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第3話 絶望の淵と伝統

昼からはじまったレッスン。既に何時間経過したのかもわからない。


地下スタジオの空気は、三人の吐き出す熱気と汗、そして桃香ももか・さくらの『決壊』で床とモップに染み付いたアンモニアや吐瀉物の微かな匂い等が混じり合い、逃げ場のない湿気となって停滞している。


あまりにも異常とも言える状況が、美柑みかんの精神を壊すことはいとも容易だった。



「いや……、無理……、あ、あっ」

さくらの決壊を契機として、美柑はガタガタと震え出した。



ステップを踏むことも忘れ、泣きながらスタジオの出口へと走り出す。

開け放たれたドア。その向こうには、自由がある。トイレがある。この地獄からの解放がある。



「美柑、待って!」

桃香が必死に声を振り絞って叫んだ。



「お願い!諦めないで。三人で……、三人でデビューしようよ!!」

続く、さくらの叫びに、美柑の動きが、止まった。



アイドルになる夢。センター。フルーツ・ポップ。……けれど、この地獄から逃げ出したい。下腹部の鈍痛は、もう一秒も猶予をくれない。



「おいおい、どっちにするんだ。デビューか……それとも、ただの一般人に戻るか」

黒岩の冷ややかな嘲笑が、静寂を切り裂く。



美柑はスタジオの、泣きじゃくり、その場にうずくまりそうになるのを、必死に足踏みをして堪えた。


「う、うぅぅ……っ、いやぁぁ……!!」

行きたい。逃げたい。けれど、行きたくない。



彼女は泣きながら、狂ったように足踏みを続ける。その衝撃が、限界を超えた膀胱を容赦なく叩き潰す。

(……ああ、もう、無理。……でも、桃香ちゃんが、さくらちゃんが……!)



意を決した美柑は、足踏みをやめ、その場に直立した。そして、一際大声で、子供のように泣き出した。


「ああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」



絶叫とともに、彼女の自制心は、最悪の形で、けれど最高の意志とともに決壊した。



――じゅじゅじゅっ! バシャバシャバシャッ!!



桃香・さくらよりも激しく、暴力的な奔流が、彼女のグレーの短パンが一瞬で黒く変色していく。

ドアの前で、彼女はすべての矜持を失い、自らの体温で濡れた床の上に、膝をついた。



「あ、あはっ、あははははっ……!」

羞恥の限界を超えた美柑は、泣きながら、狂ったように笑い出した。



自分を縛り付けていたすべての『呪い』が、股間から流れ出す熱い液体とともに溶け出していく。

美柑は、手を床につき、まるで子供が水遊びをするかのように、自らが生み出した湖を手で広げ、掬い、パチャパチャと叩き、子供のように笑い転げたのだ。



自分の不浄だけが、ドアの外へと流れ出していく。けれど、彼女自身の肉体は、この部屋に残った。



「……戻る。……私、三人でデビューする……っ!」

鼻を啜りながら立ち上がり、汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、自らの体温が染み付いた床をモップで拭く。

鼻を突く、アンモニアの匂い。膝をついて拭くたびに、濡れた短パンの不快な重みが肌にへばりつく。



桃香は何も答えられなかった。自分の短パンもまた、二度目の限界を迎えようとしていたからだ。

三人は、誰一人として、ドアの方を見ようとはしなかった。

互いのアンモニアの匂いを共有しながら、彼女たちは再び、不浄な湖の上に立ち上がった。




深夜。

地下スタジオを支配していたのは、もはや音楽ではなく、三人の途切れることのない荒い呼吸音だった。


およそ半日に及ぶ軟禁。極限まで酷使された肉体と、数度の決壊を経て羞恥心を焼き切られた精神。


桃香、さくら、美柑の三人は、自分たちの体温で濡れそぼり、元の色がわからなくなったグレーの短パンや下着の不快感も、吐瀉物がついたシャツも、全て『戦い抜いている証』として受け入れていた。



