先輩の誕生日
冷めた声に我に返る。
さっき宮脇先輩の去って行った方角にはわたしが出かけるときには家にいた弟の姿があった。
「ボーっとなんか」
していないと反発しようとして、言葉を噤む。ものすごくしていた気がする。
「そんなに変な顔をしていた?」
「間抜けな顔をしていた」
間抜けな顔か。ちょっと自分では見たくない顔かもしれない。先輩に見られなくてよかったと思うことにしようと思ったとき、裕樹から少し離れた場所に影が見えた。嫌な予感がして、見てはいけないものを見るような気持ちでその影の出所を探る。わたしの勘が当たり、そこには苦笑いを浮かべた西原先輩が経立っていたのだ。
「あまり道のど真ん中でするような顔じゃないよな」
遠まわしに間抜けな顔をしていたと言われた気がして、宮脇先輩の笑顔が頭を過ぎるその落差に軽いショックを受けていた。
わたしたちは一緒に上まで上がると、家の前で別れ、中にはいる。
先に家の中にはいった弟の持っていたケーキの箱を見て首をかしげた。
「それ、どうしたの?」
裕樹のケーキは両親が買ってくるらしく、弟が自ら買いに行くとは思えなかったのだ。
「稜に今日誕生日だって言ったら買ってもらった」
「先輩に?」
裕樹はうなずく。
子供の無邪気さはある意味最強だと思う。先輩からプレゼントなんて、わたしだって喉から手が出るほどほしいが、そんな言葉を言えるわけもない。ただ何かをもらいたいわけではない。おめでとうと言われるだけで満足だった。
「羨ましいんだ」
裕樹はわたしの心を見透かしたようにからかうような表情を浮かべている。
「真由の誕生日を教えてあげようか? 食い意地の張ったお姉ちゃんがケーキを食べたいと言っていたって」
「変なことしないでよ」
彼を強い口調でいさめた。これ以上先輩に食い意地が張っているとは思われたくないからだ。
リビングに入ると、荷物を置き、自分の部屋に戻ろうとする。
「稜の誕生日ももうすぐなんだって」
ドアノブを握りかけたわたしの動きはそこで止まる。
わたしは彼の誕生日を知らなかった。からかれるかもしれないという気持ちは好奇心によって打ち消される。
「先輩の誕生日っていつ?」
「さあ。知らない。聞いてやろうか?」
「本当に? ありがとう」
なぜか手際よく携帯を取り出した裕樹の顔がにやついているのに気づき、わたしは彼の傍まで行き、携帯を取り上げた。そこには「真由がどうしても稜の誕生日が知りたいらしいから、教えて」という文面が書かれていた。
わたしは無言でそのメールの文面を削除して、裕樹に返す。
「変なことを書かないで。普通に聞けばいいじゃない」
「人が折角書いたメールを。嘘はついてないし、人に何かを聞くときには理由があれば添えるべきだと思うよ。知りたいなら自分で聞けば?」
どこか自信に満ちた表情で、正論を述べてきた。彼はわたしが聞けないとわかっているんだろう。
以前から薄々感じてはいたが、彼はわたしの気持ちに気づいているのではないか。そんな疑問を飲み込み彼を見るが、彼は自信に満ちた笑みを崩さない。
裕樹はわたしの気持ちに気づいているのかもしれない。
「どうしても聞いてほしいなら聞いてやる。でも、真由に頼まれたって事実を書くけどね」
「聞かなくていいよ」
心とは裏腹の気持ちを伝え、自分の部屋に戻る。鞄を床に置き、離れるが、再び鞄に戻り、携帯を取り出していた。先輩のメールアドレスを選択し、文面を練るが、さりげない言葉が思いつかなかった。先輩が二学期に入って女の子にやけに告白されていたのってそれもあったんだろうか。
依田先輩に聞けば教えてくれそうな気がしたが、自分のことを陰で探られるのは気分が悪いだろう。やっぱり本人に聞くしかないのかもしれない。
机の上にあった鏡を覗き込む。
彼女なら知っているんだろう。
茫然とした顔の向こうに綺麗な人の姿を思い描き、宮脇先輩と西原先輩のことを考え、手にした携帯を握りしめていた。
「何か言いたいことがあるなら聞くけど」
