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第三話 蒼春・1

「いい月だね。まるで死神の鎌みたい」

 千絵は夜空の三日月を見ながらくすくす笑った。

「それどころじゃないか」

 驚愕の中、志郎は口を開く。

「宮嶋……さん……?」

 ふふ、と、千絵は笑う。

「なかなかびっくりしてるね」

 翼の生えた黒猫たちが、千絵の周囲を旋回している。彼女は手を後ろに組んで、志郎の反応を面白がるように彼を見つめていた。

「まさか、君が」この言葉を発することが、とてつもなくファンタジーなことに思えた。志郎は言った。「昼下がりの魔女––––?」

「そうだよ。そしてちなみに不審死多発事件の犯人も私」

「なぜ……」

「あの子、ちょっと情緒不安定なときに万引きしちゃったんだって。それで現場を目撃されたかもしれないってことで私を呼んだの。乱暴だよね。見られたかどうかなんてわからないのに七人も殺して」

「殺したのは、君だろ––––?」

 千絵は微笑んだ。「それ、あの子にも言われたんだけど、でもどうなんだろう。こういう場合、やっぱり罪が重いのは実行犯の方なのかな。法律には詳しくないんだけどちょっと疑問を感じるな。山岡くんは法学には詳しかったりするのかな?」

「君が……人を……」

「意外そうだね。君の思い出の中の私ってなかなかおとなしい子なのかな」

「––––?」

 何を言っているのかわからなかった。

 千絵は続ける。

「それとも、新学期が始まってからの私の印象が穏やかな子であるってことかな?」

「何を言って?」

「山岡くんと一緒に過ごしたのは今日も入れて三日だけだからね」

 驚愕、そして困惑。何を発言すべきなのかわからず、志郎はただただ千絵の説明を待った。

「詳しく聞きたい?」

 反応をちょっと待ったが、相変わらず震えている志郎を微笑みながら眺め、千絵は説明した。

「私がこの街に来たのは三月からで、山岡くんたちの記憶にちょっと手を入れさせてもらったの。二年間同じクラスで、学級委員の相方をずっとしてた、みたいな。だから君と私はほとんど初対面。もっとも全面的に操作してるわけじゃないんだけどね。そこまではできないから。小説家には向かないかも」

 またもくすくす笑う。

「ある程度のベースをもとに、それぞれがそれぞれに組み立てるって感じかな。だから細かく分析すれば私の印象って人によってだいぶ違うと思うよ。でもそうだね、それを言うなら通常の人間関係でも同じことではあるんだけどね。飯沢さんの中の山岡くんと、真島さんにとっての山岡くんはたぶん全然違う人間なわけで」

「……」

「まあまあ、ちょっと落ち着いて」

 にっこり笑い、千絵は黒猫の一匹に目をやった。志郎の元へ“それ”がやってくる。

 瞬間、志郎は赤い光を飛ばし、直撃させる。黒猫は地面に落ち、瞬く間もなく消滅した。

 千絵が片目を強く閉じた。

「乱暴だなあ。仲良くしてあげてほしいな」

 そんな千絵を冷静に観察しながら、志郎は重い口を開いた。

「……君の目的は?」

「うーん、なんていうか、やっぱり山岡くんは意志が強い感じだね。なんというか、こう、こんな状況でもちゃんと自分を保とうとしてるんだもの」

「八人も殺すなんて」

「やっぱり、そう思う?」

「殺人が趣味だからってわけではないんだろ?」

「もちろん。私の目的は––––」

 天使のような微笑みを浮かべながら、千絵ははっきりと言った。

「君に、死んでもらおうと思って」

 条件反射だった。千絵が志郎を直視したと思ったら彼女から黒い光が放たれ、まるで無数の刃のように志郎に襲いかかったのを、志郎は目の前に結界を張って防御した。

 志郎は屋上から出た。

 千絵は笑う。

「さすがだね。山岡志郎くん」


 走りながら、志郎は右手を何度も振って赤い壁の結界を何重にも防御壁のように張った。

 時間稼ぎにはなる。そして、時間稼ぎになるのは短時間の観察の結果明らかだと志郎には確信があった。

 志郎の攻撃は千絵に影響を与えているはずだった。先ほどの黒猫を倒したときの千絵の反応は明らかに彼女にダメージを与えたことを示していた。そもそも千絵にもし万能の力があるのなら結界を無視して志郎を倒すことは容易なはずだった。自分は彼女と戦える。自分の能力は彼女に影響を与えることができる。だから彼女を倒すことも可能なはずだった。

 しかし––––それでも志郎には迷いがあった。この二年間の思い出が全て偽りだったなどと、とても信じられない。同じクラスになって一緒に学級委員に選ばれたとき。共に受けた授業。課外活動。文化祭。体育祭。いつも志郎のサポートをしてくれた心強い相棒。ふらりと音楽室に現れ度々自分のピアノを聴いてくれた女の子。おとなしくいつも微笑みを浮かべている千絵の印象はあまりにも強烈だった。それが全て偽りだっただなんて信じられない。どれが本当でどれが嘘か、確認するように様々な思い出が走馬灯のように志郎の頭に蘇ってきた。走馬灯のように。

 ……死ぬわけにはいかない。

 ひたすら防御壁を張りながら志郎は階下に降りていく。そこで、志郎は何かがおかしい、と、気づいた。

 誰もいない。

 廊下を走る。教室の明かりは付いたままで、教科書やノート、食べかけのお菓子などが机の上にそのままに、さっきまでいた生徒たちが全員いなくなっていた。校内はまるで伝説の幽霊船のように、突然人間たちが消滅していたのだ。

 まさか、千絵が––––。

 わからない。何もわからない。ただわかるのは、千絵が志郎にとってのとんでもない脅威であるということだった。千絵が何かをしたということだった。もし、最悪、千絵が校内にいた人間たちを消滅させたのだとしたら。そう、“殺した”のだとしたら。

 そのとき、志郎は全身に痛みを覚えた。

「⁉︎」

 よろけそうになり、それでも志郎は根性で走り続けた。何だ? 何が起こった? 自分でもこの痛みが何なのかわからない。わかるのは––––。

 千絵が、何かを、している。

 志郎はとにかく校舎の外に出ようと思い、校内を走り続けた。逃げなければならない。とにかく逃げなければならない。––––どこに? 警察にでも行くというのか? そんな次元ではない。ではどこへ?

「やらなきゃやられる」

 階段を降りながら、廊下を走りながら、志郎は決意した。

 自分は、千絵を抹殺しなければならない。

 校内に人がいない謎。それを解き明かし、全てを元通りにしなければならない。志郎の日常を取り戻さなければならない。こんなSFめいたファンタジーめいた出来事から早く解放され、元の総一朗や蒔菜たちと過ごすのんびりした日々を取り戻さなければならない。そのために、自分は千絵を倒さなければならない。

 もし、自分の特殊能力がそれを達成できるなら、そのためにこの力は自分に備わっているのだと志郎は思った。しかし一方で、これが「飛び出てしまった者」の運命で、自分のせいで周囲を巻き込んでいる、とも思った。

 わからない。卵が先か鶏が先か。それでも志郎の決意は揺るがなかった。

 世界が、どのように作られていようと、いま、自分がしなければならないこと。

 千絵を殺す。

 そのために、自分の力をどのように使えばいいか、走りながら志郎は考え続けた。

 外はもう真っ暗だった。

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