監獄ロックの前半を弾いた。「こっちもほんと捨てがたいんだけどな」
そのとき、ガラッと音楽室の扉が開いた。見るとそこに蒔菜と紗耶香がいた。
「おっす、頑張ってるねお二人さん」
「観客か?」と、総一朗はニカッと笑って期待した。
「今日はちょっと違う」と、紗耶香。
「なんだ」と、がっくりきた。
蒔菜が前に出た。
「山岡くん、ケーキとか好き?」
「ケーキ?」
志郎が怪訝そうな顔をして、蒔菜は話を続けた。
「うん。紗耶香が、こないだのお礼どうしてもしたいって言ってて」
「だってお礼ならもうしてもらったじゃない。ファミレスで」
「なんかあったの?」と、総一郎は興味津々。
志郎は答えた。「こないだ、真島さんが財布なくして、一緒に探して、そして見つけたの」
正確に言えば“なくした”のではなく“盗まれた”のだが、その話を志郎はしない。する必要がないからだ。
あれからもう二週間が経った。
“昼下がりの魔女”を名乗る少女・宮嶋千絵と血みどろの戦いを繰り広げ、そして、その死闘に志郎は負けた。いや、負けたというより、完全に遊ばれた、という印象を志郎は受けていた。彼女には何か目的があったようだが、それを志郎がわかることは今はない。そう、今はない。いずれ理解することになるのかもしれないが、少なくともそれは今ではない。志郎にわかるのはそれだけだった。
そして、志郎以外の全員が千絵の記憶を失っていた。それも千絵の説明通りなら失ったのではなく元に戻ったのだ。宮嶋千絵などという生徒は篠沢高校に在籍していなかった––––いや、それをいうなら、そもそもこの世界にそんな人間がいたかどうかも定かではない。とにかく総一郎も蒔菜も紗耶香も、千絵に関する記憶などまるで存在していなかった。それが現在の全てだった。
そして志郎がこの二週間どう過ごしていたかというと、特に変化のない二週間だった。
総一朗との愉快な日常、とぼけた蒔菜にミーハーな紗耶香。智子は相変わらずハイテンションで志郎に大量の食事を用意してくれるし、汐理の授業ももちろん変わらず続いていた。
勉強の毎日、部活の毎日、仕事の毎日、そして余暇。それが志郎の日常だった。その日常が崩壊してなどいない。
何も変わらない日々がそこにあった。ただ先日の猟奇的殺人事件だけが現実だった。まだ二週間しか経っていないし連日メディアはそのニュースでもちきりだった。しかし、真犯人が逮捕されることは、ない。校内では噂が噂を呼んでいたが、しかし大半の生徒たちから事件の印象は確実に薄くなっていた。実際薄くなるはずなのだ。みんなやることがある。そう、みんな忙しくて今や都市伝説と化した出来事にいちいち構っていられないのだ。何より被害者を知っている生徒がほとんどいないのも重要だった。一部の生徒たちは哀しみ続け、一部の生徒たちは篠沢高校七不思議を追いかけ続け、そして大半の生徒たちは何事もなかったかのように勉強や部活、恋や遊びに元通り熱中し始めていた。志郎は思う。結局、こんなものなのだ、と。
千絵のことを思い出す度に、もしかしたら全ては幻覚だったのではないかと何度も何度も志郎はそう思った。だが、千絵との繋がりである先っぽのないスプーンが、これが現実であるということを志郎に告げていた。このスプーンを処分することは、志郎にはなんだかできなかった。これこそが彼女が存在していたという証明。そう思うと、自分の精神衛生上どうしても捨てることはできなかった。
しかし……あるいは、このスプーンも幻覚体験の産物なのかもしれない。全ては幻覚で志郎の妄想なのかもしれない。
あるいは––––志郎の病気の症状なのかもしれない。
「でも、あれからもう二週間とか経ってるよ。お礼にしてはずいぶんタイミングがおかしいなって」
何気なく訊ねた志郎に、紗耶香が待ってましたとばかりに満面の笑みを見せた。
「最近、学校の近くにケーキ屋さんができたのね。ほんと最近。ほら、知ってるかな。しばらく工事してたとこ。わかる?」
「ああ、あれ、ケーキ屋さんになったんだ」
「中が軽く喫茶店みたいになってて、買ったケーキそこですぐ食べれるの。それで、あたしたち行くに決まってるじゃない? で行ってみたらマジ美味しかったから、それじゃせっかくだから山岡くんに改めてお礼しようかなって。ファミレスでお礼っていうのも、な〜んかパッとしないかなーって」
「うーん……」
と、志郎がちょっと考え込んだのを見て、紗耶香はすぐさま反応した。
「甘くないケーキもあるよ」
志郎は甘いものが苦手だったのだ。
「ケーキが甘くないの?」
「野菜のケーキとか、あとなんか真っ赤なケーキがあってね」
「真っ赤。ほう」と、志郎はちょっと興味を示した。「それは気になるな」
「唐辛子のケーキだって」
げえ、と、舌を出した総一朗とは逆に、志郎は目を輝かせた。
「へえ。それは食べてみたいな」
「マジか。志郎の辛党はどこまでいくんだ」と、こちらは甘党の総一朗は呆れ顔で言った。「唐辛子のケーキってそれってケーキなのか……?」
「とにかくいろんなケーキがあるのよ。苺ショートとかチョコとかチーズケーキとかメジャーなのもあるけど、店長さんの趣味なのかな、変なケーキがいっぱいあるんだよね。それであたしたち四つずつ食べたんだけどどれもこれもすっごい美味しかったの」
「四つも食べたの? それはすごいな」
「太るぜ」
「うっさい、まだ若いからいいの」しかし紗耶香はこの質問が来ることも予期していたようだった。「低カロリー低コレステロールのニンジンケーキがすごかった。それでいてボリューミーで」
そこで志郎は、どうしようか、と、逡巡した。その逡巡は、がっついてしまったら下品なのではないか、という心の表れだった。だが彼は真っ赤な唐辛子ケーキに興味津々で、その心の動きを見抜いていた蒔菜はにやにやしていた。
「山岡くん、ほんと辛いの好きだよね」
「いや、そんな」しかし期待は止まらない。
「じゃ、今から行かない?」と、紗耶香は言った。「部活の邪魔して悪いんだけど」
「じゃあご馳走になろうかな」
「俺は?」
「あんたは自腹」
「だよな」と、総一朗は両手を広げて“オー・ノー”とポーズをした。「でも、ついてってもいいんだろ? 俺もケーキ食べたい」
「いいよ〜。じゃ、行こ行こ! 混んでるだろうけどそしたらテイクアウトでいいしね」
そうして、四人は音楽室を出て行った。
––––そう、これが志郎の日常だった。これこそが志郎にとっての平和な日常だった。
この日常を志郎は守らなければならない。
それを邪魔する者が、何者であろうと。




