二人きりの帰り道
どんなものかと期待をしていた入学式はありきたりの内容をすませあっさりと終わった。学校もほぼそれだけで終わり、わたしは前原さんと一緒に教室を出た。
昇降口で革靴に履き替えると、暖かい日差しが一気に降り注ぐ。そのひかりの帯に包まれながら、初日の緊張感から開放されたような気分だった。
少し前を歩いていた前原さんの脚が止まる。彼女はわたしと目が合うと、優しく微笑んでいた。その笑顔を見て、ありきたりでなかったことを一つだけ思い出す。
それは彼女と一緒にいると視線を集まるのを感じることだった。
もっとも見られているのはわたしではないので、気軽といえば気軽だった。涼しい表情をしている彼女にとって人から注目を浴びることはたいして珍しくないのかもしれない。
「前原さんはどこに住んでいるの?」
「咲でいいよ。だからわたしも真由って呼んでいい?」
入学初日に壁を取っ払うようなことが言われ、心が緩む。彼女の言葉に何度も頷いていた。
併せて、彼女は自分の住んでいる場所を教えてくれたが、住所や目印を聞いてもぴんとこなかった。この前引っ越してきたばかりだというと、彼女は目を細め、小さな指を空に向かって指す。その方向はわたしがやってきた方向とは別方向のような気がした。
「あっちのほう」
「わたしの家は」
背丈の高いマンションを探そうとしたが、さすがに距離が離れすぎているのか空に伸びるものを見つけ出すことができなかった。彼女が知っているのか不思議に思いながらも、自分の住んでいるマンションの名前を告げると、咲は大まかな場所の見当がついたのかうなずいていた。
「逆方向だね」
「そうなんだ」
折角できた友達なので、家も近かったらと思ったが、そんなわけにもいかないみたいだ。残念な気持ちを抱きながら、門に向かいかけたとき、目の前を桜の花びらが目の前をじぐざぐを描き舞っていた。だが、わたしはその先にある姿に釘付けになっていた。
西原さんだ。
彼は朝と同じように穏やかな笑顔を浮かべ、友達なのか体つきのがっしりとした男の人と話していた。
その会話が突然止まり、その視線がわたしに向けられる。
そんな当たり前のことにただ、どきっとして、胸を高鳴らせていた。
彼はわたしに声をかけると、また顔を崩して笑い、肩をすくめていた。友達らしき人に肩を叩かれると、わたしのところまでやってきた。だが、彼はわたしに話しかける前に咲をちらっと見ていた。咲が一瞬、驚いたように体をびくっと震わせていた。
「友達と一緒なら帰りは大丈夫、かな?」
「あの」
彼の言葉にどう返していいのか分からなかった。家が近いなら大丈夫と言えるが、咲の話だとそういうわけでもないようだった。彼女を見ると、魂を抜かれたように西原さんを見ていた。その気持ちは分からなくもない。彼はやっぱりかっこいいと思ってしまうからだ。
「大丈夫?」
西原さんはボーっとしている咲を心配になったのか、顔を覗きこんでいた。
咲は体を震わせると、頷いていた。
「すみません。わたしはここで。真由とは方向が逆なので。また、明日ね」
彼女はわたしと西原さんに頭を下げると、その場を足早に去っていく。彼女の姿があっという間に門の向こうに消えていく。
「余計なことをしちゃったかな」
西原さんは困ったように咲の帰っていく方角を見ていた。
わたしには普通に話しかけてくれる咲が西原さんにあそこまで動揺していたのに戸惑いながらも返事をする。同時に心にわいた疑問を問いかけることにした。
「逆らしいので、そんなことないですよ。待っていてくれたんですか?」
「明日からは一人で来ないといけないから、正しい道を教えておこうかなと思ってさ」
無事に学校に来れて終わりではなかったことに気付き、顔が赤くなるのが分かった。迷ったことが恥ずかしかっただけではない。彼がそこまで気を遣ってくれていることがうれしかったからだ。
「本当にごめんなさい。お願いします」
深く頭を下げ、帰ろうとしたときにマイペースな人のことを思い出した。
わたしが問いかける前に彼は思い出したように言葉を続ける。
そんなわたしの気持ちに気づいたのか、西原さんは思い出したように言葉を続ける。
「君のお母さんとさっき会ったけど、タクシーで帰るからって言っていたよ。一応、タクシー代を預かったんだけど、明日からのことを考えるとそういうわけにはいかないなと思ってさ」
西原さんは千円札を三枚取り出して、渡してくれた。親子そろって迷惑をかけてしまったことが申し訳なかった。謝ると、気にしなくていいと言ってくれた。
