第9話:決闘前のトレーニング
「なにそれ? 話の内容を理解できないんじゃ、ついて行った意味がないでしょ」
バサバサと降り注ぐ網を避けながら、ヴァイオレットはくくくと笑った。
左手の散弾銃はしっかりと抱えているが、右手は完全に口元を押さえている。
俺はヴァイオレットの移動先に新しい網を準備しつつ、笑いの発作はどこから来るのかと考えた。
人類が意識体になるとき、記憶と共に感情を残したそうだが、笑いと感情の繋がりがわからない。
いまのヴァイオレットを見る限り、喜びの感情や楽しさの感情が笑いを誘引しているわけではなさそうだ。
「別にいいだろ。行けばわかると思ったんだ」
俺はヴァイオレットに答えながら、【八、五二七、二六七一、五四〇四、一〇二】の座標と【八、五二七、二六七四、五四〇七、一〇二】の座標に縦横十メートルの網を配置した。
コンマ二秒の時間差で【八、五二七、二六八二、五四一一、一〇二】の座標にも別の網を出現させた。
網は出現と同時に落下を始め、ヴァイオレットの頭上を狙う。
まだ笑っているヴァイオレットだが、敏捷性は衰えていなかった。
タタタンと軽快にステップを踏みつつ、加減速を繰り返す。
俺は何枚も網を召喚させたが、すべての着地点にヴァイオレットはいなかった。
網の落下速度を高めても、ヴァイオレットは回避した。
「――そんなに偉そうに言うなら、おまえはどうなんだ? おまえはトールたちの話し合いの内容を理解しているんだろうな?」
「もちろん。先生たちは『容量の集中』について話しているんだよ。誰に容量を集めるべきか、集めたあとにどうやって研究を進めていくべきか、それぞれの意見を検討しているの」
「は? それって誰かが誰かに容量を提供するってことか?」
「そう」
上からの攻撃のみでは単調になると思い、俺はヴァイオレットの正面や側面にも網を仕掛けた。
落下させる場合と違い、衝立のように縦向きに設置する。
ヴァイオレットは最初、少し驚いた様子だったが、すぐに散弾銃を使用した。
射程範囲の広い散弾銃は網に穴を空ける上で効果的だった。
「やっぱり意味がわからない。容量は意識体の力だし、アイデンティティみたいなもんだろ? 賭けたわけでもないのに、いったいどんな理由があれば他人に提供できるっていうんだ?」
「いまさらなに言っているの? 研究のために決まってるじゃない」
どうやら俺の言い方が気に入らなかったらしい。
元々饒舌なヴァイオレットが、さらに口数を増やした。
模擬戦闘の最中だし、俺に襲われているというのに、発言がまったく止まらない。
俺は分割思考能力をフル活用し、ヴァイオレットを攻撃しながら、ヴァイオレットの話を精査した。
容量が一人の研究者に集まれば、その研究者の知能や知識が格段に引き上がること。
言語を始めとした共通情報の重複を避けられるため、増加した容量を効率的に使用できること。
非共通情報については、一つの意識の中で直接的に重ね合った結果、新しい発見を期待できること。
容量を失った研究者にしても、唯生園で暮らす期間のサポートは、容量を得たほうの研究者に依存できること。
俺が最も驚いたのは、トールがすでに四名分の意思と容量を受け取っていたことだった。
過去に五名の研究者で話し合い、トールが代表者となったそうだ。
残り四名の研究者は限界まで容量を減らした状態で、どこかの唯生園に入っている。
「そこまでして進める研究ってなんなんだ? 研究が終われば、容量は元に戻すのか?」
「当たり前でしょ。容量は元に戻すよ」
俺は三十枚の網を空に召喚し、連続でヴァイオレットの頭上に降らせた。
いずれも避けられたが、避けられた分だけ新しい網を出現させた。
速度でヴァイオレットに敵わないようなので、物量で圧倒するつもりだった。
無駄になった網が地面に堆積し、草や土が黒い繊維で隠される。
「――ただ先生は、この研究の最終目的を『ワイズマンから全人類の容量を取り返すこと』だと言っていた。だから研究の完結は、簡単な話じゃないんだけどね」
「それはまた、壮大だな!」
埒が開かないので、俺は同時に五十枚の網を呼び出した。
それぞれ横に連結させ、面積を稼ぐ。
約五千平方メートルとなった網は、ほとんど空を覆うようだった。
