第2話 地獄の連鎖
音楽の洪水が、地下スタジオのコンクリート壁を絶え間なく震わせていた。
翌月から、『フルーツ・ポップ』としてデビュー予定の3人組アイドル、
桃香、さくら、美柑は、もう何度目かもわからないデビュー曲のダンスを一心不乱に踊り続ける。
レッスン開始から何時間が経過したかもわからない。
空調は効いているが、窓一つない密閉空間で、三人が吐き出す熱気と汗が、ねっとりとした湿度となって肌にまとわりつく。
桃香の視界は、すでに尿意でチカチカと火花が散るようだった。
汗で流れきれなかった水分が下腹部に溜まり、まるで巨大な水の塊が暴れ回っているかのような、鈍い、けれど鋭利な痛みを伴う圧迫感に完全に支配されていた。
(……動くたびに、中で揺れる。……ジャンプのたびに、出口を突き上げられる……っ)
サビの振り付けは、激しいステップと跳躍の連続だ。着地の衝撃が膀胱をダイレクトに圧迫し、そのたびに脊髄を痺れさせるような、恐ろしい崩壊が脳裏をよぎる。
隣で踊るさくらも、すでに限界に近いのだろう。普段のクールな表情は崩れ、唇を血が出るほど噛み締め、膝を不自然に擦り合わせるようにして重心を保っている。
最年少の美柑に至っては、顔色が土気色に変わり、ステップのたびに股間を抑えたいという動物的な衝動と戦っているのが見て取れた。
「ステップが鈍いぞ! アイドルなら、どんな極限状態でも優雅に舞ってみせろ!もう1回やりなおし!」
黒岩の怒号が、鞭のように飛ぶ。
桃香は奥歯を噛み締め、渾身の力で括約筋を締め付けた。だが、一歩踏み込むたびに、自制心の土手は砂のように崩れていく。ハイキックの瞬間だった。遂に限界が訪れた。
「っ……、あ……、ぁぁ……」
高く振り上げた脚。腹部に加わった強烈な圧迫。
その刹那、桃香の意識の中で、最後の一線がプツリと音を立てて千切れた。
――じゅおぉっ…………
激しい爆音の中でも、桃香の耳には自身が奏でた『音』が鮮明に聞こえた。
一度緩みはじめた栓は、もう二度と閉まることはない。
「…………あ、ああぁ…………っ!!」
桃香は声を押し殺して叫んだが、音楽は止まらない。
グレーの綿の短パンの股間が、中心から急速に円を描いて、どす黒く染まっていく。
熱い。あまりにも熱い『自分の一部』が、抗いようのない奔流となって解き放たれる。
――じゅお、じゅお、じゅおぉぉっ…………!!
熱い雫が、布地を透過し、剥き出しの太ももを伝って、床へと叩きつけられた。
それでも激しく動かし続ける脚に、自分のぬるっとした体温がまとわりつく。一歩ステップを踏むたびに、ぐっしょりと濡れた短パンが絶望的な重みを増し、床にバラバラと水溜まりを作っていく。
(……見られてる。黒岩さんに、二人に……っ)
羞恥心で、頭がおかしくなりそうだった。
けれど、桃香は踊るのを止めなかった。止めれば、またやり直し。逃げれば、その瞬間に夢が途絶える。
彼女は涙を浮かべ、内腿を伝う不浄な熱さと匂いを感じながら、最後まで完璧にサビを踊りきった。
曲が終わると同時に、桃香は肩で息をしながら、濡れた足元を見つめて立ち尽くした。
床には、彼女が放出した『証』があたり一面に散らばり、スタジオのライトを反射して残酷に光っている。
「……一曲、終わったな」
黒岩がゆっくりと立ち上がり、桃香の足元を冷徹な目で見つめた。
彼は眉一つ動かさず、部屋の隅にあるモップを顎で指した。
「桃香。お前の『汗』が床を汚している。……自分の不始末は、自分で処理しろ。他の二人が滑って転んで怪我でもしたら、お前の責任だからな」
汗。黒岩は、明らかにそれとは違う液体を、わざとそう呼んだ。
それが桃香にとって最大の屈辱であり、同時に、この場に残るための最低限の『救い』でもあった。
桃香は震える手で、使い古されたモップを手に取った。
モップの乾いた繊維が、自分の内側から溢れ出たばかりの『不浄』を吸い込んでいく。必死に床を擦るたびに、鼻腔を突くのは他ならぬ自分自身の匂いだ。アイドルとしてのキラキラとした幻想が、汚れたモップの中に溶けて消えていく。
桃香は、その惨めさに耐えるために、わざと強く、強く床を叩くようにしてモップを動かした。
「……終わったなら、位置につけ。まだ、三人の足並みが揃っていない」
着替えなど許されない。桃香は、濡れて冷え始めた下着や短パンの感触を意識しないよう、定位置に戻った。一度すべてを放出すれば解放されるわけではない。水を飲めば、また数時間後には同じ地獄がやってくる。
さくらと美柑は、桃香の下半身を、見て見ぬふりをしながら、次に放り投げられた新しい水入りのペットボトルを手に取った。
彼女たちの瞳にも、もはや逃げ場のない限界と恐怖、自分たちも辿るであろう同じ末路への絶望が宿っていた。
さくらの限界は、桃香から程なくして訪れた。
隣で踊る彼女の限界に、桃香は気づいた。
クールで完璧主義な彼女が、激しいターンの最中、不自然に腰を落とし、顔面を蒼白に染めている。内腿を固く密着させ、何とかアイドルとしての尊厳を繋ぎ止めようとする限界の震えは、もはや隠しきれるものではなかった。
「どうしたさくら! キレが落ちているぞ! やる気が無いならそのドアから出て行け!」
黒岩の罵倒が、追い詰められた彼女の背中に突き刺さる。
その瞬間、さくらは列を離れ、スタジオの隅にある嘔吐用の青いバケツへと駆け寄った。
「……っ、げぼっ、……ぅ、ぅぇっ……!」
びちゃちゃちゃっ―――
胃液混じりの水分を吐き出す生々しい音が、静かなスタジオに響き渡る。
過剰な水分摂取と激しい運動、そして精神的な極限状態。彼女の身体が悲鳴を上げたのだ。
「三十秒で戻れ。……戻れないなら、お前の枠は空ける」
黒岩の冷酷な秒読み。さくらは口元を乱暴に拭い、ふらつく足取りで定位置に戻った。
「あっ…………あ、あぁ…………っ!!」
ステップを再開した刹那だった。
さくらの股間から、堰を切ったように熱い奔流が解き放たれた。
――じゅうぅぅっ!!びちゃびちゃびちゃ!!
クールな彼女のプライドが、どす黒く染まっていく短パンとともに、音を立てて崩壊していく。
逆流する胃液の酸っぱい熱さと、下半身から奔流となって逃げ出す熱さ。さくらの身体は、上下両端から制御を失い、一人の少女としての輪郭をドロドロに溶かし始めていた。
それでも、彼女は声を押し殺して泣きながら、踊りを止めなかった。
ただ、その光景が、最年少の美柑の精神を完全に粉砕したのだった。