一緒に帰るのは朝や昨日の延長だとばかり思っていた。だが、心臓は短距離を全速力で走ったほど急激に激しく高鳴り、隣で並んでいる彼に聞こえてしまうのではないかと思ってしまうほどだった。
だが、彼の表情に緊張の色は微塵も見えない。
「学校はどう?」
突然話しかけられ、体がびくっと反応した。その反応に西原さんも目を丸めていたが、それ以上に反応したわたしが驚いていた。さすがに緊張しすぎだと自分に思う。だが、何か返事をしないといけないと我に返り、思いつく言葉を並べた。
「あのまだ初日なのでよく分かりません」
口にして、もっと気の利いたことを言えばよかったと後悔していた。
だが、彼はそんな返事に嫌な顔一つしなかった。
「そうだよね。で、ここの道を曲がれば、交差点があるだろう?」
彼は歩きながらこの前と同様に丁寧に説明してくれていた。
なんとか好意に応えたくて、彼が教えてくれた道筋を必死に頭の中に入れようと辺りを見る。そこはコンビニがあり、その前にはポストがった。交差点を渡ると、今度は右手に曲がる。そこをまっすぐ行くと、見慣れたマンションを見つけた。朝の迷路みたいな道とは程遠く、あっさりと家に到着した。
彼にお礼を言おうとしたが、彼はさっと建物の中に入ってしまった。わたしは少し遅れる形でマンションの中に入ってしまった彼の後を追う。
彼はエレベーターに直行すると、茶色のボタンを軽く弾く。すぐに緑色のランプがともり、その上に記されていた番号が一つずつ減っていく。
「どう? 分かる?」
そのときうなり声が静かなエントランスに響き、エレベーターが開く。わたし達はそれに乗り込む。彼がボタンを押すと、すぐに一度大きく揺れ、動き出した。
「多分、分かると思います」
キーとなるところはすぐに思い描ける。それでも自分の方向感覚に自信のないので内心は少し不安だった。だが、教えてくれたのに分からないとも言えない。
「この辺りは君が住んでいたところに比べると分かりにくいからね」
「どうしてそのことを?」
「君のお母さんが引越しの挨拶に来たときに聞いた。あのあたりは人が多いからね」
その言葉に納得する。
彼は少し考えた素振りをし、口を開く。
「もし、迷惑じゃなかったら明日も一緒に行こうか。何か今日の様子を見ていると、不安なんだよね」
一緒に行く?
その言葉に反応して、思わず西原さんを見ていた。
「もしよかったらだけど」
「行きます」
エレベータ内に響きわたる機械音などあっという間に打ち消してしまいそうなほど、元気な声で反応をしていた。彼はそんなわたしを見て、目を細める。待ち合わせ時刻を決めたとき、エレベータが五階に到着した。エレベーターの扉が開くのを待ち、五階のフロアで降りる。
家の前まで一緒に帰ると、それぞれの家に入ることになった。
母親の姿はリビングにある。彼女は慣れた包丁さばきで、まな板をリズミカルに叩く。わたしは彼女に声をかけ、お金を返すと、自分の部屋に戻ることにした。
鞄を置き、床に座り込む。壁を越えれば彼が住んでいる。向こうからわたしの部屋が見えるわけでもないのに、なんだか恥ずかしかった。
それでも気持ちを持ち直し、白のワンピースに着替える。そのとき、手を洗い忘れていたことを思い出し、また部屋の外に出た。
リビングを出て、浴室に行くと、手を洗い鏡を覗き込む。少し前髪がぐしゃぐしゃになっているのに気付き、指先で髪の毛を整え、リビングに戻る。
そのとき母親に少し聞いてみることにした。
「西原さんのお母さんってどんな人なの?」
不思議と彼の家から出てくる人を目にしたことはない。わたしがあまり出歩くのが好きでないからかもしれない。だから、たまに買い物に行っている母親なら会ったことがあるのではないかと思ったのだ。
「まだ会ったことないわね。今、実家に戻っているらしくて、ここ二週間はお父さんと二人暮しらしいわ」
「そうなの?」
「と、西原さんから聞いた」
帰省というとお盆前後やお正月前後をイメージするだけに意外な気がしたが、あまり人の家のことを詮索するのは好ましくないことだけは分かったので、考えるのはやめた。
わたしは部屋に戻ると、なんとなくベランダに出て、左手に目を滑らせる。
わたしの家からは裕樹とわたしの部屋、リビングからそれぞれベランダに出ることができ、ベランダの外でつながっている。向かって右手に行けば裕樹の部屋やリビングに行ける。左手には石造りの敷居があり、身を乗り出さないと隣を見ることができないベランダがある。
その先に彼の部屋があって。
これから、ここで過ごす日々の中で、彼のことをもっと知ることができるのかな。
そう考えるとおのずと表情を綻ばせていた。