黒の格子が広大な青空を分割し、千以上の正方形を生み出した。
「面白い戦術ね。そのまま落とせば、戦闘エリア全体をカバーしそう」
「感心する暇があるなら、なんとかしてみろよ」
「言われなくても」
ヴァイオレットは散弾銃を空に向けて三回発砲した。
ばら撒かれた銃弾が繊維を破損し、完璧だった包囲網に弱みができた。
補修するために俺が別の網を出現させると、ヴァイオレットはまた三回発砲した。
さらに俺が補修すると、ヴァイオレットは発砲する。
同じことの繰り返し――そう悟った俺は、穴が空いたままの網を落下させた。
俺が計算した通り、巨大な網は今回の戦闘区域である小さな丘陵を丸ごと飲み込んだ。
ただ、ヴァイオレットは涼しい顔で立っていた。
網が落下する直前、穴の真下に移動したのだ。
「――戦術は良いんだけど、致命的に遅いんだよなぁ」
直立姿勢で両手を高く上げ、ダンスをするかのようにクルクルと回った。
攻撃に寄与する行動ではないので、おそらく俺を挑発しているのだろう。
ヴァイオレットの目線が外れるタイミングで、俺は長柄斧槍を呼び出した。
振りかぶり、地面を蹴って、特攻する。
しかし俺の奇襲を察知したヴァイオレットは、後方に大きくジャンプした。
俺が追撃を諦め、足を止めると、ヴァイオレットは「――なにがダメなんだろうね? 長柄斧槍と違って、網の出現速度が低すぎる」と言った。
模擬戦闘を中止するつもりなのか、散弾銃を消して見せた。
俺もヴァイオレットに倣い、右手の長柄斧槍を消滅させた。
地面に堆積している網を眺めながら、「仕方ないだろ。慣れてないんだから」と反論した。
「慣れとかそういう問題なのかな? 網はどういう手順で召喚しているの? ちょっと言ってみて」
「手順? 普通だぞ?」
「普通じゃわからないって」
ヴァイオレットは少女の顔に、怒ったような、困ったような表情を浮かべた。
俺は「なんだよ、面倒臭えなぁ」と応じながら、このあいだも同じような顔をしていたなと思った。
ヴァイオレットがトールの知り合いだと知ったのは、第十三区の話し合いが終わってから四十六分後。
「どの唯生園にも異常はありませんでした」と、トールに報告した人物がヴァイオレットだった。
二人は長い付き合いだが、ヴァイオレットが一方的にトールを尊敬しているようだ。
このときも唯生園に対する見回りのうち、第一区から第七区までをヴァイオレットが自主的に担当していた。
俺の姿を視認した瞬間、ヴァイオレットは心底驚いた様子で、「あんた。こんなところでなにしてるの? それも先生と一緒に」と訊いた。
俺は「それはこっちの台詞だ。おまえこそなんなんだよ」と訊き返した。
ヴァイオレットは俺の質問に答えず、一瞬だけトールの顔を確認し、それから怒ったような、困ったような表情を浮かべた。
「――おまえの座標を先読みして、網の設置点を逆算する。それから適切な形の網を想像し、適切な大きさの網を想像して、網が設置点に出現するヴィジョンを」
「多すぎる。そりゃ遅くなるわけだよ」
丁寧に順を追ったというのに、ヴァイオレットは俺の説明に割って入った。
「仕方ないだろ。どれ一つだって省略できないんだから」
「あんた、長柄斧槍を出現させるときも同じ手順を踏んでる? 踏んでないよね? 同じことをしていたら、一瞬で取り出すことなんて出来ないもんね」
「そういえばそうだな。たぶん、そこまで厳密にはやってない。なんでだろう? なんで長柄斧槍の召喚は手順が省略できるんだろう?」
「あんたの言い方を借りれば、やっぱり『慣れている』って結論になるんだろうけどさ……たぶん幾つかの手順は、無意識に終わらせてるんじゃないかな? 一方で、網を創造することには慣れていないから、生真面目に一つずつ進めないといけない」
「まあ、練習が必要ってことだろ? わかりやすくて良いじゃねぇか」
俺は可能な限り早く、手元に網を召喚した。
現れた網は、格子の形状が崩れているだけでなく、片手サイズの大きさだった。
気を取り直して、適切な形と適切な大きさになるよう集中すると、今度は俺の七メートル後方に現れた。
やはりまだ丁寧に進めないと、使い物にならないらしい。
「全然良くないって。メイナードとの試合は三十時間後にあるんでしょ? 間に合うの?」
