第三話 蒼春・2
可能性の話として、ある意味予想通りだった。
「やあ、山岡くん。なかなか走ったね」
正面玄関から外に出ると、そこに千絵がいた。いつの間にか包帯の解かれた左手をひらひらさせて微笑んでいた。
千絵はもしかしたら外にいるかもしれない、と、志郎は考えていた。空を飛ぶとか瞬間移動とかいったことぐらい彼女にはできそうだと思っていたのだ。
「逃げようとしてた?」
「いや。逃げ場はなさそうだと思った」
「そうだね。人は前に進んでいかなきゃ」
志郎はポケットからボールペンを取り出した。少し意識を集中させ、するとボールペンを軸に志郎の右手に刀のように赤い光が伸びた。そうすることが精神エネルギーの具現化に必要なわけではない。ただ、イメージを表現するのに道具があった方が負担が減るというだけだった。
なぜ志郎は外に出たのか。建物の中であろうと外であろうと危機に変わりはない。ただ、少なくとも外の方が遮蔽物がない分、比較的自由には動ける。そして、校内を走り続ける中、ひとつ着想を得ていた。
「とりあえず校内で戦うわけにはいかないからね」
「あ、戦うんだ?」
「その前に聞きたい」
「なに?」
「誰もいないのは、どうして」
見ればさっきまで校庭でサッカーの試合をしていた生徒たちも消滅していた。総一朗もいない。財布を探していた蒔菜も紗耶香もどこにもいない。音のない空間がそこにあった。
ああ、と、千絵はうなずいた。
「ちょっと空間を移動したの。そうだな、パラレルワールドとはちょっと違うかもなんだけど、次元のコピーというか。わかる?」
志郎は頭を猛スピードで回転させた。
「だから誰もいない?」
「そう、理解が早いね」
「それならよかった」
「何が?」
「外に出て正解だった」
志郎は刀と化した赤い光を構え、そこから弾丸のように千絵に光の塊をいくつも飛ばした。
千絵は黒い光の壁を張った。赤い光は消滅する。そのとき、志郎の全身にまた痛みが走った。
「––––!」
「山岡くんの攻撃は、そうだな。反撃されたら自分にダメージが来るっていうか」
「……」
「まあ、そんな感じの力みたいだね」
何重にも張った防御壁を彼女が破壊することで志郎にダメージがいった、ということだと志郎は即座に理解した。
「君みたいに怪我はしてないようだけど」
「ああ、あれはちょっと気づきを得てもらおうと思って。ヒントにならなかったっぽいけど」左手をひらひらさせた。「別に怪我をしてたわけじゃないよ。それに保険証もないし病院にはちょっと行けないかな」
「日常生活を送るのは大変そうだね」
「うーん。別に食べたり寝たりする必要のない存在っていうのかな。自分語りじゃないけど、でもまあ、そんなに大変じゃないよ」
「君は、人間?」
「そう思うけど。でも、人間の証明も考えてみればちょっと難しいよね。例えば、山岡くんだって超能力を持ってるから人間じゃない、っていう言い方もできるわけだし」
志郎は千絵を睨みつけた。
「自分が言うのはいいけど他人に同じこと言われるのは嫌っていうのはちょっと性格悪くない?」
不満を呈している割には千絵はにこにこしている。そこで、あ、と、千絵は口を開いた。
「忘れてた。これ」
と、千絵は志郎に何かを投げつけた。志郎は直接キャッチしなかった。いったん地面に落とし、それを念動力で眼前に浮かび上がらせた。それは財布だった。
「真島さんのお財布」
「君が盗ったの?」
「人聞きが悪いな。ちょっと借りてただけ。山岡くんとは今日中に会わなきゃいけなかったから」
千絵を直視しながら財布をポケットに入れ、志郎は訊ねた。
「どうして」
「割といろいろ大変だったんだよね。目覚まし時計止めたり、自転車の鍵の認識の阻害したりとか。地味に工作してたんだから」
「––––なんだって?」
「山岡くん、真面目だからもっと不思議がると思ったけど、結構あっさり流しちゃったみたいだね」
「記憶だけじゃなく」志郎は戦慄を覚えた。「この数日間、君が、僕らの生活をコントロールしていた––––? 総ちゃんが事故りそうになったあのときも––––」
