第8話:トールの網
各居住区には四つの唯生園があり、それぞれに三百名弱の人間が暮らしている。
居住区はすべてで三十あるので、セントラル全体では約三万名が唯生園に所属する計算だ。
自我や意識を失った三万名は、なんの欲求も目的も持たない。
ただ唯生園の中を徘徊し、ときに立ち止まり、ときに他の住人と衝突している。
第十二区の第四唯生園に到着した俺は、トールの言った手順に従い、まず周囲を観察した。
八本の柱と柱を繋ぐように設置された黒い網に、傷や破損はみとめられなかった。
入り口に立てかけられた看板にも異常はない。
真砂土の広場は硬く、完璧な平面で、中の住人たちは滑るように移動した。
続けて俺は、第四唯生園で暮らす人間の数を調べた。
脱出した者がいなければ、総勢で二八九名になるはずだった。
俺は意識の一部でカウントしながら、別の一部で数え終えた人間を記憶した。
狭い範囲の中で住人たちがごちゃごちゃと動き回るため、重複せずに計測することは難しい。
この作業を遂行する上で、俺は戦闘に費やしていた容量の一部を削り、分割思考能力を中心とした関連機能に振り分けた。
おそらく近接戦闘は弱くなったが、いまはあまり気にしていない。
十五分ほどかけて、俺は全員を数え終えることに成功した。
不明者はいなかったので、探索作業も省略できた。
俺は第四唯生園を離れ、トールと約束した合流地点に向かった。
俺が第八区から第十二区までに設置された計二十の唯生園を調査するあいだ、トールは第十三区から第三十区までに存在する計七十二の唯生園を見回る手筈だった。
湖の多い第十二区を出て、境界エリアである山岳地帯に足を踏み入れる。
――もう唯生園の近くでは暴れない。
そう誓うだけで、トールはこれまでの一切を水に流した。
俺が第八区第三唯生園を破壊したことも、問答無用で襲いかかったことも、意外なほどあっさり不問となった。
俺が逆に、「なんで信じられるんだ? 嘘をついているかもしれないだろ?」と尋ねたところ、トールは「まだ信用してはいない。私にとってはどちらでも良いだけだ」と回答した。
俺が再び攻撃を仕掛けても、簡単に組み伏せられると思っているのだろう。
いずれにせよ、俺は許された。
許されただけでなく、トールと行動を共にすることも可能となった。
『自身に課した作業』により常態的に忙しいトールは、誰かの助けを必要としていた。
俺が「手伝おうか?」と尋ねると、トールはいつも「やめておけ。見返りはない」と断った。
しかし、俺が勝手に手伝う分には文句を言わなかった。
何度か行動を共にすることで、トールと話す機会が増えた。
話す機会が増えるにつれ、網をコントロールする方法についても話題にできた。
賭け試合を嫌悪するトールだが、網の説明は嫌がらなかった。
むしろ、ワイズマンに対する反感からか、他者に情報を共有することを望んでいるように見えた。
トールの使っていた網は本当に普通の網だったらしく、特別な細工は施されていなかった。
そもそも網というものは、潜在的に動くものを捕獲する能力を所持しているらしい。
俺たちは揃いも揃って、網が持つ性質の一部を忘れていたのだ。
トールが言うには、過去の人類が使っていた『罠』という概念ごと、俺たちの記憶から消えてしまったとか。
網の秘密は理解する一方、網をコントロールする方法は難しかった。
動く相手を捕捉するためには、『タイミング』と『位置』と『形状』が重要だ。
『タイミング』は、俺が高めている先読み能力で対応できたが、『位置』と『形状』が問題だった。
十回挑戦すれば、そのうち六回は狙った場所に出現させられず、三回は大きさが不十分だった。
既にいくつかの機能から容量を分けて、俯瞰力や距離感などを増強しているが、配分のバランスが悪いのか、安定した結果は出せていない。
