53.もう一つの再会
龍王の背中を見つめながら、衝撃と警戒に神経をたかぶらせる、ホルスとはうらはらに、前を進むヴィーラグアの胸中は、懐かしさであふれそうになっていた。
(ホルス殿、立派になったなあ)
前世においてアーリィ・ヴァルロシャークとして帝都に招聘された際、彼はガガールンスクの宮殿でね基本的な教養と武術の教練を受けていた。
なにしろ、読み書きどころか挨拶の仕方もろくに知らない田舎者だったのだ。そのまま宮廷に送り込んだりしたら、大公家が恥をかくことになってしまう。
最低限の作法と一般常識くらいは、教え込む必要があった。
教練はガガールンスクの軍学校において、初歩的な学問から礼儀作法、それに格闘や剣術弓術といった武術まで、彼のために特別授業が組まれ、約半年にわたって集中的に行われた。
ホルスとは、その折に知己を得たのだ。
もちろん学業でははるかに及ばないものの、戦闘においては、我流とはいえ魔獣とすら渡り合っていた強者だ。
初めの一月ほどはホルスに組み敷かれたが、格闘の基本を学ぶうちに一流の使い手となってしまい、ついにはホルスの方が教えを乞う立場となった。
短い間ではあったが、共に技を学び、友誼を交わし合った仲だ。
(久しぶりに剣を交えたいものだが、この体格差では、まともな勝負など出来るはずがないからな。人間の姿に変化すれば良いのだが、そこまでの情報を漏らしてしまうのは、さすがにまずい。
今日のところは我慢するとしよう)
種族=魔族に囲まれ、魔王当人と対峙した恐怖は相当なもののはずなのに、それを表に出さない胆力は大したものだ。
従者たちも、表情は強張らせながらも平静を保っている。
この勇者たちを、まずはポルカ河で獲った巨魚と森の果物で歓待し、長旅の労をねぎらわなければ。
ヴィーラグアと種族の者、そしてホルスとその従者たちは、外に設えられた大きな焚火の前に、向かい合った。
「では改めて。種族を束ねている、神龍族のヴィーラグア・ベデルガだ」
「ロスコア帝国ガガールン大公家四男、現在は二男となります。ホルス・ガガールンです」
双方とも膝をくずし気を張らない様子で、地面に腰を降ろしていた。
椅子も天幕すらもない野ざらしの状況だが、大きな獣皮を敷くことで、辛うじて礼を整えた格好になっている。
「長旅でお疲れだろう。酒はないが、食べ物だけは十分に用意してあるので、遠慮なく喰らってくれ」
「ご厚情、痛み入ります。
酒、ですか。魔……失礼、種族の方も酒を飲むのですね。実は火酒を二樽ほど持って来たのですが、エレスの里に置いてきてしまいました」
「なに、それは残念だ。後で取りに行かせよう。
ジーン、まさか誰かに飲まれてはいないだろうな」
「さて、手をつけるなとは言い置いて来ましたが。美味い獲物は逃げ足も速いと申しますから」
「むうう。ならば、俺が飛んで行った方が確実か」
ハハハ、と笑い声を上げるジーンの周囲では、他の種族たちがキョトンとした顔でやり取りを見つめている。
もちろん、三者が語り合うロスコア語がわからないだけなのだが、その無言の視線ですら、人間たちにとっては恐怖以外のなにものでもない。
猴族や熊族が差し出す肉や果実に手を付ける勇気も出ず、見かねたエルブル族の勧めたものだけを、なんとか口に運んでいるという有様だ。
ホルスも表情には出さないが、内心の緊張は彼らとそう変わらないだろう。
そんな中で、ひとりヴィーラグアのみが、上機嫌でしゃべり続けていた。
―――※―――※―――
翌日、ヴィーラグアはホルスを狩に誘い出した。
草原にはさまざまな獣や鳥が生息しており、獲物には事欠かない。剣で戦うことはできなくても、弓の腕前なら存分に競い合うことができるというわけだ。
もちろん、人間とは視力を含め身体能力そのものに格段の差があるので、本来であればこれすらも勝負にならないはず。だがホルスはアウラの使い手であり、肉体的な能力を超人レベルに引き上げることができる。
さらに、覚醒前のヴィーラグアが痛手をくらわされた、矢にアウラをまとわせる技までも使いこなし、大型の鎧牛を一撃で仕留める妙技を目のあたりにしては、苦笑いを抑えきれない。
同行したヤーゴートや狼族の面々も、素直に感嘆の声をあげた。
「それにしても、素晴らしく豊かな草原ですね」
昨日は、初対面ということもあり緊張の極みにあったホルスだったが、狩の間に身体も心も充分にほぐれたようだ。
朝から数えて十数羽目にもなる野鳥を携えながら、語りかける。
「そうお思いか」
「ええ、正直言って驚いています。実は私は以前、モルゴンの民と遊牧の暮らしを共にしたことがあるのですが。その際に、このあたりにも来たことがあるのです」
「ほう?」
「当時のモルゴンは、不毛の地とは言わないまでも、短い夏の間にわずかな草木が生えるのみの、とても豊かとは言い難い荒野同然の土地でした。
なのに、この青々とした草の海はどうしたことでしょう。
ここまでの旅路でも、緑が多いとは思っていましたが、森の縁をたどってきたのであまり気にならなかったのです。でも、今日改めてこの草原を見て、以前とはすっかり変わっているのを実感しました」
それは、ヴィーラグアも気付いていることだった。
大戦前のモルゴンを訪ねたことはないが、決して実りの多い土地でなかったことは知っている。砂漠とは言わないまでも、砂と小石の荒れ地ににわずかばかりの草がしがみつく、荒涼とした大地が広がっているはずだった。
今の状況が何に由来するのか。エルブルのジーンによれば、森から漏れた捷気が大気を満たしているためだとのことだが。
だとすれば、それは重大な意味をはらんでいることになる。
なぜなら、目の前の大地を覆いつくしている草木は、種族の森の植物ではなく、人間界のものだからだ。
(捷気は、人間界の動植物には毒だったはずだ。だがごく少量であれば、種族同様に活力をもたらすということなのか。本質的な害毒ではなく、単に濃度の問題にすぎなかったと)
もちろん、繁殖の理由はそれだけではないだろう。種族の森からは、捷気とともに湿気も流れ込んできている。少量ながら雨が降ることもあるのだ。
大戦前とは、気候そのものが変わってきている。
この広大な大地が、森の外延部と同じ恵みを得たと期待するのは、楽観に過ぎるだろうか。