千絵は慌てて言った。「一応言っておくけど、プライバシーの侵害というようなことはしてないつもりだからそこは安心してね。私だって思春期真っ只中なんだから」
そこで千絵は三日月を見上げた。
「そうだな……」千絵はちょっと考えた。そこには志郎を少しでも安心させたいという優しさがあった。「コントロールっていうけど、別にそれが神様であろうと新興宗教であろうと、社会通念であろうと常識的習慣であろうと同じだと思うよ。誰かが決めた何かに従ってるっていう点では。社会で生きてる以上、洗脳されてない人間なんていないもの。洗脳されてる人は自分が洗脳されてるなんて思わない、でしょ? 人間に自由意志なんてほとんどなくて、ただその場にたまたま流れてる流れに流されて適当に人生を決めているのが、人間だと思うんだよね。現に、山岡くんもそんなに不思議がらなかった」
「君が神様だって?」
「まさか。ただ、山岡くんのある流れにちょっと手を加えただけ。別に君の運命を支配してるとか、そこまでの凄まじさじゃないんだよね。一時的なことだよ」
「充分凄まじいと思うよ」
「褒めてるのかな?」
千絵はくすくす笑った。
「でも大切なことは、その自由意志のない世界で、それでも自分の意志を持とうとすること。そう。それが神様に仕組まれたことだろうと、統合失調症の妄想だろうと、その中でうまくやっていくしかないってことなんだよね」
志郎は固まった。
「ちょっと話が横道に逸れちゃった」千絵は志郎の様子など気にせず説明を続けた。「ほんとは新学期が来る前に片づけたかったんだけど、ちょっと邪魔が入っちゃって」左腕をさすった。「それでこんなに遅くなっちゃった。でも、おかげで山岡くんたちと一緒に過ごせたからよかったけどね」
「……誰かと戦った?」
「そう。あ、でも個人情報は秘密にしなきゃ」人差し指で唇を隠した。「そうだね。ここで君が生き残ったら、その人と会うことはあると思うよ。ていうか、うん、あるある」
「ぜひお会いしたいな」
千絵はにっこり笑った。
「ご覚悟」
次の瞬間、千絵は志郎の背後にいた。振り返ることなく志郎は背中から光を放つ。千絵の吐息が聞こえた。彼女にダメージを与えたことを確認したのち、志郎は左手を軽く振ってまた結界を何重にも張った。そして振り返る。見ると千絵はいなかった。
どこにもいなかった。
「……宮嶋さん?」
「目的は達成するつもりだけど、でもちょっと遊んでみたいかな」
どこからか声が聞こえる。いや、それは“声”ではなかった。物理的な音波ではない。精神感応。そう気づいて志郎は呼応した。
「遊ぶ?」声を出した。
「力試しっていうのかな。君がどこまでできるのか試してみたい」
「なぜそんな手間を?」
「ときどき理屈に合わないことをするのが思春期なんだよ」また、くすくす笑った。「別にやろうと思えばすぐやれるんだけど」
志郎はドーム型に結界を張った。
赤い光は透明度が高い。志郎は全センサーを働かせている。これで彼女がどこから攻撃してきても対応できる。もちろん、千絵の攻撃によって志郎はダメージを喰らうが、それは諦めていた。とにかく自分は彼女の正体を何も知らないし、彼女がどのように自分を攻撃してくるのかなどまるで想像もつかなかった。いまは防御に徹するべきだった。どこかに勝機はあるはずだった。少なくともいま、千絵は油断している。
「……」
志郎は意識を集中させる。彼女を発見しなければならない。精神感応能力を持たない志郎だが、彼女に呼応できるぐらいだから、それは容易なはずだった。この作業は残留思念感応能力の発動のときに似ている。精神そのものと残留思念では性質がかなり違うが、それでも志郎が日頃から何気なく使っていた技術が役に立ちそうだった。
しかし、志郎のセンサーで千絵を発見することはできなかった。
「……どこだ?」
「こっち」と、“声”がする。「校舎の中」
明らかに罠だった。
しかし、ためらいなく志郎は校内に向かっていく。ドーム型の結界を維持しながら志郎は歩く。
「虎穴に入らずんば」ここで獲得する虎は、彼女を抹殺することを意味している。