「冗談だろ……もう終わったのか……」
待ち合わせ場所の山頂に到着すると、トールが先に着いていた。
なにをするわけでもなく、ぼんやりと空を眺めている。
俺が二十の唯生園を調査するより早く、トールは俺の三倍以上の唯生園を見回ったらしい。
セントラル内に散在し、多くの人類が忘れてしまった『瞬間転移システム』――その利用場所と利用方法を知っていたとしても、トールの仕事は早すぎた。
「なんだよ。返事しろよ。目を開けながら意識を失ったのか?」
トールがずっと沈黙しているので、俺はまた問いかけた。
天候が雨だからか、トールの姿は『首を伸ばして水浴びしている亀』を連想させる。
俺はトールの視線を追い、空を見上げた。
漆黒に近い雲がどこまでも広がり、ときどき稲妻を光らせている。
「おまえはこの世界が、セントラル内の仮想環境だということを知っているな?」
ゆっくり口を開くと、トールが独り言のように言った。
顔は空に向けたままだが、俺に話しかけていることは明らかだった。
「戦闘以外の記憶はほとんど捨ててしまったが、セントラルが仮想環境であることも、俺たちがその仮想環境の中で生きていることも覚えている」
「では、セントラルで暮らす前の時代、人類が雨や稲妻で苦労させられていたことを覚えているか?」
「雨や稲妻で苦労だと?」
俺は記憶の中を検索した。
しかし雨が水であり、稲妻が電気であること以外、ほとんど情報を残していなかった。
稲妻はともかく、水はそもそも肉体に無害だ。
無害なものに苦労をさせられることがあるのだろうか?
稲妻にしても、直撃を避ければ良いだけの話。
俺が黙って首を横に振ると、トールは「仕方のないことだ。すべてワイズマンが悪い」と言った。
「――人類は過去、生きることに必死だったんだ。物理世界の環境はセントラルほど優しくないからな。必要以上に雨が降れば洪水となり、必要未満だと干魃となる。雷が落ちれば落ちた周囲に被害が出て、その被害が別の被害を生み出すこともあった」
トールの話している内容も、話す意図も、俺にはよくわからなかった。
しかし有用な情報であることは間違いないので、俺は片っ端から記憶している。
トールと行動を共にするようになってから、俺は計七回の雑談内容を覚えた。
雑談を覚えるために、戦闘用に使っていた容量の十パーセントを空白にしたほどだ。
トールから得た情報が網のコントロールに繋がり、ひいてはメイナードを打ち負かすことに繋がると思っている。
「――雨や稲妻だけではない。人類はありとあらゆる災害と直面した。ときには人類自身が問題となった。そういった課題に対し、我々は工夫をし、適応してきたんだ。知識や経験を集約させ、科学、数学、生物学、地質学、社会学、文学、哲学、歴史といった様々な学問体系に変換した。ジャンルの異なる情報を集め、総合的なテクノロジーも高めた。最終的に人類は肉体を捨てて意識体となり、セントラル中で生き始めた」
少し離れた場所で落雷があった。
周囲が一瞬激しく輝き、少し遅れて轟音が響く。
雷は付近の木々に火をつけたようで、落雷地点に赤い光が生まれた。
ただ、雨の影響で赤い光はすぐに消えた。
「――人類は進化したのだ。セントラル内の意識体こそ、人類にとって究極の工夫であり究極の環境適応。その結果、我々は過去に直面していたすべての苦労を捨て去った。いや、捨て去ったはずだった。いまは違う。人類は知識や知性といった多くの財産を失い、容量などと言うくだらないものを渇望し、セントラル内で奪い合っている」
直接的な言及はないが、トールはワイズマンを非難しているようだった。
過去にセントラルをハッキングし、全人類から膨大な容量を盗み出したとされる犯人――確実な証拠はないはずなのに、トールはワイズマンに対して、ほとんど憎しみに近い感情を抱いている。