「やるしかないだろ」
ヴァイオレットの言う通り、三十時間を多いとは言えない。
しかし、少ないとも言い切れないと俺は思う。
いまは網一枚を一秒弱で召喚させているので、三十時間あれば十二万回程度の練習ができる。
慣れてくれば、発現速度も上がるはずだ。
十二万という数字は少なく見積もったときの値となる。
そう俺が説明すると、ヴァイオレットは小声で「ちょっとした思いつきなんだけどさ……」と言い、ワイズマンの塔のほうに顔を向けた。
穏やかな北風が吹き、ヴァイオレットの長髪をフワリとなびかせる。
トールの話では、方角の定義も昔といまで違うらしい。
昔はセントラル全体で東西南北が定められていたそうだが、いまは第一区に立つワイズマンの塔を『北』と呼ぶ。
ヴァイオレットが続きを言わないので、俺は「なんだよ? 話せよ」と催促した。
「メイナードとの戦いに向けて、私が容量を貸してやるっていうのはどうかな? あんたなら五ペタくらい貸してもいいし、五ペタも増えたら、あんた本来の戦術でもメイナードに勝てるんじゃない?」
「馬鹿だな。無理に決まってるだろ。戦闘時の容量は、契約時点のものを使う約束だ」
メイナードとの試合はハンデ戦。
俺が勝てば俺はメイナードから八ペタを獲得し、メイナードが勝てばメイナードは俺から四ペタを奪う。
俺が容量で劣っているからこそ、報酬に勾配ができている。
この前提を維持するために、わざわざセントラルを介入させて俺たちの容量を固定したくらいだ。
試合の日まで、俺とメイナードの容量の増減は絶対にできない。
「やっぱりダメか。良いアイデアだと思ったんだけどなぁ」
ヴァイオレットはハハハと笑い、風に靡く髪を抑えた。
「よく言うよ。そもそも容量を俺に貸したとして、俺が返さなかったらどうするつもりだ?」
「いや、あんたは返すよ。確実に」
「確実? なんでそんな風に言い切れるんだ?」
「私はあんたの姉だよ。あんたのことは誰よりもわかってる」
「へえ」
ヴァイオレットのお節介な発言を聞き流しつつ、俺はトールの仲間だった四名の研究者のことを考えた。
四名の研究者はたぶん、トールの兄弟や家族ではなかったはずだ。
そんな関係なのに、なぜトールに容量を託そうと思ったのだろう?
研究とはそれほど大事なものなのか? あるいは、なにか返却の確証があったのだろうか?
どちらかと言えば、後者の割合が大きいのかもしれない――そう俺は直感的に思った。
意識レベルで容量を獲得したことはないので、完全な想像になるが、他人の意識が自分に流れ込めば、二つの意識は結合するだろう。
知識の結合が起こるなら、意識の結合も起こるはずだ。
意識が結合すれば、相手の思想や欲望も受け継いでしまう。
『容量を返却する』という約束も、きっと無視できなくなる。
「あ」
次の瞬間、俺はメイナードに勝つための方法を思いついた。
簡単な話だった。
ぜんぶ結合すれば良かったのだ。
俺の意識の底にいる黒いなにかが、まるで賛成するように、五本の脚をバタバタと振り回した。
その振動は俺のアバターに伝播し、頭蓋の裏側に微かな痒みを覚えた。
「なに? どうしたの?」
不審な顔をするヴァイオレットに、俺は再戦を申し込んだ。
必要だと思ったので、「今度は本気で戦え」とも言った。
ヴァイオレットは意味のわからない様子だったが、俺の態度を見て特別な狙いがあることを理解したらしい。
良いよ、と答えて散弾銃を構え、俺から三十メートルほど離れた位置に移動した。
俺は地面に広がる網のすべてを消滅させ、再び一本の長柄斧槍を呼び出した。
重心を下げて、肩に担ぎ、いつもの接近戦用の構えをする。
この手順に深い狙いはない。
儀式みたいなものだ。
勝負は召喚にあると思っていた。
模擬戦は五分で終了した。
最後はヴァイオレットが俺の首を切り落とす形で決着がついた。
負けはしたが、着実な進歩だった。
俺はこの模擬戦で、初めてヴァイオレットを追い詰め、波刃剣を使わせることに成功したのだ。
なにも知らないメイナードであれば、間違いなく勝てるだろう――そう俺は確信した。
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