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78.守護を受けた者 後編


 実体のない悪魔の目が、私に向けて細められる。

 吸血鬼から体を乗っ取ろうとしている筈の悪魔が、私の身体に目星をつけたようだった。

「待ってくださいよロードさん、義姉さんが悪魔にすら狙われているだなんて。話が違う!」

「いいや、きっと大丈夫なはず…。」

 後ろでは、吸血鬼から私を取り戻そうとしている義弟メイナードと幼馴染ロードが言い合っているのが聞こえる。でも私は、「死にたい」と傾いたのならば本来感じる必要のない、虚空への恐怖心を抱いたまま、悪魔を見上げていた。

〔この娘の肉体は良い。屈強かつ柔軟な肉体だ。……尤も、本来ならば男の身体の方がよいのだが。この娘は別格か。〕

 悪魔のその言葉に、吸血鬼数人が動き出す。「彼女の身体を悪魔に受け渡すな」「俺たち吸血鬼も狙われるぞ」「トリエミア家が引き連れてきた軍隊の攻撃をやめさせろ」と、飛び交う言葉は様々で。

 ……私の身体、もういらないな。好きにしたらいいよ。人間世界に引き戻されても、どうせ苦しいだけだし。吸血鬼の世界にいるのも生温くて、少し拍子抜けしたし。

 私の精神を殺して、肉体を悪魔が使うというなら、もう十分じゃない。他の家族は私を死んだものと思っているのなら、追い打ちも希望も持たせずに済む。これ以上ない死に際じゃない。

 私は、黒布の目を見た。私の表情の変化でも読み取ったのか、悪魔が一層目を細めた。

〔明け渡してくれるか。〕

 吸血鬼と、同僚と、メイナードの苦しそうな目が、私を見たのが分かった。ロードが一人、私の目線とは合わない手元に視線を彷徨わせていた。

「……ええ。どうぞ。」

 自分の声が想像以上に冷えていた。今更、私が死ぬことによって人が悲しむことだなんて、どうでもよかった。

 服を着たまま冷たい水を被ったような、霧の濃い高山で息を吸ったような、冷たい感覚が体を覆った。視界に、透明な黒いヴェールが掛かった。悪魔が私の周りにまとわりつくように流れてきたのだ。

 甘く鈍い痺れが頭に走る。熱に浮かされたときと同じ、正気が根こそぎ奪われるような感覚。きっと、今、私の精神を焼き切って殺しているのだろう。

 やっと、終われる。


〔……っ、あぁ、あ!!〕

 

聞くに耐えない声が、耳の上で鳴った。と同時に、黒いヴェールが霧散していった。砂が風に攫われる音だけを残して、ヴェールが散り散りになっていった。

「……ディロップ、見てください!本物ですよ!」

「まさか、本当に……。」

 A班のスイレイとディロップの二人の声が聞こえた。慇懃無礼なスイレイの声は楽しそうで、反対にディロップの低い声は恐れ慄いていた。

〔娘……、いや、小僧!お前の仕業か……!!〕

 悪魔は消えた。私をの体を乗っ取ろうとしたことで、散り散りになって、消えた。

「トリエミア家が、気の遠くなるような時の中、大人しく悪魔に従い続ける訳があるまいに。」

 ロードが、馬鹿にするように笑う。私の手には、此処へ来る前に彼が手渡した『魔除け』の指輪が嵌められていた。

「アナリー。」  

 ロードの声が、私を呼ぶ。その声はひどく弾んでいた。

「帰ろう。やっぱり君は、あの村あの国で、僕の横にいる姿が相応しい。」

 義弟メイナードをダシにして、私を連れ帰ろうとしている男が、私に向かって微笑んだ。

 それが善意でも、独善でも、あるいは悪意でも。

 私には、どうすることもできなかった。

 

 

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