トールの考えによると、ワイズマンが俺たちから容量を奪わなければ、セントラルは未だ穏やかで豊かな世界だったらしい。
ただ……
「容量がくだらないものだなんて、俺はまったく思わないけどな」
トールは強いし、網を使った戦闘法を教えてくれた恩人でもある。
話す内容は興味深く、説得力もあった。
しかし、トールの考え方のすべてに賛同できるわけじゃない。
「ほう。それはなぜだ?」
意外だったのだろう。
俺に反論されたトールは、少し高い声を出して俺を見つめた。
「この世界で、容量は力そのものだ。容量が足りなければクローヴィスみたいなくだらない奴に舐められるし、反対に容量があれば最強の人類を目指すことができる。あんたが嫌っているワイズマンだって、巨大な容量を使ってセントラルを好き勝手したんだろ?」
「そうだな。それは現状認識として間違っていない。容量は力だ。大量に保有すればなんだってできる」
「つまり、俺の意見が正しいってことでいいんだな?」
「デイモン、おまえは前提が間違っている。セントラルに移住した当初の我々は、他人と争うことや他人と比べることを避けていたんだ。なぜなら競争や比較を避けることこそ、人類の理知的な振る舞いであり、あるべき姿だと考えていたからな。しかし、我々はここ数百年で愚かしい過去の姿に戻った。容量のランキング化や容量を賭けた勝負を行い、おまえのように人類最強を目指す者も現れた」
「別にいいだろ。面白いんだから」
今度は、俺とトールから五メートルほど離れた位置に落雷があった。
稲妻は強い光と音と熱を放ち、俺の足の裏にビリビリとした電流を流した。
肉体を持っていた時代であれば、なんらかの傷害を受けていたのだろう。
しかし、意識体となった俺たちにとって、セントラル内の稲妻は無害だ。
「――あんたは競争のない時代が良かったと言うが、俺にはさっぱりわからない。セントラルには気が合わない奴もムカつく奴もいるんだ。そんな奴等と馴れ合うくらいなら、俺はいまの時代を選びたい。徹底的に嫌い合って、勝負して、勝ったときに相手から大きな容量を奪いたい」
「あまりに野生的で暴力的で、かつ個人的な意見だな。まあおまえの過去を考えれば、そうなってしまうのかもしれないが」
「俺だけじゃない。他の奴等だってそうだ。もしかするとこれが、あんたの言う『環境適応』なのかもな。俺たちはセントラルという環境に適応した結果、進んで容量を奪い合うようになったんだ」
メイナード、クローヴィス、ルシアン、ブリジット……例を挙げればキリがない。
みんな容量を好み、賭け試合を好む奴等だ。
ヴァイオレットにしても大差ないだろう。
賭け試合をしている姿はあまり見ないが、かなりの数の賭け試合をしていなければ、アレだけ大きな容量を所持できない。
トールは「なるほど。そういう解釈も面白い」と言って黙り込んだ。
反論がなかったので、俺たちの議論は終了した。
トールは笑顔だったが、いつかのように、あまり楽しそうではなかった。
それから俺たちは第十三区に移動した。
トールの言うもう一つの作業『話し合い』を行うためだ。
俺にとっては初耳だが、セントラルにはトールのような自称研究者が複数名いて、過去の知識を集積しているらしい。
今回は第十三区で暮らす研究者『ヨルム』と会うのだそうだ。
山岳地帯を離れると、天候は快晴となった。
この辺りでは瞬間転移システムを呼び出せないらしく、俺たちは徒歩による移動を強いられた。
トールの脚があまりにも遅いため、俺はアバターを変更するよう要求した。
しかしトールは「勿体ない。そんなものに容量を使うくらいなら、移動など遅いままで良い」と頑なに拒否した。
聞けば、アバターとして小さい亀を選んでいる理由も、容量を節約し、知識や情報に回すためだそうだ。
仕方がないので俺は、トールを持ち上げ、目的地まで運んでやった。




