迫る狂者
隣町の酒場まで波が来ていた事に、この時の私は気づいていなかった。
その酒場に居た一人の客の状態が酷く、店長が止めに入るほどだった。
「お客さん、そろそろ止めておいたじゃないですか?」
見るに見かねて言ったのだけれど、相手はそんなのお構いなし。
店長は声をかけた相手が旅の者を装っていたが、それが偽りだと見抜いていた。
立ち居振る舞いに平民には見られない気品があり、衣類にはただの平民では絶対に手に入れられない生地が使われていた。
その生地は魔法加工が施された特別性で、そんな布で作った物を纏えるのは国の中心で働いている選ばれた人間しかいない。
例え爪を汚していようと、頭がぼさぼさであろうと、そんな身なりではまず誤魔化せない。
最初はたくさん金を落としてくれる上客だろうと、店長は相手の行動に口を挟もうとはしなかった。
連日、ちゃんと払う物は払ってくれていた。故にこの客に意識を向ける程度だった。
しかし、日に日にその行動が心配になった。
この日、その心配が度を越し、店長は止めに入らずにはいられなくなった。
「良いじゃないですか。ちゃんと残さず食べて、ちゃんとその分払って、誰にも迷惑かけてないですよ」
客の言葉は確かにその通りだった。他の客に絡む事無く、喚き散らしたりもしない。
酒一杯だけで半日粘るなどの非常識な事はしていない。ちゃんと何品も注文をしている。
いたずらに食事時間を引き伸ばしたりもしていない。
一人でテーブル席を占領することも無く、一人席で黙々と食べ続けるのみ。
「そうは言ってもね、もう三日だよ。同じのを三日も、もう三桁は食べ続けているんじゃないか?」
最初にやって来たのは昼が少し過ぎて客足が引いた頃だった。そこからドはまりして同じ物を食べ続けている。
本人には自覚が無いのか、体が限界で小刻みに手が震えているのに食べる手を止めない。
在庫抜きにしてもそんな様子の相手を見ていたら心配になる。
「美味いんだ。これ、美味いんだよぉ。前よりも、あの時よりもさぁ」
喜びに震える声だった。もしかしたら泣いているかもしれない。
感動したり驚いたりする場面は何度となく見てきたが、ここまでの行動と反応をする人物は初めて。当然、店主としては嬉しくない訳が無い。
「これの産地、聞いても良いかな?」
教えなければ、きっと倒れるまで食べ続ける。事件の現場になるのは避けたい。
それと同時に、このお客なら仕入れ元も納得してくれるだろうと思う店主。
彼の食べる姿に、店主は負けたのだ。
「分かったよ、お客さん。そんなに気に入ったのなら、仕入れ先を教えるよ」
「本当かい? 無理なら作り方でも良いんだけれど」
「どちらかと言えば、作り方の方が教えられないよ。まあでも、仮に教えたとしても、この味は出ないだろうね。それだけ材料が違うからね」
と冗談めかして話しつつ、店主は昔の事を思い出していた。
二年前、自らの自信作を持ってくる言ってた彼女。
売り込むつもりなら、箱で幾つか持ってくると思っていたが、実際に持ってきたのは一箱にも満たない量。物は大きくて驚かされたが、個数で言えばたったの五個だった。
他とは違う良いものだと物も無いのに売り込んでいた初対面の時とは違い、再会した時にはなけなしの全財産を渡すような絶望に満ちた表情だったのは、何だったのだろう。
自信が無かったのかと思って見れば、調理してみた瞬間に全てが今までと違う事を理解した。
もちろん即決で契約し、その半年後にはまさに箱に収まり切らないという表現がぴたりと合うそれを持ってきた。
彼女が現れなくても人気にはなっていただろう。しかし、彼女が居なければ、町のみでの人気料理止まりだっただろう。
今こうして、町の外からこんなにも熱心な客がやって来たのは、彼女のおかげだと考えていた。
「と、場所を言おうか」
「ああ、頼むよ。全部食べ尽くすぞぉ」
常人はしない危ない笑みを浮かべる客。
「お客さん、加減しないと村が税金納められなくなりますよ」
「おっと、それは困る。しかしまあ、そうならないように考えるよ。だって私は、もうこれ無しじゃいられないからねぇ。うぇへへ」
ただの旅人がどうにか出来る話じゃないと思いつつも、店主は危ない笑みを浮かべる男に野暮な事は言わない事にした。
自身の店に何かあったら怖いから。
(まあ、もしもの時はどうにかするだろうさ。自分でな)
自分の目の前での事では無いなら知らないと店主。
場所と人の特徴を店主から聞いている間にもう一品頼む客。
しっかりと食べきると、情報量込みで多めに料金を支払った。
「じゃあ、情報を貰ったし、早速行ってみるかな」
「そ、そうかい。しかしまあ、気を付けて」
「ありがとう、店主。帰りにまた寄らせてもらうよ」
席を立ち、よたよたとおぼつかない足取りで店を出る客。
離れた波が生んだ新しい波がもうすぐそこまで近づいていた。




