不思議な人
人からもらったという全身を映し出す鏡に自分の姿を映し出していた。肩より少ししたのラインで切りそろえられた髪の毛はまっすぐ床を向き、前髪も目立ってへんなところはない。それでも何かおかしいところがあるのではないかと穴が開くほど鏡を凝視していた。
「大丈夫かな」
携帯を確認すると時刻は三分前になっていた。足元にある鞄を空いていた左手でつかむと、携帯を放り込む。鞄を右手に持ちかえると、ドアノブを捻り、リビングに行く。母親に声をかけ、玄関まで行く。扉を開ける前に、一度こぶしを胸に当て、深呼吸をする。
胸がいつもでは考えられないほど高鳴っていた。勇気を出し、その冷たい感触を確かめるようにノブを握る。ドアを開けると、生暖かい風と共に背丈の高い男の人の姿が目に飛び込んでくる。
彼はこちらを向くことなく、わたしに背を向ける形で手すりの向こう側を見つめていた。足を家の外に踏み出し、ドアをゆっくりしめると、背中を向けていた彼が肩越しにこちらを見る。ドアの開く音が聞こえたんだろう。
「おはよう」
「おはようございます」
西原さんの足元しか見えなくなるように深く頭を下げていた。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫だよ」
彼の優しい言葉に促され、その姿を確認すると、困ったような笑顔を浮かべていた。彼の笑顔は人の心を落ち着けるような穏やかさがある。
「昨日、無事に学校についてよかったね。でも、受験のときは大丈夫だったの?」
「受験のときや合格者説明会のときは前住んでいた場所からだったから、駅を降りたらそれっぽい人がいて、ついていったら学校に着いたから大丈夫かなって思ったんです」
一応、地図も用意していたわけだが、母親が持ってくるのを忘れていたということは言い訳がましく言いたくなかったのだ。
「駅からだったら人が多いからね。早く道を覚えないとね」
彼は軽い足取りでわたしを先導するように歩き出した。その横切ったとき、彼の肩のラインに自分の顔があることを確認し、彼は大人の人なのだということを強く感じさせたのだ。
エレベーターのところに行くと、エレベーターは幸い、このフロアで止まっていた。彼がボタンを押すと、鈍い音を上げながらエレベーターの扉が開く。目線でわたしに先に入るように促していた。
一足先に中に入ると、内側からボタンを押す。そして、西原さんが中に入るのを確認し、手を離すと一階のボタンを押し、扉を閉めた。すぐに二人きりになる。
彼はそんなことにも動揺した様子もなく、目で一つずつ左にずれるランプを目で追っていたのだ。たいしたことではないのに、彼が言葉を交わしたり、一つずつの動きが彼が大人だという印象をわたしに与えていた。
マンションを出ると学校に行くことにした。辺りにはスーツを着た男性は見慣れない制服を着た学生らしき生徒の姿がちらほらといた。
わたしと彼は特に言葉を交わすことなく並んで歩くが、彼は涼しい顔をしていて、わたしのことなど気に留めていないように見えた。
「分からないことがあったら、何でも聞いてくれてかまわないから」
「ありがとうございます」
辺りは少しずつ騒がしくなってきて、同じ制服をきた生徒をちらほらと目にするようになった。
人の視線を感じ、辺りを見渡すが、誰とも目が合うことはなかった。
「おはよう」
明るく弾んだ声がすぐ傍から聞こえ、背丈の高い男性が西原先輩の肩を軽くたたいていた。さらりと流れるような髪にほっそりとした顎のライン、すっと直線を描いている通った鼻筋。だが、どこかアンバランスさを感じる大きな目と、女の子顔負けの長い睫毛がどこかかっこよさではなく愛らしさや美しさをかもし出す。
「お前は朝から元気だな」
西原さんは苦笑いを浮かべていた。
