52.人と龍王
「それにしても、この建物は……」
ジーン・エルバルは、目の前にそびえる巨大建造物を見上げた。
「王が、みんなが寝泊りできる場所を作ろうと言うので、みんなで作ったんですよ!」
「これほどの物を、いったいどうやって」
「森の奥から背の高い木を何本も伐り出して! 巨人族と足長首長が押したり引っ張ったりして! あっ、切ったのは大鼠族と王と女王です! 熊族も頑張りましたけど、下手くそでした!」
「うーむ、なるほど」
「ちょうどいい木を探すのは、僕たちがやりました! 太くて高いのが良いんですけど、森から全部なくなっちゃうと、僕たちが困りますので!」
「そうか、それはご苦労さまだったね」
「はい! クワッ!」
「中はどうなっているんだ?」
「入ってみますか?! どうぞどうぞ、こちらへどうぞ!」
バサリと、翼を軽くひるがえす。
凶鳥にうながされて進むジーンに続き、ホルスたちも、身を寄せ合いつつ移動する。
人間の彼らに種族の言葉はわからないが、仕草と雰囲気で、平和な話し合いが行われているのだろうことくらいは理解できる。
というより、そうに違いないと、みな自分に言い聞かせていた。
南側へ回ると、そちらが正面だったらしく、縦横数マールの大きな入り口が切ってあった。
扉はなく、開け放しだ。
飾り気のない無骨さというか、無造作とすら言いたくなるたたずまいは、建物の入り口というよりも洞窟のような雰囲気を醸し出していた。
陽光の差し込む内部を恐る恐るのぞくと、仕切りらしいものは見えず、奥まで大きな空洞となっている。なおさら洞窟のように見える。
広大な床一面に敷かれている石畳は、そのまま外まで続いており、彼らが立つ場所から振り返ってまっすぐ南の方角、森へ向かって伸びている。
どこまで続いているのだろうか、そちらの行き先も気になる。
「ジーン殿」
ホルスはふたたび正面を向き、傍らのジーンに声をかけた。
「はい」
「森の種族が、これほどの建築技術を持っているとは驚きました。もちろんあなた方エレスは家を持ちますが、それは人間から得た知識によるものと聞いています。ですが、これは」
「いや、この大きさにはたしかに圧倒されますが、技術的にはそれほどのものではありませんよ。ただ丸太を組み積んだだけで、装飾どころか屋根と壁の区別すらありません。
人間界の街並みと較べれば、とてもとても」
「そうは言われましても、うーん」
腕を組んでうなるホルスと、建造物を見上げながら不安そうに身を寄せ合う人間たち。
その様子をカエカとその仲間の鳳族が、興味深そうに、見方によっては不穏な目つきでじっと見つめている。
仲介役であるジーンは、鳳たちが妙な気を起こさぬうちにと、さりげなく声をかけた。
「カエカは入らないのかい?」
「クワッ! 狭いところは苦手なので! 一番天辺が僕たちの居場所なので!」
「そうか」
ホルスは意を決して、薄闇に足を踏み入れた。
内部はやはり、外から見た通り仕切りらしきものはなく、大広間というよりも巨大な倉庫といった印象だ。
天井の高さは、およそ20マール。むしろ天井があることに違和感さえ憶えるが。
ということは、上部は何層にも区切られているのだろうか。だが階段らしきものは見当たらなかった。
従者たちも、ようやく自分の役目を思い出したらしく、慌てて二人に駆け寄り周囲に警戒の眼を向ける。
「何もありませんね」
「これから作るのかも知れません」
「なるほど」
思えば、外の景色も殺風景にすぎる。都市の構築も始まったばかりということか。
そう納得して、外に出ようと振り返った瞬間、人間たちは凍り付いた。
「おお、客人がみえたか!」
逆光を背に、建物の入り口をふさぐように立ちはだかる、大きな影。
薄闇にうっすらと浮かぶ相貌は、まさに龍のそれだ。
全身からあふれ出るアウラは漆黒の太陽にも似て、見る者すべてを灼き尽くす熱量を湧きたたせていた。
「王よ、たいへん遅くなりました」
ジーンが膝を突く。
ホルスも、彼にならって礼を示そうとしたのだが、全身がしびれ思うように動かなかった。従者たちも同様だ。
だが王は、そんな彼の様子を気にするそぶりもなく、大股で歩み寄ってきた。
「ホルス・ガガ―ルン殿、お眼にかかれて光栄だ」
差し出された手は、硬質の鎧のような皮膚におおわれ、鋭い爪が黒曜の輝きを放っている。
気力を奮い立たせ握り返そうとするも、大きさ自体が大人と子供ほども違っていて、そっと添えるのが精一杯だ。
握手どころか、上から掴みかかられるような恰好になってしまった。
「ホ、ホルス・ガガールンです。御拝顔を賜りますこと、光栄の至りにございます」
「ヴィーラグア・ベデルガだ。うむ、こちらこそ」
穏やかな声色で、おそらく笑いかけてくれているのだろう。漆黒の形相は、まさしく龍のそれだ。
眼光に耐え切れず思わず眼を伏せてしまったのを、拝礼の仕草のように見せかけるのが、精一杯だった。
(……声色?)
その瞬間、ホルスは気付いた。王が喋っているのが、流暢なロスコア語であることに。
「あなたは……」
思わず顔を上げた彼に、漆黒の王は満足げにうなずく。
その意図を、龍王の表情から読み切ることは、人間である彼には不可能だった。
「さあ、客人も到着したことだし、宴の準備を始めようか! ホルス殿、こちらへ。獲れたての大魚をお眼にかけよう!」
大股で歩き出す王の後に慌ててついて行きながら、ホルスの思考は、衝撃と疑念で混乱の極みにあった。
魔族の王が、ロスコア語を?
今の今まで、交渉にはジーンが通訳を務めてくれるものだと思っていた。
だが、二人の会話を傍らで聞いていた彼は、何ごともなかったような顔で隣を歩いている。
つまり、龍王の言語能力を承知していたということだ。
それだけではない。王は、大勢の人間の中からまっすぐ自分に向かってきた。
まるで、誰がホルス・カガ―ルンなのかを、あらかじめ知っていたかのようにだ。名前はともかく、自分の顔まで!
魔族は、いったいどれほどの情報収集能力を持っているというのか。
そう見抜かれることも、おそらく承知のうえでの言動なのだろう。あの一瞬で、陣営の力量を見せつけてきたのだ。
(外交交渉は、すでに始まっている!)
そう理解したことで、覚悟が決まった。
ホルス・ガガールンは、漆黒の背中と、立ち並ぶ異形の者たちの影をしっかりと見据え、石畳を踏みしめて歩き出した。




