些細なこと
そんなわたしの気持ちに気づいたのか、彼女は腰に手を当てるとため息を吐いていた。
「そう兄よ。恥ずかしいから黙っていてね」
「恥ずかしいってお前。昔はあんなにお兄ちゃんと懐いていたのに」
そんなことで軽いやりとりをはじめてしまった。愛理が大人びた顔立ちをしているからか、彼女が姉と言われても疑いなく受け入れられる気がした。
そのとき、西原先輩がわたしにそっと話しかけた。
「放課後はどうする?」
「迷惑じゃなかったら、お願いします」
「教室まで迎えに行くよ」
そう言うと、西原先輩は目を細め、依田先輩の腕をつかむ。依田先輩だけではなく、愛理までもすっかり黙ってしまっていた。
「お前も行くぞ」
依田先輩は西原先輩に連れて行かれてしまった。扱いになれているという感じがする。
唖然としているわたしと咲に愛理が話しかけてきた。彼女は一言謝ると、少しだけ頬を赤らめ、学校に行こうと促していた。
傍目で見ると、落ち着いているがお兄さん相手だと同じ年の子だと感じることができるのが不思議だった。
昇降口にはホームルームがはじまる時間帯ということもあり、昇降口には多くの人で溢れていた。わたし達は靴を履き替えると、教室に行くことにした。
三階まで到着したとき、三年の教室に入っていく西原先輩と依田先輩をみつけた。は依田先輩も隣のクラスなんだろう。
愛理も見ていたのか、ふっとため息を吐く。
「本当、バカな兄貴がごめんね。何か変なこと言わなかった?」
「そんなことないよ。心配してくれただけみたいだから」
咲は目を細めて笑っていた。
入学したばかりなので席は基本的にあいうえお順にならんでいる。わたしの後ろには安原さんというショートカットの子がいる。愛理の席はわたしの二つ後ろだった。愛理は同じ中学なのか、隣の席の男の人と親しそうに話していた。髪の毛を短くした人。
これから一年はこのクラスで過ごすのかと思うと、思いのほか楽しそうな気がしていた。
先生が入ってきて、ホームルームが始まる。わたしの隣の森谷君はホームルーム開始直前に教室内に入ってきたこともあってか、鞄の中を簡単に整理していた。その彼の動きが止まり、鞄の中を執拗に触っていた。彼の机の上に筆箱がないことから、それが原因でないかと思ったのだ。
わたしはそう思うと、まだ使っていないシャーペンを彼に差し出す。
「よかったら使って」
彼は虚をつかれたように整った顔でわたしを見ていた。そのあどけない様子に心が跳ねる。だが、その表情がすごくかわいい感じのものに変わる。
「悪い」
彼はそう言うと、手をあわせる。
わたしは首を横に振ると、それを手渡す。わたしは視線を戻すと、自分の机に目を向けることにした。
放課後、わたしの目の前にシャーペンが差し出された。それを受け取ると笑顔を浮かべる。彼は少し照れたような笑顔を浮かべていた。
「本当、悪いな」
「気にしないで」
「こっちに来たばかりで全然知り合いがいなくてさ」
「そうなんだね。わたしと同じだ。親の都合で少し前にここに引っ越してきたの」
周りの子はほとんど知り合いがいるみたいで、すぐにその友達同士で固まっていた。わたしも咲がいてくれなかったら、一人のままだったかもしれない。自分と同じ立場のひとがいると、なんとも言えない嬉しさがあった。
彼はわたしと咲に挨拶をし、鞄を手にすると教室を出て行く。
その入れ替わりのように、細身の女の人がわたし達の前に来る。
「一緒に帰ろう」
返事をし、咲が立ち上がる。わたしは慌てて、先輩と帰ることを伝えていた。昨日と同じだったからか、笑顔で応えた咲とは違い、愛理は眉をひそめ、怪訝そうな顔をしていた。
「真由って先輩の彼女なの?」
さすがに今日二度目なので、戸惑うこともない。
「違うよ。学校までの道のりがちょっと分からなくて、覚えるまで一緒に登下校をしようってことになったの」
「意外。先輩って優しいんだね。また明日ね」
わたしには愛理が意外と言ったほうが意外だった。彼は初対面からわたしに優しかったからだ。そう思うと自分だけ特別扱いをされているのではないかといった気持ちが芽生えてきた。
そのとき廊下が騒がしくなる。わたしは先輩を待ちきれなくなり鞄を持ち、廊下で先輩を覗くことにした。先輩の教室から押し出されるようにしてでてきた人の流れはあっという間になくなる。最初の塊が去ると、後は細切れに人が出てくるだけだった。その中に見覚えのある人を見つけていた。出てきたのは西原先輩と依田先輩だ。
だが、そのときの西原先輩の表情を見て、わたしは気付いてしまった。
彼は「友達」の前ではこうやって笑うんだと。屈託なく、顔を崩して笑う。それはわたしに対するものとは違っていた。彼はわたしに対してはあくまで先輩として接してくれていたからだ。わたしと先輩は同じ学校なだけで友達でもない。彼が友達とわたしに対し態度が違っていたことは当たり前だった。わたしだってそうだからだ。ショックはなかった。でも、さっきみたいな恥ずかしい勘違いをすることは二度とないと思う。
まだ、会ったばかりで遠いけど、いつか、わたしの前であんな風に笑ってくれたりするのだろうか。その望みに思いを馳せたとき、わたしの足元に影が届く。
そこには先輩の顔をした西原先輩の姿があったからだ。
「ごめん。ホームルームが伸びて。悪い」
「気にしないでください。依田先輩は?」
「先に帰ったよ。帰るか」
彼がどうしたら依田先輩に見せた笑顔をわたしに見せてくれるのか、彼と歩きながらずっと考えていたがその方法がさっぱり分からなかった。
家の前まで一緒に行くと、先輩は少し迷ったような表情をしていた。
「明日はどうする?」
「もう大丈夫です。道もわかると思います」
いくら土地勘がなくても、三回くらい行けば道も覚えるようになる。今のところ、先輩とわたしにはそれくらいしか接点がないことは分かっているし、それを自ら切ってしまうのは心が痛い。だが、分からないと嘘を吐いて甘えるのはもっと嫌だったからだ。
「じゃあな」
明日という言葉が聞けなかったのに胸を痛めながらも、彼に対し深々と頭を下げ家の中に中に入ることにした。