「朝くらいは元気じゃないとね。ばっちり睡眠をとってきたし」
ビー玉のような目が横にそれ、そこにわたしが映る。その目の透明感のある輝きに物陰に隠れたくなってまっていた。
彼の目が西原先輩を見つめ、ほっと胸をなでおろす。
「知り合い?」
「隣の家の人。学校までの道が分からないから一緒に行っているだけ」
彼はあのマンションか、と相槌を打つ。
再び澄んだ瞳がわたしを捉えた。
「名前は?」
「安岡真由です」
彼は笑顔でよろしくと軽い調子で言う。
彼の顔立ちは整っているのにあまりに中性的で男性という印象を強くは受けない。
苦笑いを浮かべる西原さんに違和感を覚えたが、何に違和感を覚えているのか具体的には分からなかった。
そのとき、わたしの傍で足音が止まった。
「真由?」
すっと和やかな声が心に届く。振り返ると細やかな髪の毛を二つに結った咲の姿があった。
可愛い子はどんな髪型をしていても可愛いんだと思わず顔がにやけそうになる。
「おはよう」
彼女は笑顔で言葉を返すと、わたしの隣にいる西原さんと、その友達を見つめていた。不思議そうな顔をしている友達と、いつもと変わらない平然とした西原さんとは対照的に咲は顔を赤くし、わたしの背後に隠れていた。
昨日と同じ反応の彼女に感じるものはあった。男の人が苦手なのかもしれない。
西原さんの友達はその咲との距離を一方的に縮めてくると、咲に対して笑いかける。咲の顔が余計に赤くなっていた。
「この子は真由ちゃんの友達?」
ちゃんづけで呼ばれたことに戸惑いながらも不思議と嫌ではなかった。厭らしさも全く感じない。
「友達の前原咲さんです」
「そっか。俺の名前はまだ言ってなかったよね。俺は依田賢って言うんだ。よろしくね」
そう言うと、彼は笑顔を浮べている。
咲はどう反応していいのか分からなかったのか、戸惑った表情で依田先輩を見ていた。
「体調でも悪い?」
咲が無反応だったことに戸惑ったのか、依田先輩はそう彼女に問いかけていた。
心配そうな先輩とは対照的に、彼女は明らかに動揺し、わずかにだが瞳がうるんでいる。
咲が心配になり、わたしが二人の間にわって入ろうとしたとき、凛とした声が響いていた。
「朝っぱらから何をやっているのよ」
咲のすぐ後ろに見慣れない、一目で綺麗な髪をしていると分かるほど、艶のある髪をした人が立っていたのだ。その髪は肩より少し下のラインで整えられている。可愛いという印象を第一にもった咲とは違い、綺麗な人だと思った。背丈も西原さんや依田先輩ほどではないが、わたしより頭半分ほど背が高い。だが、初対面のはずなのに、どこかで見たことあるような既見感があった。何年なんだろう。西原先輩と同じ学年だろうかと思ったとき、あからさまに依田先輩が顔を引きつらせる。
「熱がありそうだったから声をかけただけだって」
その人は鋭い眼差しを依田さんに向けている。彼女は腰に手を当てると、ため息を吐く。
「どうだか。すぐに人になれなれしく声をかけるし。だからこんなやつと一緒の学校に行くのは嫌だったのよね」
「お前が後から追いかけてきたようなものなのに、何を言っているんだよ」
何か言い争いのようになり戸惑っているわたしと咲とは違い、西原さんは戸惑った様子もなく肩をすくめていた。
彼女はその問いかけには答えずに、わたしと咲を見た。その鋭い視線に背中が自然に伸びてしまう。
「こんな人、放っておいていいから。行きましょう」
「行くって」
彼女は艶のある髪の毛をかきあげていた。
「ごめんね。分からないか。わたしは依田愛理。あなたたちと同じクラスなんだ」
彼女の名前を聞いたところで、わたしの思考回路は一時停止していた。彼女をどこかで見たことがあると思ったのは少し前に見た彼にどことなく似ていたからだったのだ。




