79.『フィッセル』の遣い
ロードの、勝ち誇ったような笑顔が腹立たしい。メイナードの、私を案じるように揺れる瞳が痛い。
憶えているのよ。全部、全部。国にスパイが忍び込んでいたあの事件も、あの時のメイナードの顔だって。全部鮮明に思い出せる。
私は強い。それは事実。だからこそ、僅かな行動で、簡単に取り返しのつかないことになる。
全部、私のせいだって、嫌でも理解する。
「うーん。……アナリーが向こうに戻るのを嫌がるのは、吸血鬼が居るせいかな。」
返事をしない私を見て、ロードが徐にポケットからマッチ箱を取り出した。吸血鬼は何かを察して、マントで身体を隠すように身構えた。
「悪魔に吸血鬼を引き渡すことができたら万々歳なんだけど、まあ、自分にとって今の急務はそれじゃないから。」
メイナードが、小走りで向かってきて私の横に立つ。その目は、苦しくなるほど痛々しい目をしていた。なにか口を開きかけるも、ロードの目を見てやめていた。
「ごめんね、化け物。一旦此処で、死んでもらうよ。」
ロードが箱を擦って、マッチに火をつけた。そして隣にいた騎士からランプを受け取ると、灯りの弱いランプを掲げる。
「突っ立ったままでいるな、ユーリスを守れ!」
「そんなの卑怯だ……っ!」
「俺のことはいいから、全員、自分の身を守って!」
「いやいや、死ぬ死ぬ死ぬ!!」
「医療班……!サムス・マロト呼んで来い……!」
背後から聞こえる、混乱した吸血鬼の声。その声色を堪能するように目を細めると、ロードはランプに火を灯した。
辺りが、柔らかなオレンジ色の光に温かく包まれる。私たち人間にとっては、希望すら見える柔らかな光。でもそれは、吸血鬼にとっては身体を壊す毒でしかなかった。
「……あああああ!!」
誰かの、低い絶叫を合図にしたように、私の背後で人が崩れる気配がした。泣き叫び、痛みに苦しむ声が聞こえる。
「焼ける……っ、崩れる、あぁ!!」
「い、だい……痛いっ……!」
私は、希死念慮の脱力感と、背後の絶叫の痛々しさに、身動きが取れなくなってしまった。
ロードを止めればどうにかなるの?吸血鬼を守るように布で彼らの身体を覆う?そもそも、光に当たっただけでこんなに……。
自分の命がどうでもいいのだから、動けばいい。それだけの話。それなのに、足が竦んで動けない。
なんでだろう。悪魔が怖かった?ロードの変貌ぶりが怖い?それとも、吸血鬼の変わりようが……?
ロードとメイナードに目を向ける。塵を見るような目で吸血鬼を見下ろすロードと、苦しそうな目を私に向け、何度も口を開けては閉じるメイナード。
ロードのランプは、相変わらず温かな光を発している。段々と、私の背後の声たちが弱くなっていく。
私が、元の世界へ戻ると言えば、ランプの火を消してくれる?そしてまた、元に戻るの?
私が壊れてもいいなら、元の世界に帰ると言えばいい話。私が、口を開きかけたその時だった。
ロードの背後に、彼より少し背の高い、重いローブを身に纏った男の影が見えたのは。
「……少年。手を、離してくれないか。」
ロードの背後に立っていたローブの男は、そのまま手を伸ばし、ロードが持っていたランプに手を伸ばした。
ロードは、背後の気配に全く気付いていなかったようで、一気に仰け反って男から距離を取った。そして、その男の顔を見て言葉を失っていた。ロードの横にいたメイナードも、信じられないものを見る目で固まっていた。
黒い短髪に黒い虹彩、物静かで冷静な面立ち。黒い目に宿るのは、不器用で反抗したがりの少年のような目の輝き。
集落『フィッセル』の吸血鬼、セドリック・アイリーンを名乗る男。そして、何より。
「ユートさん……ですか?」
数年前に突如行方不明になった、我が家へホームステイに来ていた留学生、ユート・シァーナに酷似している男だ。
メイナードの浮ついた言葉には何も返さず、男はロードから目を離さない。それから、火の灯るランプを、素手で鷲掴みにした。
肉が焼ける音がする。それなのに、男は顔を歪めることもなく、後ろの吸血鬼たちのように絶叫することも無く、ただ真っ直ぐにロードの目を見ていた。
やがて、ランプの硝子が音を立てて割れた。指先が火で爛れ、硝子の破片が刺さって手から血を流しているのに、何事も無かったかのように静かに、ただその手をローブの袖で隠しただけだった。
「ロードさん。……アンタ、今まで何してたんですか?失踪して何年経ったと思ってるんだ?」
手に持っていたランプを素手で割られたロードは、目の前の男に震えた声で尋ねる。威嚇するような表情のロードに、男はただ飄々とした視線を投げているだけだった。
「少年。少し顔を貸してはくれないか。……いや、顔を貸せ。肯定以外は認めない。」
男が淡々と告げる。ロードは身構えたのち、「何が目的だ」とかすれた声で呟いた。
「……ねぇ、アナリー。」
私の肩に手が置かれた。それは、光でダメージを負った集落リーダー、ユーリス・ビディ『本人』だった。どうして表に出てきているのかと疑問に思い、偽物のユーリスを探してみたけれど、なぜか偽物は何処にもいなかった。
本物のユーリスの手は、ぶつけた茹で卵の殻のようにひび割れて掛けていた。視界を上げると、彼の左目の周りも同様になっていた。……光に当たると、こんな状態になるんだ。見ているだけで痛々しい。
ユーリスが、私の肩に置いた手に力を籠める。そのまま、ロードから視線を外さない男を見た。
「セドリックと名乗った男、……吸血鬼じゃないかもしれない。手の傷を一向に治そうとしない上に、皮膚が焼き爛れてこそいれど、ひび割れてない。」
その言葉に、はっとする。確かに吸血鬼は、触れることでその傷を治す能力を持っているのだから、火傷を負って硝子片の刺さった手なんて、すぐに治せるはず。それなのに、男は手をローブで隠したままだった。
しかも何の躊躇いも無く、彼はランプの前に立った。……分かりやすい、動きだった。
もし、あれがユートだとしたら、とっくに彼が吸血鬼になっているものだと思っていたのに。まさか、人間の体のまま、吸血鬼の世界に住み着いているのか。
ちらりと、男の目が此方を捉えた気がした。けれど、すぐにロード達に向き直って、男は声を張り上げた。
「……集落『フィッセル』に顔を貸せ。誰一人、逃げるなよ。」
あれがユートだとしたら、絶対に聞いたことがないような声音。ロードとメイナード、そしてその他の人たちは、それ以上何も言えなくなってしまった。私を取り戻しに来ようとした人たちは皆、逆らったら殺されそうな威圧感に、従うほかなかった。
私は、人間たちの姿が見えなくなった砂漠に、そのまま座り込んでしまった。




