46.和平の使
「親愛なるガガールン大公閣下へ、森に棲まう幾千の種族幾万の民を統べる偉大なる王より通告いたします。
一つ。我が種族は、ツンドゥールカ地方とタイガの森の全域、及びモルゴン草原のうちツンドゥールカから東へ五百カマールまでを領土とする。
一つ。ツンドゥールカから五百カマールを越え七百カマールまでの地域は緩衝地帯とし、我が種族の進出は控えることとする。人間族、とくに遊牧民の出入りや居住については干渉しないが、軍隊の侵入は認めない。
一つ。それ以東の地域は、人間族の支配域と認める。
一つ。これらの措置はリーナ西岸に限ってであり、東岸地域についてはこれまで通り、我らは森の深部のみを活動域とし、周縁部及び草原における人間の支配を認める。
以上、お留め置きくださいませ」
ロスコア帝国辺境域、ガガールン大公領。
領都ガガールンスクの宮城内にある謁見の間において、大使の役を務めるジーン・エルバは高らかに宣言した。
彼の面前には、豪奢な大公座に腰を据え、気だるげに頬杖をつく老人。
齢七十を数える、帝国大公にして旧ガガールン王国国王、カルル・ガガールン六世だ。
そしてその両脇に、兵装をまとった二人の若者が立っている。
「森の人族の長、ジーン・エルバよ」
「はっ」
「そなたとは長い付き合いだ。先の大戦では敵味方となってしまったが、こうしてまた息災な姿を見られたことは、望外の喜びである」
「閣下におかれましても、以前と変わらぬご壮健ぶり。ふたたび拝顔の栄にあずかりますこと、感涙にむせぶ想いでございます。
また両殿下におかれましても、輝くばかりの御成長の由、まさに眼を洗うが如く」
ジーンは、大公座に向かって深々と頭を下げる。
若者たち、次期大公ストラヴォク・ガガールン子爵とその弟爵ホルス・ガガールンは、穏やかな笑みで応えた。
だが、中央に座する大公は。
「想いは儂も同じだ、早々に宴を開いて旧交を温めたい。と、言いたいところであるが」
その面には深く皺が刻まれ、齢相応に表情は読み辛いが、苦虫をつぶしたような顔をしているであろうことは、声色だけでも読み取れる。
だがそれでも、一方的な宣言に対し激昂する様子は感じられない。
ジーンは頭を下げたまま、続く言葉を待った。
「まずはいくつか質問をしたいのだが、良いか」
「なんなりと」
ジーンがふたたび顔を上げる。
大公の視線をまっすぐに受け止めるその眼に気負いはなく、平時の挨拶に訪れたような穏やかさをたたえている。
「ヴィーとは、何者だ」
「ヴィーは、我らの言葉で王を表します。御名はいずれ、しかるべき機会に」
「魔王が復活したとの噂もあるが」
「王は、魔という言われようを厭われます。かつてのならず者の王とは似ても似つかぬ、高潔な魂をお持ちの御方です」
「似ても似つかぬどころか、かの魔王と見まごうばかりの姿恐ろしい黒龍だというではないか。
数年前、戦場に現れ我が軍を無情にも灼き滅ぼしたと、生き残った兵士が証言しておるぞ。
ヴィーとやらは、あの時の黒龍ではないのか」
「まさに、その黒龍に間違いありません。ですが、閣下の大切な兵と我が同胞を業火にさらしたのは、王ではなく」
「待て、その先は言わずともよい」
ガガールン六世は、深くため息をつく。
そう、彼は真実を知っているのだ。
「正直言って、儂は西域などに興味はない。魔族らが闊歩しようが魔王が支配しようが、河さえ渡って我が領地を侵さぬというなら、どうとでもすれば良いのだ。
その新しい黒龍の王は、信用できるのか?」
「それは間違いなく。わが天命に誓いまして」
「そなたのことは信用している。そなたがそう申すのであれば」
ジーンは無言で頭を下げる。
広い謁見の間には、大公と両公子、ジーンの四者しかいない。ここで行われているのは、他の誰に聞かせることもない、密談なのだ。
「帝都には、どのように報告すれば良い」
「閣下と領軍のご尽力により、種族を平原西部まで追いやったと。
軍には、引き続き巡回警備を命じればよろしいでしょう。ただし、リーナ河から五百カマールより先には進まぬよう。
その辺りまでであれば、無用な接触は避けられるでしょう。
我らが王も、大公領との和平を望んでおられます」
「ふむ、願ってもない申し出だ。平原の半分近くを取り戻したとなれば、儂にとっても大きな手柄となる。
ただ、帝都の強欲どもがそれで満足してくれれば良いが」
「そこはご尽力くださいませ。
わが王はこれ以上の領土拡大は望まず、それどころかいずれ条件が整えば、大陸西部との交易の仲立ちを務めても良いと仰せられております。
これが成れば、種族と人間族の恒久的な和平も望めましょう」
「なんと、そこまでの遠謀を」
大公は思わず身を乗り出す。
が、すぐに身体を背もたれにあずけ、天井を仰いだ。
「今や、領軍の兵士の三分の一は、帝都から送られてきた者だ。
そうでなければ軍を維持できぬのだから致し方ないが、その中には密偵も数多く紛れ込んでおるはず。秘密裏に事を運ぶのは、なかなかに難しいことだ」
「将来のことは、時が至るまで閣下の御心の内に。
まずは、モルゴンの民に故郷をお返しいたしましょう。駐屯兵を兼ねるということにして、現地民のみを入植させる形にすれば」
「帝都兵を排除するか。
どこまで出来るかはわからんが、試してみるとしよう」
ジーンは再び頭を下げて、同意を示す。
「閣下のご尽力の一助になればと、心ばかりの贈り物を持参してまいりました。各種獣の皮と爪牙、それからリーナ河の上流で採れた砂金と輝石の数々を」
「おお、それは有難い。儂自身を今さら飾り立てても仕方ないが、帝都の小鼠どもにはよく効く撒き餌となろう」
「食糧のお手伝いもできれば良いのですが、我が方もそこまでの余裕はなく。
代わりに、毛長牛という家畜を一群、連れて参りました。性質は大人しく力もありますので、耕作には適しております」
「魔……森の種族の獣なのだろう? 平原で生きられるのか?」
「はい、ここより南方の、森に近い土地であれば問題ないはずです」
「そうか、ならばスノルウィーグあたりの開墾に使えそうだな。あの地方は川が何本も流れていて水が豊かだ。力を入れて開発すれば、良い農場となるだろう」
「お心のままに」
ジーンはほどなく退室し、衛兵に伴われて城外へ戻った。
土産の品々は、大公の腹心でありある程度の事情を心得ている宰相に引き渡し、連れのエルブルたちとともに河港へと向かう。
和平大使とはいえ、ここは敵地なのだ。長居は無用。
護衛の兵隊に囲まれた姿は、傍目には虜囚のようだが、隊長には十分すぎるほどの袖の下を渡しているので、応対は実に丁寧だ。
安心して身を任せられる。
(さて、なんとか当初の目的は果たせたかな。
悟られぬように大公を誘導するのは骨が折れたが、これなら王も満足してくださることだろう。
とはいえ、まだ何も始まったわけではない。この先も引き続き手を差し伸べなければ。
我々が直接施すのではなく、あくまで大公の手に依らなければならないというのも面倒な話だ。しかも、大公自身にも気づかせぬようにとは。
指令を受けた以上は全力で果たすのみだが。それにしても……)
ジーンは声には表せぬ疑問に、首をかしげる。
(どうして王は、あんな小さな村のことを気にかけるのだろう)