「……最後のステップが乱れた。最初からだ……次でラストにするぞ」


黒岩の掠れた声が響く。桃香は震える膝に力を込め、隣に立つ二人を見た。

クールなさくらは、汚れ、乱れた髪を振り乱し、眼光だけは鋭く前を見据えている。


美柑は、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げ、鼻を啜りながらも定位置から一歩も動かない。


三人は、自然と手を繋いだ。


汗と、雫と、モップで拭いきれなかった不浄な水溜まりの感触。けれど、その手の平から伝わってくるのは、どんな宝石よりも熱く、確かな生命の鼓動だった。



音楽が始まった。

ももかは、股間から最後の一滴まで絞り出すような衝撃とともに、高く、高く跳んだ。



床に広がる自分たちの汚れの跡は、ライトの光を浴びて、まるでステージの銀テープのように美しく輝いて見えた。



――グチュ、ピチャッ、ヌチャッ、バシャッ



濡れた足音がリズムを刻む。誰かが滑れば、誰かが支える。一人が遅れれば、視線で引き上げる。そこには、言葉を超えた純粋な共鳴があった。


最後の一音。三人は完璧な決めポーズで、運命の審判を待った。




静寂――



「…………合格だ」


黒岩が再生ボタンを止め、ゆっくりと立ち上がった。その瞬間、張り詰めていた糸が切れ、三人は重なるようにして床に崩れ落ちた。



黒岩は這いつくばる彼女たちのもとへ歩み寄り、初めて、慈しむような眼差しを向けた。



「……お前ら、本当によくやった。地獄は終わりだ。……しっかり身体を休めておけ。最高のデビューを用意してやる」



彼は三人の肩に、新しい、真っ白なタオルを無造作に放り投げた。その純白のタオルは、泥と雫にまみれた彼女たちの姿とは対照的で、それは彼女たちが『少女』から『アイドル』へと再誕したことを祝う儀式のようだった。



「その汚れこそが、貴様らの『根』だ。『昭和の日』を乗り越えたお前らなら、どんな荒波も超えていける。……ゆっくり休め」



三人は、タオルに顔を埋め、声を上げて泣いた。

それは屈辱の涙ではなく、自分自身を信じ抜いた者だけが流せる、黄金の涙だった。



半年後――



『フルーツ・ポップ』は、音楽チャートの頂点に立っていた。


眩いスポットライトを浴び、最高の笑顔で、数万人の歓声を浴びるステージ。けれど、彼女達の胸に刻まれているのは、あの想像を絶する湿った熱気だ。




そしてある日の、事務所の地下スタジオ。

かつての自分たちと同じように、不安と尿意に震えながら直立する三人の新人グループがいた。



「……今日一日で、あなたたちの甘ったれた根性を叩き直すわ」

教官席に座る桃香の声には、かつての黒岩が持っていた『厳しさと愛』が宿っていた。



横では、さくらが冷徹に時間を管理し、美柑が優しく、けれど断固とした手つきで、大量の水が入ったペットボトルを彼女たちの前に置く。


「……あの、桃香さん……。トイレ、行かせてもらえないんですか……?」

新人の一人が、今にも泣き出しそうな声で尋ねる。



桃香は一瞬だけ目を細め、かつて自分達が這いずり回った床を見つめた。

「ええ。完璧に踊れるまで、この部屋からは出さないわ。……でもね」



桃香は、新人の少女の震える肩にそっと手を置いた。

「……もし、どうしようもなくなったら。……その時は、迷わずそのまま出しなさい。その熱さと不快感が、あなた達がアイドルとして生き残るための、最初の覚悟になるから」



桃香たちは、彼女たちの股間がじわじわと染まっていく『その時』を、静かな期待と共に見守る。

それは残酷な虐待ではない。


自分たちを『怪物』に変え、最高のステージへと導いてくれた、誇り高き伝統の継承だった。



アイドル界の光り輝くステージの裏側で。

アンモニアの匂いと共に、少女たちが本物の輝きを手にする儀式は、これからも静かに繰り返されていく。

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