その言葉と共にはっきりとした顔立ちの男性がわたしの顔を覗き込む。
「何でもないです」
その言葉と共に思わず身を仰け反らせていた。
長袖のシャツを着た先輩は困ったように笑う。
もう辺りの季節に沿うように制服も冬へと移行していたのだ。
だが、冬と呼ぶには寒さが足りないのか、木には色あせた緑の葉が残っている。
朝、西原先輩と会い、一緒に学校に行くことになったが、彼を見ていると昨日のことを思い出していたのだ。だが、先輩に聞けずに口数が少なり、彼をじっと見ているとそう問いかけられたのだ。
先輩への気持ちに気付く前だったら彼に軽い口調で聞けただろう。だが、彼と過ごした時間はそんな簡単なことさえもきけなくしてしまっていた。
手に持っていた荷物が軽くなる。いつの間にか先輩が美術で使う予定のスケッチブックを持っていた。
「持つよ」
「でも、重いですよ」
「そんなことないよ」
笑った先輩が興味深そうにわたしのスケッチブックを見つめていた。
「これ、見ていい?」
予想外の言葉に戸惑っていると、彼は苦笑いを浮かべていた。
「裕樹って絵が上手だろう・ で、そのことを言ったらお前もそうだって言っていたからなんとなく気になったんだ」
その言葉を聞き、顔が赤くなる。
「絵を描くの好きだからかな」
「羨ましいな。俺は美術とか全然ダメだから。裕樹も絵上手だよな。親が上手かったりする?」
先輩は何でもできると思っていたのに、少し意外に感じていた。
「両親はあまり上手じゃないから、あまり遺伝とかは関係ないと思います。わたしより裕樹のほうが上手から、そんなに期待するようなものでもないと思います」
先輩が見たがる気持ちが分からないながらもいいというと、彼はスケッチブックを開いていた。彼が無表情でページをめくっていくのをどきどきしながら眺めていたのだ。
裕樹のほうがうまいというのはわたしの謙遜でも、弟を可愛いと思っているからこそ出てきた言葉でもなかった。よく人から言われる客観的な事実だった。彼は幼い頃から見たものをそのまま模写でき、年を重ねるごとに正確さを増していったのだ。
「結構上手いな」
うまいと言われることはそんなに珍しいことではなかったが、先輩に言われると心の奥がくすぐったくなる。
先輩はわたしの頭を軽く撫でる。
「そう思うよ。俺の絵とは天と地との差」
本当は何か気の利いた言葉が言えればいいが、何も言わずにぼーっと先輩を眺めてしまっていた。
我に返り、自分で頬をつねり、そのにやけを戻そうとする。
「どうかした?」
「なんでもないです」
わたしは顔を伏せると、少しだけ笑う。
先輩との距離が近づいて、聞きたいことも聞けなくなった。だが、嫌なことばかりではない。
こうして朝、一緒に学校に行ったり、話したりすることもできる。
この幸せな時間を自ら壊す度胸がわたしにはなかったのだ。
先輩はスケッチブックを閉じた後、腕時計を見て早くいかないといけないとわたしを急かしていた。
わたしも彼と一緒に学校に行く足を急いでいたのだ。
玄関を開け、リビングに入ると新聞を見ている裕樹と目が合う。
「十二月三十一日だってさ」
おかえりより先に彼の口から出てきた言葉だ。
「何が?」
「真由の一番知りたいこと」
「先輩の誕生日?」
「わたしが知りたがっていたってことを言った?」
彼のもとに詰め寄ると、あきれたように肩をすくめる。
「黙っててやったよ。感謝しろよ」
「ありがとう」
彼は無言で見ていた新聞を畳みだし、自分の部屋に消えて行った。
彼は憎まれ口をたたくけれど、優しいところもある。
わたしも自分の部屋に戻り、鞄を床に置いた。
携帯のカレンダーを見ると、十二月と一月のカレンダーを順に見つめる。わたしと先輩は学年の違いはあるが、意外と日にちだけは近く星座も同じだった。
結局、自分で彼の誕生日を聞くことはできなかったが、彼におめでとうくらいは言いたかった。それくらいなら彼の重荷にも負担にもならないと思ったからだった。




